頬に寄せた温度
『お誕生日おめでとう』
0時ピッタリに送った私のメッセージに即座に既読がついたあと、1分と経たないうちにシュポッと特有の音が鳴り、千冬からの返信が届いた。
『サンキュ。今日誕生日の特権使ってい?』
"誕生日の特権"とは。
『いいけど、特権って何?』
『なんでもワガママ聞いてくれるってやつ』
あぁ、恋愛ものとかによくあるあれか。
いいよ。
短く返せば、サンキュ。と短い返信。
スマホの電源を落とし、部屋を暗くして布団に潜り込む。千冬のわがままは明日確認しよう。もう夜更かしして翌日元気でいられるほど若くはない。目を閉じれば、すぐに意識は泥の奥へと飲み込まれた。
瞼の裏が、段々と白んできて意識が覚醒する。
朝だ。
ゆっくりと瞼を持ち上げれば、カーテンの隙間から漏れる光で部屋が明るくなっていた。
まだぼやける視界でスマホの時間を確認する。時刻は10時47分。
「…寝すぎた」
ぽそっと漏れた自分の声に、ぼすんっと枕に顔を埋めた。
いつまでもそうしていても仕方ないので、布団から抜け出し洗面所に向かう。千冬からの連絡がまだないのが救いだ。
ところで特権を使ってまで叶えたいワガママとはなんなのか?
余程高いものじゃなければ買えるかなぁと、自分の通帳に刻まれた残高を思い返す。
身なりを整えて、一応予約しておいた千冬のバースデーケーキを取りに行く段取りを整える。家を出る前に再度スマホを確認するが、千冬の連絡を知らせるものはなかった。
「……今日は会えないかなぁ」
何年一緒にいるとしても、大切な人が生まれた日は一緒に祝いたいと思うのは、私のわがままだろうか。まぁ疲れてるだろうし、もしかしたら仕事かもしれないし、そんなことを考えて自分を納得させようとしている自分に気づいて頭を振る。
「ま、千冬に会えなかったら一人で食べよ」
ケーキのお迎えに外に出た。
無事予約していたケーキを受け取り、それを片手に帰路に着く。
千冬の大事なペケJをイメージした、ビターチョコでコーティングされたケーキ。猫の肉球型アイシングクッキーもつけてくれている。
千冬が見たら喜んでくれそうなケーキ。当の本人には今日会えるか怪しいところではあるが。
お店を出る前にも確認したが、やはりスマホにはニュースサイトや来週の天気を知らせる通知のみ。
家に着いたら一度連絡してみようか。そんなことを考えて帰宅すれば、家の前に見知った姿。
「千冬?」
「よぉ。おっせーよ。誕生日に凍死するわ」
「え、連絡くれてたっけ?」
なぜか私の家の前にいる千冬に聞けば、していないという。
「それで死んでも自業自得じゃない?」
「いると思うだろ」
ぶすりと不貞腐れたように言う千冬の鼻は赤くなっていて、長時間ここにいたことが分かる。私と入れ違いで来ていたとすれば、約1時間はこの寒空の下待っていたことになる。
とりあえず早く家の中に入れなければと鍵を開けると、ドアを押さえて待つ千冬。
「ありがと」
「おー」
こういうところ、前から変わらない。頼むから他所で女の子にやらないでくれよ。みんな好きになっちゃうから。
絶対に本人には言わないことを心の中で唱える。
2人で手を洗ってケーキを片付けようとキッチンに行けば、見覚えのないスーパーの買い物袋。
「なにこれ?」
「ん?カレー食いたくなったから」
誕生日の特権。
そう言って誇らしげにこちらを見る千冬。
特権の使い所間違えてる気がする。それくらいのことワガママでも何でもないのになぁ。千冬が望むならいくらでも作るのに。そんな風に考える辺り、大分絆されているんだろう。
仕方ないという体を装って袋の中から食材を取り出していく。
じゃがいも、玉ねぎ、にんじん…と、順調に切っていき、次に手に取った食材を見て固まった。
「……ピーマン?」
「ん?カレーってピーマン入ってなかったっけ?」
「入ってないねぇ」
そしてたぶん、たぶんだが、美味しくないと思う。やったことは無いけど。
しかたない、キミは今度肉詰めにでもしようね、と冷蔵庫にピーマンを入れた。
肉を炒め、野菜を炒め、それら全てをまとめて煮ていく。ひと煮立ちして、千冬にカレールーを出すようにお願いすると、袋からそれを取り出して私の手に乗せた。
「ありが、と…?」
自分の手に乗った“カレールー”を見て首を傾げる。
「千冬?」
「ん?」
「これ…“ビーフシチューのルー”だよ…?」
「……は?え?いや、でもカレールーの列にあったぞ?」
「いや、でもこれビーフシチューのルーだよ??」
はぁぁあああ!?と大きくない部屋に彼の声が響いた。
「まじか!!」
「まじだねぇ」
数秒しん、と静まり返ったあと、どちらともなく笑いが漏れた。
ふたりで一頻り笑って一息つく。
「いやぁ、まさかビーフシチュー買ってくるとは」
「まじで俺も自分にびっくりするわ。はーあ、やっぱお前いねぇとダメだな」
なんでもない事のように呟かれたそれに、心臓がどきりと音を立てた。
「……なんかそれ、プロポーズみたい…」
「……え?」
私が小さく言えば、キョトンとした表情で大きな目を丸くしてこちらを見る千冬。瞬間、爆発音がしそうな勢いで顔が真っ赤に染った。
「ばっか…!お前、それはもっとちゃんと言うわっ!」
「あ、考えてはくれてるんだ」
「…っ!当たり前だろばーか!」
千冬本人ももう何が何だか分からなくなって、暴言のボキャブラリー貧困具合が幼稚園児である。
そんな千冬に私は再度笑いながらビーフシチューのルーを鍋に投入していく。出来上がったのは千冬の要望だったカレーではなく、ビーフシチューだけど、結果としてはカレーより誕生日らしいメニューになった。
「ねぇ千冬」
「…なんだよ」
先程の怒涛自爆が効いているのかまだ少し拗ねたような返事。
「私、千冬のお誕生日お祝いできて幸せだよ」
そう言って笑えば、なんとも言えない顔をした千冬ががばりと私を抱き締めた。ぎゅうぎゅうと込められる力にまた笑いが溢れてしまう。
その後ケーキを見て大喜びした千冬に、今日千冬と会えなかったら一人で食べようと思っていたと伝えれば、「殺生なことすんな!」と謎の語彙を炸裂されたのは今までの誕生日で一番可笑しかったのは言うまでもない。
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