命とは有限だからこそ与えられるものである。無限とは、決して個に与えられることはない。何故そうなのかは莉蓬も知るところではないが、そうなっているからそうなのだろう。
しかし、無限に近しい個の命があるのなら、きっと人はそれに飛びつくだろう。事実、莉蓬が知るこの日本の歴史のなかでもそうした人々が少なからずいた。莉蓬の故国、慶の官吏にだって、仙になれば不老長寿であれるという野心から官吏になった者も少なからずいるのだから。
どこから話せばよいか。この数時間それを咀嚼し続けたがあまり実になりはしなかった。必要な情報だけを手渡し、混乱を招く無用な情報は切り捨てる。あまりそうしたことが得意でない莉蓬は口を開いては閉じてを数回繰り返した。
「ひとつ、伏せていた事項がございまして」
「伏せていた?」
「ええ。私の戸籍についてです」
少し突拍子もなかったかもしれない。沫雪はかすかに目を見開いて、それから首をかしげた。
確かに異世界の戸籍についてなど沫雪には関係ないだろうし、莉蓬が沫雪に召喚された理由にもなるまい。しかし、莉蓬自身のこととして、伝えるべきではあると思った。
「無用な知識だと思ったのです。特に、この世界にとっては。…話す必要まではないと思っていたのです。ですが、私について不信に思う者もこの本丸には少なからずいるでしょう。ですから、せめてまずは主殿に」
「……一部の刀剣が不信に思うことの理由に、莉蓬の戸籍が関係あると?」
話を纏めるようにしばし考えた沫雪の要約は的確だった。聞く力というものが非常によく備わっている。これは実は難しいことだ。沫雪が訪ねれば、莉蓬は深く頷いた。
「私は慶という国にいました。私が生きた世界とは、慶を含め十二の国とひとつの聖域で構成された世界です」
「ええ、王も十二人でしたっけ」
「はい。戸籍はもちろん、国ごとにあるのですが、種類は共通します」
「戸籍に種類があるのですか?」
「ええ」
莉蓬は沫雪に頼んで筆と紙を取ると、そこにさらさらと字を書き込んだ。
『戸籍』と書き込んだその少し上に『仙籍』『神籍』とならべて書き添えた。
「厳密には戸籍に種類があるのではなく、戸籍に加え、特殊な籍がある、というのが正しいのですがね」
「仙、神?っあ」
莉蓬の字を見た沫雪は見慣れないものだとばかりに小首を傾げる。神籍にしろ仙籍にしろ、沫雪には馴染みがあるわけもない。莉蓬の字をなぞるように見た沫雪だが、その単語に思い至ることがあったようだ。
はっとしたように莉蓬を見た沫雪だが、きっと沫雪が思っていることは違う。莉蓬は首を横に降る。
「ご察しの私は神籍には入りません。神籍に入る人間は国主のみです」
「…となると、景王とか?」
「ええ、非常に特殊な籍で、国主以外の人間が神籍に入ることはありません。末席とはいえ、神となるのです」
「…え、じゃあ、王様って…」
「ええ、年を取りませんし、よっぽどのことがない限り死ぬことはありません」
それは莉蓬のような仙にも言えることではあるが、王ともなると別格だ。その死因たる要素とはほんの数種類で、両手で事足りる。
「ずっと1人の人が王なの?」
「そうです。そのためには主上を支える官吏も同じ年月を生きることが好ましい。良い人材はながくいた方が良いでしょう?」
「もしかして、そのための仙籍ですか?」
明察。沫雪の言葉にうなづくと、莉蓬は苦笑する。全く、こうもするりと話が進んでしまうとは思わなかった。
「ええ。まず、生まれた子供は基本、その国の戸籍を取得します。それが後に役人となり官職と位を与えられれば、仙籍に登録されます」
「それって、登録されると…」
もしかして、と呆然とする沫雪に莉蓬は苦笑して頷いた。
「仙籍を賜るとただの人ではなくなります。まず、年は取らなくなりますね。それから病に罹ることもなくなります。多少の怪我はすぐに癒えますし、極端に怪我を負いづらくなります。普通の武器では傷を負わすこともかないません」
「…それ、つまり仙人ってことですよね…」
「まさしく。私はいわゆる、仙人というものに分類されます。…いや、されていた、か。今は本当に薙刀なのでしょう。…ただ、嘗ての私に関しては、それが正しい見解です」
沫雪も驚いたようで、しばしぽかんとした。それから、あっと何か思い至ったように声を上げる。
「もしかして、ほかの刀剣並に生きていますか…!?」
「人よりは長いでしょう。しかし刀剣としてみればかなりの若輩者ですよ。せいぜい500年程度ですから」
それでも、人よりかははるかに長い。莉蓬が仙になったのが20代の前半か半ばであった。それ故見た目も若いが中身は決して若くない。
