泡沫の始まり

010:夢



 午後の部が始まる少し前のこと。
 マスカレードに行こうとしていたのだが、あまりにも中の雰囲気が大人びていたため一度服を着替えようと部屋に戻ってきていた。制服を脱いでいるとすっかり頭から抜け落ちていた小瓶が床に転がる。
 ティアーマットさんによると容量はこの小瓶よりも少ない、小さじ一杯程だという。もともと大瓶に入っていたものをさらに分けたのかもしれない。
 台所から小さじスプーンを取り出し、瓶を振ってからゆっくり中のものを入れる。とくとくと注がれたその液体は特に怪しい面を見せることはなかった。
 少し気が引けるが、勢いでスプーンを口に突っ込んだ。味はリンゴに近いものだろうが、不思議なものだった。そのまま喉を通り、胃に収まる感触がわかる。
 次の瞬間、喉がやけるような熱さを持った。ついで胸、頭、足、やがてその熱は全身へと広がっていく。喉を抑えた表紙にスプーンが床に落ちた。
 熱い、とにかく熱い。唸り声をあげる。セブもオスクロルも今は寝室で寝ていた。毒だったか、いやまさか、ティアーマットさんが俺にそんなものを渡すわけが……。いや、もしかしたら本物に似た偽物? だとしたら……なぜ俺を殺す必要が……!
 そこまで思考が至った頃、体の熱は徐々に引き始めていた。すっかり収まった時、心臓がまだ音を立てていることに安堵する。今のは一体何だったのだろう。
 そのとき、部屋のドアが叩かれた。誰か来たのだろう、体を立て直してドアへ向かう。
「どちら様ですか」
「宅急便です……し、失礼しました」
 商業棟にいる配達員がなにやら箱を抱えてたっていた。素直に受け取るとこちらを見た配達員が慌てて去っていく。一体なんだというんだ。
 ドアの横、室内には姿見を置いている。あまり使うことはないが備品だったから念の為置いているのだ。目の端に映った自分であろうその姿を今度は二度見した。ドアがパタン、と閉じる。
「な……え? なん、だこれ……」
 正確には誰だこれ、だ。インナーとズボンだけしか履いていないその鏡の中の"女性"は俺と同じ色のボサボサの髪の毛を腰まで伸ばし、眼鏡をかけて立っている。胸の大きさは一般よりは大きいほうだろう。男性用のピッチリとしたインナーに押しつぶされ少しだけはみ出ている。
 信じ難い。鏡に手を這わせると鏡の中の女性も動いた。いやまさかそんな。
「セ、セブ! セブ!」
 ダンボール箱を抱えたまま慌てて寝室に駆け込んだ。充電という名の睡眠をとっていたセブをたたき起こす。同時に、騒がしさに目を覚ましたオスクロルが驚いたように起き上がった。
「…………レイ?」
「そうだ。今俺の姿はどうなってる」
 怪訝そうに俺を見つめるセブを両手でつかみ、顔の高さまで持ち上げた。
「私の映写能力が低下、または不具合を生じさせていなければ女性に見えます」
 信じられない。呆然とセブから手を離した。そのまま浮遊するセブが俺の周りを飛ぶ。
 ふと手の中のダンボール箱を思い出す。送り主にはさして何も書かれていない。箱を乱暴に開けると、中から黒い布とカードが入っていた。
『お洋服がないのを思い出したから送っておくわ。サイズの調整は魔法でどうにかしてね』
 最後につけられたハートがなんとも言えない事態を表しているようで、大体把握した。
 要は性転換薬だったのだろう、あれは。ティアーマットさんが美しくなれる、と言った意味がわかった。
「レイ、翼はどちらに」
「翼……?」
 背中に慌てて手をやると確かに翼がない。収納できない訳では無いがそんな魔法を使った覚えもなかった。それすらも消えたのか。原理はわからないが、彼が渡してきたものなら危険はないだろう。
 カードを裏返す。ps.の文字を見つけ読み上げた。
「効果は30分よ。気をつけてね……30分か」
 変貌を遂げてから既に五分は経っているだろう。これでマスカレードに行くならすぐでなくては。
 なってしまったものは仕方ない。容姿も悪いという訳では無いし、服もある。ひとまず着替えようと手を伸ばした。
「……参ったな」
 黒い布を広げると、それは予想通りドレスだった。……のだが。母が舞踏会やパーティーに着ていくのを見たことがあるからこそわかるが、これはだいぶ体のラインが出るデザインだ。
 身長はさして変わっていないようだから丈も問題ないだろう。顔を隠すためのフードとヴェールも同封されていた。準備がいい。
 時間は刻一刻と迫っている。渋々袖を通した。ラインはマーメイドドレスに近いものだが、右太もものあいだまでスリットが入っている。下になにかはかなくては恥ずかしくて歩けやしないだろう。胴体は紫に近い黒の布に多少の装飾が施されているが、腕は透けている。袖の先に丸く指を通すところがあり、中指を通すとうまく袖が張った。
「見違えるようですね」
 セブが感嘆の声を漏らす。ヴェールを取るとしたから黒の低いヒールパンプスが出てきた。本当に準備がいいなと驚く。これだけいい布を使ったドレスならだいぶ値が張っただろう。今度どこかでお礼をしなくては。
「セブ、少しだけでかけてくる。すぐ戻るよ」
 念の為残りの液体が入った小瓶を持ち、パンプスを履いた。なれないヒールに体がグラッと揺れたが無属性魔法で微かに浮かせた。これなら歩きやすい。
「いってらっしゃいませ」
 セブの声を背後に残し、ドアをあけた。一歩カツン、とヒールが響く音が耳に心地よい。



マスカレードへ行こう変身編。ティアーマットお姉様にお世話されまくり。そして少し喜んでる。
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