夜の帳の中で

080:夜




「お嬢さん」
 我ながらキザなセリフだ、と自覚しながらもバレバレなミケに近づいた。髪型ですぐわかる。すぐに振り返ったミケはなんの疑いもない目で俺を見て、こんにちは、と笑った。片目だけのレースの仮面が少しずれる。
「はじめま……いや、なんでもない。お一人ですか」
 はじめまして、というのもなんだかおかしな気がして思わず言い淀んだ。ミケはしどろもどろな俺に対して少し疑問を抱きながらも、普通に笑顔で話してくれている。
「あれ、どっかで会ったぁ?」
「……どうだろうね」
 名乗れないのをいいことにはぐらかす。声をかけたはいいが、何をしゃべればいいのかもわからなかった。
「あ、そうだ。一緒に踊りませんか」
 思い出したようにいうと一度面食らったミケは明るく頷いた。もしミケが俺以外のやつとこうやって踊っていたらなんとなく、嫌だと思ってしまう。
「お手をどうぞ」
「はぁい」
 手を引いてミケをエスコートする。こんな経験なんてもちろんないが、クソ野郎にマナーはそれなりに叩き込まれた。周りの様子を見ていればゆっくりな曲なら踊れるだろう。
「下手でも許してくれな」
「いいよぉ」
 両手を取り合って社交ダンスの姿勢になる。ゆっくり、穏やかな曲に合わせて体を揺らした。
 男の姿かつ、目以外は全て隠しているからミケには正体がバレていないと思いたいのだが、妙に勘のいいミケだからわからない。もしバレてたら知らない、で押し通そう。
 ミケが以前、『ダーリンが欲しい』と言ったことをよく覚えていた。俺が男だったら、と悩むことも……たまに、ある。今日はこうしてちょっとだけ男になってミケの前に現れてみたが、ただ男になればいいという訳でもないのだろう。
「休憩しにきたのぉ?」
「ああ」
「なんで……私に声かけてくれたのぉ?」
 なんで、と言われても、ミケだから、としか言えない。返答に困り果てながらも必死で頭を回した。あ、これなら。
「……ダーリンを探してる、って聞いて」
「……え?」
 ちょうど曲が終わる。体を離してお辞儀すると手を引いてフロアの脇へと移動した。
「あー、ヤベェ。俺もうちょっとしたら時間だわ。これ、やるよ」
 大量に飲んだとは言え、薬の効果が切れそうになっているのがわかる。身体中に熱が巡り始めていた。ポケットからトランプを取り出してさっとミケの手に握らせる。
「え、これ……」
「気が向いたらダーリン探しに来いよ。じゃあな」
 もうミケの方を振り返らず、とにかく早足でその場をさった。部屋までノンストップで駆け抜けるだろう。フロアで握ったミケの手の温もりがまだ、じんわりと手のひらに残っている。



「Apple pie?」
「そう」
 知らないクローの生徒に声をかけられて立ち止まった。そう言えば、ミケと一緒にいるところを見たような気がする。彼女によると性転換ができる薬らしい。自分も使うが、余るからあげるというのだ。だいぶ突然のことに驚いたが素直にもらうことにした。やってみたいことがある。
「ありがとな」
「ううん。よかったら使ってや」
 なんで、とかそういう野暮なことは聞かなかった。彼女もまたこれが必要な理由があるんだろう。
「まぁお互い……頑張ろうぜ」
 意味ありげに笑った彼女に手を振って別れた。さぁ、ここからが本番。




クオリアのカード:ハートのジャック
ミケち、ネゴザ先輩(@4673kanata)お借りしてます!
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