運命だって時には躊躇する
世界を救うのは難しい。
誰よりも尊敬し、慕っていた場地さんを亡くしたあの日から常々そう思っている。
別に世界に絶望しているわけではないが、分かっているいないに関わらず救えないことがあるのだという、どうしようもないことへの憤りみたいなものと、微かな諦めにも似た感情が、ゆるゆると胸の底で揺蕩っているだけ。
そして今もまた、そのどうしようもない理不尽な理に奪われそうな命が、目の前で沢山の管に繋がれている。彼女の命を物理的にこの世に繋ぎ止めている管たちと、無機質な音で彼女の心臓が動いていることを知らせる心電図。また俺は祈ることしかできない。
あの時から何も変わっていないように感じる自分に嫌気が差す。
あの日はナマエとデートで、駅前で待ち合わせをしていた。待ち合わせ時間より少し早く着いたので、適当な柱に背中を預けて携帯を弄っていると、メールが一通届いた。開封すればナマエからで。
『左!』
本文にはそれだけが書かれていて、左に視線を向ければ横断歩道の向こうにナマエを見つけた。あいつに気づいた俺に気づいたあいつが、こちらに大きく手を振るのが見える。そんな姿に小さく笑えば、横断歩道が青になった。みんな次々に渡り出して2秒後。信号機の鳥の鳴き声を真似たような音声を掻き消すほどのスリップ音と、一拍置いて悲鳴が空気を震わせた。
赤信号の車道。車が歩行者に向かって突っ込んできた。
幸いにも今のところ死者はいないものの、重軽傷合わせて20名強の被害を生んだ事故。その事故の重傷者の一人がナマエだ。
休日の昼間の交差点。今のところ死者がいないのが救いか。自販機で飲み物を買いながらそう思っていると、可哀想に、そんな言葉が聞こえた。耳をすませば、中年女性の声が2つヒソヒソと話しているのが聞こえてきた。
「あの駅前の事故、とうとう死者が出たみたいよ」
「若い女の子なんだってね…可哀想に」
全身の血が身体から消えてなくなる感覚がした。視界がぐらりと歪み、気づいた時には駆け出していた。院内を走る俺を咎める声なんて振り切ってナマエのベッドに駆け寄った。そこには、先刻までと変わらず機械音に守られたナマエが横たわっていた。
姿を確認した途端、全身の力が抜けてへなへなと座り込んだ。
死なないなんて思っていない。人はいつか死ぬし、それは突然くることもある。痛いほどに身に染みて分かっている事実だ。
それでも、
「…まだ、いなくなんなよ…頼むから…」
シーツに力なく置かれた手を掬い取り、ぎゅっと握った。温かい。まだちゃんと生きている。
自分の頬をナマエの手に寄せて、その体温を感じる。目が覚めることを、この命がまだ俺の元から去っていかないことを祈りながら。
「……ちふ、ゆ…?」
小さく、初めて発したかのようにか細い声が聞こえた。
バッ!とナマエの顔を見れば、力の入りきっていない瞼が細く開かれて、その瞳はこちらを見ていた。
「……っ!ナマエ!」
ガタリと立ち上がると、少し辛そうに口角を数ミリ上げて、なに?と一文字ずつ発した。慌ててナースコールを押して、看護師さんにナマエの意識が戻ったことを伝えると、医者を連れて大慌てで部屋に入ってきた。医者の言葉にゆっくりと、確実に答えていくナマエにを見てソッと部屋を出た。
アイツの前でだけは笑っていたいから。この一瞬だけは姿を隠しても許してほしい。
ぐらっと歪んだ視界。雫と言葉が同時に廊下に落ちた。
「もう会えないかと思った……っ」
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