探りあてた隠し事
『たとえばの話していい?』
ぴこん、と緑のアイコンでお知らせをしたのは、高校の同級生。
ナホヤと始めたラーメン屋に、ナマエさんが、疲れた身体に草臥れたスーツを纏って現れたのは3ヶ月程前。
「ねぇ、もしかしてだけど河田双子、だったりする…?」
俺の方の黒いラーメンの注文が通ってそれを出せば、じっと顔を見られる。と思ったら、後ろで洗い物をしているナホヤと見比べられる。なんだろうと思った瞬間に、懐かしいあだ名がその女の人の口から飛び出した。
「え、あれ…?もしかして、ミョウジさん?」
高校二年の時に同じクラスだった子だ。悪い噂が立つ俺たちにも分け隔てなく接する彼女に、特別な感情があったのは誰にも言ったことのない秘密だ。
「ミョウジ?久しぶりじゃん」
洗い物を終えたナホヤが後ろから声をかけてくる。
「やっぱりそうだ!うっわ、懐かしい!」
心底驚いたように大きく声を出したミョウジさんは、先ほどまでの憔悴しきった顔より、幾分か明るく楽しげに表情を輝かせていた。
高校の時から、目立ちはしないもののバランスの取れたパーツ配置で綺麗な顔をしていると思っていたが、社会人となり化粧を強いられ更に綺麗になったように思う。
「オメェなんか疲れ切ってんな」
ナホヤがいつもの笑顔でそうからかえば、ミョウジさんは舌を出してあっかんべーをして、割り箸のパキッという軽快な音を鳴らした。
「決算なのよ。繁忙期ってやつ」
「はーっ、なるほどねぇ。そりゃ大変なこって」
「何言ってんのよ」
自分達で店立ち上げて切り盛りしてるあんたらだって大変でしょうよ。
ずぞぞ、とラーメンを啜りながらなんでもないように言ったミョウジさんに、俺たちは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているだろう。店を立ち上げてから、すごいと言われることはあっても苦労していると思われたことなどなかった。
その後しばらく、ミョウジさんのラーメンを啜る音だけが店に響いていた。
あれから四半期が過ぎて、ナマエさんが何度か店に来てくれたりメッセージのやりとりと繰り返すうちに、呼び方や話し方にも変化が現れていた。
ミョウジさんからナマエさんになったし、語尾になんとなく足されていた敬語は遠くに追いやった。
俺がまたナマエさんに特別な感情を抱くのにも、そう時間は掛からなかった。
冒頭に戻って、世間はクリスマスイブの12月24日。店仕舞いをしていると、ナマエさんから唐突なメッセージが来た。なんの前触れもなく送られてきたその言葉に首を傾げる。
「おい、ソウヤー、さっさと帰んぞー」
疲れてだれきった声のナホヤに呼ばれる。
「あ、うん」
『たとえばの話?』
ナホヤに返事をしつつ、ナマエさんからのメッセージにも返信を打って、スマホをポケットに突っ込んだ。
店を出て鍵を閉めて、店の裏のスペースに停めてあるバイクに跨った。2人であの頃と変わらずバイクを走らせて帰路につく。
「さみー!」
玄関に入り靴を脱ぎ捨て一目散にリビングに向かうナホヤ。
「兄ちゃん、手洗いうがい!」
玄関を施錠しながら声をかける。狭い洗面所で交互に手洗いうがいを済ませて、やっとリビングの炬燵に身を埋めた。
ズボンのポケットからスマホを取り出し確認すれば、ナマエさんから返信が来ていた。
『そう。たとえば、私がナホヤのことが好きだって言ったらどうする?』
じゅく、と、心臓に嫌な感触が広がる。ばくばくと鳩尾まで響くその不快感は、脈打つごとに黒い何かが染み出している気がする。
『応援するよ、きっと』
思ってもいないことを打ってそのまま送信ボタンを押す。否、応援したくはないが、ナマエさんが幸せになれるならいいと思っている。兄ちゃんは俺から見てもいいやつだし。
『たとえば、今私が迎えに来てほしいって言ったら?』
『ナホヤに言って迎えに行かせるよ』
こういう時のたとえ話は、大抵本人のことだと昔千冬が少女漫画片手に言っていた。ということは、今ナマエさんは迎えに来てほしいんだろう。
兄ちゃんに声をかけようと口を開けると、今度は長くバイブが振動し始めた。
【着信:ナマエさん】
なんだろうと緑の受話マークをタップして電話に出る。
『もしもし?』
「もしもし、どうしたの?」
『夜遅くにごめんね』
「それは大丈夫だけど…あ、ナホヤ呼ぼうか?場所を教えてもらったら…」
『たとえばさ!たとえば、』
俺の言葉を無理やり遮ったと思ったらそのまま黙ってしまったナマエさん。そのまま数秒。
「たとえば?」
結局痺れを切らした俺が先ほどから何度も話に出てくる単語を繰り返す。
『たとえば、私に好きな人がいるとして』
ナホヤでしょ?何度も言わなくてもわかるよ。もういいよ。
『その人がどうしようもなく鈍感で、高校の時からこっちはずっと好きなのに気づいてなくて』
そんなに長く好きだったのか。俺がナマエさんに特別な想いを持っている時からずっと。
『やっと再会できていい感じだと思ったのに、何にも決定的なことは言ってこなくて』
兄ちゃん何やってんだよ。
『私もバカだから駆け引きなんてしちゃって、でも全然効かない人だったらどうしたらいいと思う?』
「俺が兄ちゃん殴ってこようか?」
即座に出た解答に、一瞬の間。ナマエさんが電話の向こうで小さく笑ったのが聞こえた。すぅっとひとつ息をつく音がした。
『ねぇ、ソウヤくんは私のこと好き?』
ばくん、と一回大きく心臓が脈打った。
「なん、で」
うまく言葉が出ない。否定もできない。
吃り黙ってしまった俺に、電話の向こうから息をつく声が聞こえた。
『まぁ、いっか。もうどっちでもいいや。私が好きな人はね、いつも怒ったような顔で、誰よりも優しい言葉をくれる人なんだよ。不良だった頃も、元不良になった今も』
諦めたように笑うナマエさん。その表情がどんなものか、見なくてもわかってしまう。それから、ナマエさんの言う“好きな人”の正体も。
『私に意気地があればクリスマスのお誘いをしたんだけど』
「今どこ」
『え?』
今までナマエさんには使ったことのない語気の強い言葉。一瞬戸惑ったように言葉を詰まらせたナマエさんが、高校の校門前、と言ったのを聞き逃さなかった。
「なんでこんな時間にそんなとこにいンの。危ないだろ」
『ご、ごめん…』
「近くにまだコンビニあったよね?そこでいいから入ってて絶対動かないで」
『わかった…』
俺の勢いに気圧されるように言葉少なになるナマエさん。可哀想だけど、こんな真夜中に何かあってからじゃ遅い。
「あと、まだクリスマス終わってないから」
『え、?』
「本番は25日でしょ」
今から迎えに行くから、そしたら俺の言葉でちゃんと伝えるから。
そう言って通話を切った。
兄ちゃんに出てくると伝えれば、おー、と気の抜けた返事が返ってくる。先ほど脱いだばかりの靴を履き直し、バイクに跨りエンジンをかける。
散々待たせた分、急いで行くから。
彼女の元へと走り出したバイクがお目当てのコンビニに着く頃には、チラチラと雪が降り始めていた。
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