轟くんの15年ネチネチ
十五年の記録

一年目

 ヒーローとしての活動が始まり、一年が経った。
 最初は何もかもが手探りだったが、今では少しずつ慣れてきた。
 今日もパトロール中に小さな火事があり、消火活動にあたった。大事にはならずに済んだ。
 現場にいた人たちが「ありがとう」と声をかけてくれた。
 その言葉を聞いて、改めて思う。これがヒーローの仕事なのだと。

 お前は、今どこでどうしているのだろうか。
 あの頃みたいに、頑張りすぎていないだろうか。
 俺はまだまだ未熟だが、明日も、明後日も、精一杯やっていこうと思う。

二年目

 毎日が慌ただしく過ぎていく。
 仕事が忙しく、時間の流れがやけに早く感じる。
 こうして日々に追われるのが、大人になるということなのかもしれない。

 ヒーローになって三年目に突入した。
 この一年で、どれほどの人を救えただろうか。
 自分にできることはまだまだ少ない。
 もっと強くならなければ。もっと早く動けるようにならなければ。

 明日は久しぶりの休みだ。
 ちゃんとした食事をしようと思う。
 ……そばばかり食べていると、お前に怒られそうだから。

三年目

 最近、よく夢を見る。
 内容は思い出せないのに、目が覚めると妙に疲れている。

 ヒーローの仕事はやりがいがある。
 やるべきことは分かっている。
 だが、ふとした瞬間に自分がどこへ向かっているのか分からなくなることがある。
 何のために戦っているのかを、見失いそうになる。

 無性に、お前に会いたい。
 けれど、会うことはできない。

 明日は朝から会議がある。早く寝ないといけないのに、なかなか寝つけない。

四年目

 今日は、A組の仲間たちと食事に行った。
 全員忙しいはずなのによく集まったものだ。
 たまにはこういう時間も悪くない。

 「もっと力を抜け」と言われた。
 自分ではそんなつもりはないのだが、知らず知らずのうちに肩に力が入っているのかもしれない。

 久しぶりに酒を飲んだ。
 お前が好きだったラフロイグは、相変わらず癖が強くて苦手だった。

五年目

 パトロール中、ふと花屋の前を通りかかった。
 店先に並ぶ薄紫の花が目に留まる。
 何の花なのかは分からないが、きれいだと思った。

 その色が、お前の髪色を思い出させた。
 お前に似合いそうだと思った。

 花のことは詳しくないが、何本か買ってみることにした。
 店員に聞くと、「紫苑」という名前の花らしい。
 花言葉は――「追憶」。

 胸の奥が苦しくなる。

六年目

 気づけば、この記録も六年目になっていた。
 なんとなく書き始めた日記だったが、もう二千日以上も続いているのかと思うと、少し驚く。

 今日は天気が良かった。
 こんな日には、お前と一緒にコーヒーでも飲みに行きたくなる。

 ……もう、叶わないことだけど。

七年目

 父の事務所から独立することになった。
 不安もあるが、やれるだけやってみるつもりだ。

 ただ、サイドキックが足りない。
 人を育てるのは、思っていたよりもずっと難しい。

八年目

 今日は誕生日だった。
 この年齢になると、誕生日を特別に感じることも少なくなってくる。

 ……お前がそばにいた頃は、そんなことなかったのにな。

 昔、お前がそば粉を使ったモンブランを作ってくれたことがあった。
 あのときは正直驚いた。お前がそんな手の込んだものを作るなんて、思ってもみなかったから。

 味は――
 ……もう思い出せない。

九年目

 今日、戦闘中に頭を強く打った。
 大した怪我ではないが、念のため入院することになった。

 気づけば、昔のクラスメイトたちが何人か見舞いに来てくれていた。
 皆、親しげに話しかけてくれる。

 ――だが、彼らの顔を見ても、名前が出てこない。

 記憶が、曖昧だ。
 俺はヒーローで、事務所を構えていて、たくさんの人を救ってきたらしい。
 でも、自分の名前すら思い出せない。

 それでも、不思議なことに、たった一つだけはっきり分かることがあった。

 ――お前に会いたい。

十年目

 記憶は戻らない。
 けれど、日記をつける習慣だけは続いている。

 なんで書き始めたのかは分からない。
 誰かに言われた気がするが、それも思い出せない。

 ただ、お前に会いたい。

十一年目

 胸の奥がざわざわとする。
 何かを忘れている気がする。
 けれど、それが何なのか分からない。

 こんなに好きなのに、会えないのは苦しい。

十二年目

 今日はやけに静かな日だった。
 仕事を終えて、部屋に帰って、ふと気づく。

 ――無性に、お前と話したくなった。

十三年目

 街で薄紫の花を見かけた。
 きれいだと思った。

 どこか懐かしくて、しばらく立ち止まってしまった。
 理由は分からない。

 ただ、なんとなく、何本か買って帰った。

十四年目

 記憶が戻らなくて苦しい。
 自分だけが知らない世界に取り残されている気分だ。

 お前を好きなことだけは、はっきりと分かる。
 それだけしか持っていない。

 何が何だか分からなくなって、久しぶりに泣いた。

十五年目

 十五年の時が過ぎた。

 その日、轟焦凍は久しぶりに、何も予定のない一日を過ごしていた。外は静かに雨が降っている。窓の外をぼんやりと眺めながら、ソファに沈み込み、開きっぱなしのノートへ視線を落とした。

 十数年分の記録。
 何のために書き続けていたのか、自分でもよく分からない。ただ、手が勝手にペンを取っていた。そこに刻まれた「お前に会いたい」という言葉だけが、いつの頃からか唯一の真実になっていた。

 誰を、そんなに求めていた?

 ページをめくる。淡々とした日々の記録。仕事のこと。仲間たちのこと。

 ――違う。そうじゃない。

 自分はもっと大事な何かを忘れている。
 喉の奥に引っかかった棘のように、それはずっとそこにあったのに、意識を向けることができなかった。
 雨音が遠ざかる。

 その代わりに、何かが耳の奥に響いた。

 ――焦凍。

 誰かが自分の名前を呼んだ気がした。

 不意に、激しい頭痛が襲う。

 薄闇の中で、鮮烈な光景が浮かび上がる。

 戦場。轟煙。崩れ落ちる建物。
 瓦礫の間を駆け抜けてくる誰かの姿。

 必死だった。

 自分の名を叫ぶその声が、痛いほど胸に突き刺さる。

 「……っ」

 こみ上げる息を押し殺しながら、轟は目を見開いた。

 すべて、思い出した。

 お前の顔も、声も、仕草も。
 あの日、俺を庇って倒れたお前の姿も。
 何を考え、何を想い、どんな言葉を交わしてきたのかも。

 記憶がはっきりと蘇る。

 十五年前、お前は俺と同じヒーローで、同じ戦場に立っていた。
 爆発が起きた。
 お前は、俺をかばうようにして――

 そこから先の記憶は、ずっと抜け落ちていた。

 だが、今はもう分かる。

 お前は、そこで命を落としたのだ。

 喉の奥から声にならない嗚咽が漏れる。息が詰まる。震える指先が、ノートの端をぎゅっと握りしめた。

 お前は、もういない。

 この十五年、ずっと隣にいるような気がしていた。
 それがただの幻想だったと分かっていても、なお消えない感覚が残っている。

 ――それでも。

 お前に会えなくたって、見えなくたって、俺はお前を愛し続ける。
 そうしたら、また会える気がするんだ。

 「……お前は、また、いなくなったんだな」

 窓の外、雨は止んでいた。

 雲の切れ間から、静かに光が差し込んでいた。
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