ぎこちない表情を浮かべている莉蓬に、沫雪は合点がいったように手を打った。
「莉蓬を見ていると、年が近いようには思えませんでした。中身がとても年上だからなのでしょうね」
「でしょうね。私も、見た目が年若いことをすっかり失念した振る舞いでした」
「まあここにいる者は皆姿は年若いので違和感はなかったんですけれどね」
沫雪の言葉に莉蓬は思わず苦笑する。沫雪の言う通りで、短刀がその最たる例だ。彼らの場合は見た目も相まってか子供らしい性質を持ち合わせているが、稀に見せる表情は子供のそれではない。いっそ加州や大和守など、比較的新しい刀剣の方が子供っぽさを持っているように思う場面もあるくらいだ。
「莉蓬のような仙は多くいたのですか?」
「数としては。割合としては少ないのですがね、やはり民あっての国ですから。珍しくはありましたが、別段囃し立てられるほどのものではありません」
「…だから莉蓬は''人間だった''と言っていたんですね。しかも嘘は言っていない」
「実際、数は少ないものの至っておかしな存在ではなかったですからね。役所に行けば普通にいます」
狭い門の先の職業であることは自覚している。だから、市街で仙だと知られれば畏敬の念を送られたりすることはある。ちょっと面白がる者もいれば、因縁のある者には睨まれたり。しかしどんな職に就いていても同じようなことはあろう。至って普通のことなのだ。
しかし、こんな世界にいては、普通ではない。不老も、怪我を負いづらいことも、簡単に死なないことも。
「下手に言っては争いの種になるのではないか。そう思って、今まで黙っておりました。報告が遅くなりすみません」
「いえ。莉蓬がそれだけ私を信用してくれたということでしょう?私は嬉しいです」
頭を下げれば、沫雪は恐縮したように手を振って、少し照れたように笑う。だがすぐに目を伏せた。
「…でも、そうですね…確かにそうです」
思い至るところは莉蓬と同じ、争いの種になりかねないというところだろう。
「…人は、我々は過去を手に入れた結果、より明るい未来を掴もうとして、戦争を起こしました」
じっと聞いてみれば、沫雪は落ち込んだように両手を重ねた。
「きっと、そんなことを知れば…」
「主殿…?」
「あなたの言いたいことは分かります。政府には報告せぬよう。そういうことでしょう」
きゅっと重ねた手に力が入って、沫雪はしばし口を噤んだ。やるせないように首を横に振った。
「…報せるのは、得策ではありませんね。…莉蓬」
「はい」
「報告いたしません。これは、あなたと私の秘密です」
「本丸の方々には」
「本丸の者にも、伝えるのなら必要に応じて最低限に留めておきましょう」
莉蓬の記憶に秘めておいてもいい事項であることには違いなかった。しかしながら、明らかに見た目年齢以上に歳を食った性格をしている故、訝しむ者は少なからずいた。
別に任務に差し障りないのなら問題ないのだが、そうならない保証もない。だからといってそう公言して良いものか…。考えあぐねて沫雪に相談した。
「ですが、そうですね…、こて…蜂須賀には伝えて起きましょうか。彼は私の近侍を務めてもらうことが多いですし、付き合いも最も長いのです」
「ご心労を増やしてしまい申し訳ございません」
「心労などとは思いません」
まさか、と沫雪が目を見開いた。そんなはずないと驚いた様子だった。
「信頼の証。そうでしょう」
さらりとそう言ってしまえる彼女の、なんと輝かしいものか。
眩しくもない室内で、莉蓬は僅かに目を細めていた。
招かれた蜂須賀はわずかに細めた目で沫雪を見ていた。呆れた様子で腕を組み沫雪の隣に座っていた。
莉蓬の戸籍について話してみれば、その内容には彼は納得しようであるが、突然沫雪が離家の出入りを禁じた件に関しては納得できないようだった。
「そういう事情なら、出入りを禁ずるのは分かる。女性同士、話したいことも無いわけでもないだろう。けどね…」
ため息でもつきそうな顔で蜂須賀が瞑目した。
「突然出入り禁止にされる側はたまったものじゃないんだからね。せめて一言言ってくれ」
「ごめんなさい…」
沫雪が大人しく謝罪したところで、莉蓬は蜂須賀に向き合う。
「私からも謝罪を。私が突然言い出したことなのです」
「そうなのかい。でも、結界を張ったのは主だからね。非は主にある」
「…そう、ですか」
「というか、君の場合もっと気を付けることがあるだろう」
呆れたような声に莉蓬は首を傾げた。しかし、そのあとに続けられた名前に莉蓬は「ああ」と苦笑するより他なかった。
「へし切と燭台切」
莉蓬を監視するように見ている刀剣の、その代表だった。確かに気を付けねばなるまい。