とろける夜の君めぐり
さわりと揺れる五月の葉桜が覗く教室の窓を背景に、教室の一番後ろの窓際という学生にとっては特等席のそこから、その女は気づけばこちらを見ていた。そのときはたまたまかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
たまに学校に行けばあのときの葉桜と同様、風にさわりとその艶やかな髪を靡かせてこちらを見ていた。
中学に上がっても対して面白くなるわけではなかった学校に、行く意味を見出せず竜胆と一緒にサボっていても、たまに学校に行くのは他のヤツらが寄越す視線とは異なるその女の視線に会いたかったからかもしれない。
ある日学校に行けば、俺の席は例の女の隣になっていた。隣の席にいるというのに、その女は話しかけてくることはなかった。視線を寄越すこともなかった。酷くつまらなく感じて机に伏せて寝る俺を起こす人間もおらず、睡眠時間と化した授業は気づけば6限まで終わっていた。
遠くで何かに呼ばれている気がする。すると、ふいに肩に何かが触れる感触がした。ほぼ条件反射でその肩に触れているものを掴むと、「いっ……!」と小さく声が聞こえた。
掴んだものは手首で、その手首を辿っていけばいつもこちらを見ている女だった。
「……灰谷、くん?」
か細く、若干の恐れを含んだ声がその細い喉から聞こえてくると、なんとなく今掴んでいる腕を離したくなくなった。
「蘭」
「へ……?」
「俺は蘭」
「う、うん。灰谷蘭くん、でしょ?」
きょとりと目を瞬かせてこちらを見つめる瞳に、その喉から紡がれる自分の名前に気分が高揚するのがわかった。
「そう、蘭」
「らん、くん……?」
今度こそ笑みが抑えられなかった。いつも顔面に貼り付けているあの笑みではなく、とろりと目尻が溶けたように下がり口角がゆるりと上がってしまう、筋肉に逆らえなかった笑みが自分の顔を形作っていくのを感じる。
「いいこ」
するりと竜胆より幾分か小さい頭蓋骨の形に沿わせて手を滑らせる。
途端に真っ赤に染まった顔に、自分への好意を確信した。
「お前、俺のこと好きなの?」
クッと首筋に力が入ったかと思うと、女は薄い唇を薄く開いた。
「ナマエ……」
ん?と、小さく呟かれたそれにもう一度耳を傾ける。
「お前じゃなくて、ナマエ……」
俺に律儀に目を合わせて言うあたり、相当なばかか怖いもの知らずなんだろうと思う。
だがどうしたものか今日は表情筋が言うことを聞かないようだ。今の自分は至極楽しそうに笑っているだろう。
「お前がちゃんと蘭って呼べるようになったら呼んでやるよ」
そう言って笑い、席を立って西日が強く差す教室から出た。これから学校も少しは楽しくなるかもしれないなんてらしくもないことを考えながら帰路に着く。
その年、俺は少年院に入った。
少年院を出て、相変わらず以前と同じように竜胆と行動を共にしていた。毎日あちこちで大なり小なり繰り広げられる抗争に顔を出しては、弱すぎる雑魚どもにつまらない笑みを貼り付ける毎日。
だが今日は違う。今日は東卍と芭流覇羅との抗争だ。面白くなりそうだと竜胆と見物に向かっていると、道中いつかの日と同じくさわりと風に靡く艶やかな髪。ハッと振り返ると、その髪の主もゆったりと振り返った。信じられないものを見るようにその場で絶句し、眉根を寄せたかと思うとぽろぽろとその白い頬を水の玉が滑っていった。
「…蘭、くん……っ!」
胸に飛び込んできた華奢な身体を受け止めて反射的にきつく抱き締めると、ぎゅっと俺の服を握り締めるナマエ。
「会いたかった、ずっと、ずっと……っ」
「……お前、俺が何したか知らないわけじゃないだろ〜?」
「……知ってる。それでも会いたかった」
彼女の口から小さく小さく漏れた「蘭、」という自分の名前にどうしようもなく口角が上がってしまう。
「ばかだなぁ〜ナマエは」
バッと顔を上げたナマエに溶けてしまいそうなほど甘い視線を送る。
「お前ならもっときれいなヤツ捕まえられたのに」
「蘭は、前から一番きれいだったよ」
本当にばかだよ、お前は。
そう言いながらも、数年前のあの日から手放す気なんてさらさらない自分に反吐が出るなと、腕の中の彼女を今度こそ離さないように抱きしめなおした。
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