矛盾を以って愛となす
「お前はろくでもない男に捕まりそうだから気をつけろよ」
数年前私にそう言った幼馴染は、かれこれ3ヶ月ほど顔を見ていない。近所に住んでいるはずなのに。
「聞いてんのか!」
ばちんっという面と面がぶつかり合う音の奥に骨が軋む音が聞こえたと思ったら耳がきーんと鳴る。意識を過去の彼方へ飛ばしていた私を呼び戻すようにじんわりと広がる頬の痛みに、痛いだとか悲しいとかそんなものを何も含まない生理的な涙がぽろりとこぼれた。
「泣けば許されると思ってんの?」
こんな小さな6畳の部屋で私に向かって腕を振り上げる男は、多分彼氏、だったと思うんだ。もうわからなくなっているあたり彼氏ではないのかもしれない。
それでも今私を殴る彼の手が私を優しく撫でていたことも、血走った目でこちらを睨みつける瞳が私を愛おしそうに見つめていたことも覚えている。いつかあの時の彼に戻ってくれるんじゃないかなんて、本当はもう無理なんだろうと分かりながらも希望を捨てきれずここまでずるずると来てしまった。
「もういいわ、お前。ダルい。別れよ」
息をするように関係の終わりを告げる彼は、つい一週間前に私が男性とちょっと話しただけで怒り狂って首を絞めてきた男だ。所詮こんなものなんだろう。
幼馴染のろくでもない男に捕まりそうという言葉をまた思い出した。
結局無言で自分の荷物を掴んで彼の家を出てきた。
ひとまず今日の予定も、これからの予定も無くなってしまったので帰路に着く。
どうしてこんなふうになってしまったのかとか、幼馴染の言葉通りしなってしまったなぁとか、そういえばその幼馴染は一体どこで何をしているのかとか、あの男のようにろくでもないことばかりを考えてしまう。
「ナマエ……?」
昔幼馴染と遊んだ公園の横を通り過ぎる瞬間、懐かしい声が私の名前で鼓膜を震わせた。
そんな筈はないと疑いを確信に変えるために振り向いた先には、たれた目と反比例に釣り上がった眉をは変わることなく幼馴染の彼であることを告げていた。
「りん、ど」
「お前その顔どうした」
私の顔を見た瞬間竜胆の眉間にシワが寄り、声が低く発された。
「竜胆が言った通りになっちゃった」
うまく笑えていただろうか。
あの頃の私は竜胆が好きだった。兄と一緒に喧嘩ばかりを繰り返しているどうしようもない竜胆が好きだったのだ。
「……マジでろくでもなさすぎるだろ。女に手ェ上げるような奴に引っ掛かんなよ」
「そうだねぇ……まぁもう別れたから、大丈夫だよ」
どうしてだか竜胆の顔を見ていられなくて俯くと、先程殴られた頬にするりと厚い手のひらが滑る。
中指と人差し指で耳たぶを挟むように遊ばれると、長く綺麗なのに関節は少し太い男の人になった竜胆の手のひらに頬をすり寄せてしまう。
「痛かっただろ」
「竜胆たちの喧嘩ほどじゃないよ」
「ばぁか、俺らと一緒にすんな」
俯けた顔をグッと竜胆に上げられると、傷ついたような苦しげな顔をした竜胆と目があった。
「竜胆?どっか痛いの?」
「イテェよ」
また喧嘩でもしてたのかと怪我を探そうとすると、今度は竜胆の腕の中に閉じ込められた。
「竜胆……?」
「お前のことこんな風に傷つけられるくらいなら俺のモンにしときゃよかった」
「なに言ってるの……?」
身体を離した竜胆と目が合うと、今まで見たこともないような熱を孕んでいた。
「俺にしとけよ」
竜胆の言葉にふるふると首を横に振った。
なんで?と聞く竜胆に一拍置いて口を開く。
「私と付き合ったら、竜胆が"ろくでもない奴"になっちゃう……」
尻すぼみに消えていく私の声に、竜胆が小さく笑ったのが耳に届く。
「なんで笑うの……!」
笑う竜胆を睨むと、これまたおかしそうに笑われた。
「ろくでもない奴に捕まらないように気をつけた結果俺にするんだから、俺はろくでもない奴になんねぇよ」
わしゃわしゃと私の頭をかき回す竜胆。数年前と同じ笑顔で笑う竜胆に不覚にも心臓が大きく動いた。
「俺のもんになる?」
「竜胆が私のものになるなら」
magazzino