東風異国館
前半のピッチは東風異国館のものだった。
芝を踏み鳴らす音が重く、ボールが動くより先に身体が来るため、競り合いは常に質量の押し付け合いになり、接触のたびに空気が揺れた。肩が入り、腰が当たり、胸で弾かれるたびに南雲原側の足元はわずかに流れ、踏ん張りきれずに体勢を崩す場面も少なくなかった。
DFが寄せると、相手は減速せずにそのまま突っ込んでくる。
桜咲が一瞬、判断を遅らせたところを見逃さず、相手は体を斜めに差し込み、木曽路が中央からカバーに入るより早く縦へ通されたボールが前線へ転がった。受けたFWは一度だけ前を確認し、スピードを落とさずに踏み込む。衝突の瞬間、伝わってきたのは弾くというより押し流す感触で、相対した身体が耐えきれずに芝へ手をついた。
「なまえ!」
来夏の声が鋭く上がり、直後に笛が鳴って主審が腕を水平に振る。ファウルの判定は明確だったが、倒した側は悪びれる様子もなく肩をすくめ、挑発するような視線とともに薄い笑みを残して下がっていった。
「どこか痛いところはありますか?」
「ううん、大丈夫。違和感もないと思う」
なまえは百道の問いかけに応じながら足首を軽く回し、体重をかけて二、三歩踏み出したあと、小さく跳ねて着地する。動作に引っかかりはなく、少なくとも今は続行できると判断できた。主審が再開位置を指示するのを確認すると、タッチライン際で様子を見ていた笹波が視線だけで合図を送り、ピッチ全体を一度見渡してから、短く距離を詰めてくる。
「なまえ先輩、無理はしないでください。前半は想定通りです」
「うん、言われた通り守りに徹するよ」
言葉自体は穏やかだったが、笹波はその返答にわずかな違和感を覚えた。声色も表情も変わらないのに、視線の置きどころがいつもより低く、相手の足元を正確に測るような冷たさを帯びていたからだ。
なまえがフィールドへ戻ると、駆け寄って来た来夏に同じ調子で大丈夫だと告げて配置についた。
再開の笛が鳴ると同時に、東風異国館の選手は迷いなく前へ圧をかけてくる。南雲原は先ほどまでよりもラインを下げ、無理に奪いにいかず、コースを限定する形で全体を横にスライドさせた。柳生が一歩引いて中央のスペースを消し、品乃がその背後を気にしながら左右を繋ぐことで、相手の縦への選択肢を削る。桜咲と来夏は前線で無闇に追わず、相手のパススピードが落ちる瞬間だけを狙って寄せる。
派手さはないが、ボールは確実に外へ追いやられ、クロスの精度も次第に下がっていった。
古道飼は最終ラインで体の向きを細かく変えながら相手の走路に半身で入り、正面衝突を避けて角度だけを奪う。なまえはその隣で、常に半歩だけ内側に位置を取り、抜かれた場合の進路を予測して先に立つことで、相手に減速を強いた。四川堂は静かにポジションを調整しながら、ゴール前の距離感を保つ。
全員が勝つためではなく、耐えるために動いている配置だった。
(なーんか、変だよな……)
木曽路は中盤で相手と競り合いながら、ふと背後にいるなまえの気配に違和感を覚えた。守備の間合いは正確で、足も止まっていないのに、空気だけがざわついているような、理由のない落ち着かなさが背中越しに伝わってくる。視線を向ける暇はなかったが、何かが切り替わったような感覚だけが、妙に引っかかった。
その直後、なまえは相手MFのトラップの瞬間に体を寄せ、ボールではなく重心の移動だけを読むようにして足を出す。削るでも、突き飛ばすでもなく身体を入れ替えるだけの動きだったが、相手はバランスを崩して膝をつき、次に寄せてきた二人目も、切り返しに反応しきれず同じように体勢を落とした。三人目が強引に踏み込んできたところで、なまえは一瞬だけ速度を緩め、逆に置き去りにする形で前へ抜ける。
倒れた選手になまえは何事もなかったように手を差し伸べて、短く何かを告げていた。その姿を前線に戻りかけていた空宮が遠目に見つめ、古道飼と柳生がなまえと膝をついた相手を交互に見比べて気まずげな表情を共有する。
「……?」
「空宮、どうかしたか?」
「あ、いえ、何でもないです」
後半の半ばに差しかかるころには、東風異国館の動きにわずかな遅れが生じ始める。戻りのスプリントが一本、また一本と短くなっていった。強度は落ちていないが、連続したプレーに対する反応が鈍り、パスを受ける前の準備が遅れる。その兆しを笹波はベンチから静かに見逃さず、視線を切り替えるだけで次の段階へ進む合図を送る。
後半、残り十五分。
南雲原は一斉にギアを上げた。木曽路と品乃が縦に速い展開を選択し、柳生がその背後でリスク管理に徹する。桜咲と来夏が連続して裏を狙い、空宮は一度下がってボールを引き出してから、再び前へ走り直す。タクティクス〈ブースト15〉の名の通り、加速は一気で、東風異国館の守備は追走するだけで精一杯だった。
最後はこぼれ球に反応した桜咲と忍原が春嵐を押し込んで、試合は南雲原の勝利で終わったのだった。