遥かミッドナイト
『今日暇なら一緒に飲まねぇ?』
金曜日の夕方、私の携帯を鳴らしたのは高校からの友人、松野千冬だった。
『明日仕事じゃないの?』
土日なんて一番のかき入れ時だろう。
『建物の定期検査で店休日』
なるほど納得。それならば飲むしかないだろう。日頃の上司の愚痴を聞いてもらわねばならない。
定期的に開かれる二人きりの飲み会は、何の気兼ねもなく二人で語り明かせる私の憩いの場だ。
定時まであと30分。先程までの疲れなど感じさせない、きびきびとした動きで定時退勤の準備を整えた。
「お邪魔しまーす」
「買ってきたもん置いてくるから、お前先に手ェ洗ってこい」
おつまみになりそうな物を入れた私の買い物袋を取り上げると、自分の手に提げられている酒類の入った袋と一緒に奥の部屋へと持って行く千冬。
私は大人しく家主の言うとおりに手前にある洗面台へ向かった。
ザーッと流れる水に手を浸せば、指先の体温がみるみる奪われていく。この家の洗面台はお湯が出ないのか。疑問と少々の恨みに似た感情をまるっと飲み込んだ。
ごろごろとうがいをしていれば、酒類を冷蔵庫に入れ終わった千冬が洗面台へやってくる。
「終わったらさっさと変われよ」
「ごっごがっげ」
「うがいしながら喋んな」
ケラケラと楽しそうに笑う千冬。それにつられて私も笑えば、ごろごろがらがらと口の中で鳴った。
ちょっと心臓が騒いだのは気づかないふりをする。
私の後に続いて千冬が手洗いうがいを済ませて、二人でこたつの待つ部屋へと戻る。お酒を2本ずつ出してくれているあたり、千冬の用意の手慣れ具合がわかる。
「おつまみ何から食べる?」
無遠慮に冷蔵庫を開ければ先ほど買ったばかりのおつまみたちが綺麗に整頓されていた。と、思ったら開けた拍子にお惣菜のパックが雪崩を起こした。
「んぎゃ!」
驚き両手を伸ばしてなんとか全てを受け止めたと思った瞬間に、取りきれなかった南京の甘辛煮が滑り落ちる。
あ、これダメなやつだ。
確信したものの、それが落ちた音はしなかった。
「、ぶねぇ…!」
「ナイスキャッチ!ナイス反射神経!」
感心する私と、南京キャッチに成功した千冬。ピーピーと響く冷蔵庫の閉め忘れ防止音。
ひとまずいつくかのお惣菜を手に取り、揚げ物をトースターに任せた。
こたつに戻り、カシュッ!という小気味良い音がふたつ響き、流行る心を抑えられず即座に乾杯した。
「お疲れー!」
ぼこん、という缶がぶつかる音の後にずずっとあまりお行儀が良いとは言えない音が部屋に響いた。それが今最上級の幸せだ。
チーンッ!と、揚げ物が温まった音がして、ちらりと千冬を見た。
「…なんだよ」
「私出たくないから千冬取りに行って?」
「お前ふざけんな!俺だって出たくねぇよ!」
「いいからぁ!ほら、早くしないと冷めちゃう!」
ストレスのせいか、はたまた久しぶりの千冬との宅飲みだからか。陽気なテンションで千冬を急かしてトースターへと向かわせる。
なんだかんだ言いながらも行ってくれる千冬は優しい。
「ありがとう〜!」
「おーおー、感謝して食えよ」
「鶏に感謝!」
「そっちじゃねぇよ!」
千冬とのこの時間が好きだなぁと思いながら、各々の仕事のこと、最近ハマっていること、面白かったこと。
他愛もない話を繰り返せば、するするとお酒も進むしつまみも進む。
2時間ほど経ち、千冬がずるりと机に突っ伏した。
「大丈夫ー?ベッドに運ぶ?」
顔を覗き込むように伺えば、目を閉じた千冬。薄くゆっくりと開いた瞼から覗いた黒目に吸い込まれそうになると、再度その瞼は閉じられた。
「お前さぁ…男とベッドに行くってどういうことかわかってんのかよ…なァ」
酔いが回ったのか縺れる口先で、もにゃりと紡がれた。
分からなくはない。が、私と千冬にそんな空気が存在しているとも思っていない。
思考をフル回転させても理解できない千冬の言動にただ戸惑うばかりだった。そうこうしている間にも次々と千冬の口から溢れていく言葉たちは、今までの私も今の私も信じられないような内容ばかりで、余計に私の思考を混乱させる。
「お前は知らないだろうけどなァ…俺は高校時ンからお前のこと、」
どきりと心臓が大きく脈打った。しかしそこから先の言葉が紡がれることはない。
だんまりになってしまった千冬と思考がクリアにならない私の間に、そわそわと落ち着かない空気が流れる。
「私のこと…?」
口を吐いて出た言葉。聞きたくなってしまった。きっと答えなんて分かりきっているのに。
ばく、ばく、と布を動かすほど強く打つ鼓動に脳がくらくらしてきた。
「、わかってんだろ」
「言ってほしい」
そう言えば、突っ伏したままだった体勢をむくりと起こした千冬。
じっと黙って数秒見つめ合う。顔が火照っているのはお酒のせいか、それともこの後の展開に期待しているのか。
きゅっと結ばれた千冬の口元に緩く隙間ができた。
「…好き。ずっと」
千冬の言葉を聞いた瞬間、今までの比にならないレベルで熱が頭部に集中した。
言ったもの勝ちで最早どうにでもなれ精神なのか、ずいっと千冬が距離を詰めてくる。こたつに入ったままの脚はもう暑すぎるほどの熱を持っていた。
鼻腔が千冬の香りを拾った。
多分もう誤魔化しきれないだろう私の気持ちを、それでも隠すべく僅かに身体を反る。
「なぁ、お前も言って?好きって」
「う、ぇ…」
人語か怪しい言葉を口先から落として、千冬から目を逸らした。
あぁ、きっと逃げられない。覚悟を決めるように一度ぎゅっと目を瞑る。
どうか、今から言う言葉を絶対に逃さないで。
「……やったわ…」
翌朝、二日酔いでガンガンと鳴る頭を抱えながら、昨日の記憶が残る松野千冬は自分の失態に嘆いていた。
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