ここは日本である、そして、異世界でもある。そう沫雪は確かに言い、その西暦は2215年だという。莉蓬は内心で顔を顰めた。もし、ここが莉蓬の知る日本だったならば、もっと時代を下ったところにあるはずだ。
少なくとも2500…そう思ったが正確な西暦が分からないので、考えるのはやめた。
沫雪の言う通り、完全に異世界だと思った方が良い。慶東国でもなければ、莉蓬の知る日本でもない、また別の異世界。

「ここはある戦の拠点だと、さっき私は言いました」
「そうですね」
「今から十数年前のことです、人類は時間を遡る術を手に入れました」

それは、と莉蓬は小さく呟いて言葉を切った。とんでもないことである。険しい顔をした莉蓬に、沫雪ひとつ頷いた。

「歴史学者は大喜びしたそうですよ。それまで謎に包まれていた事件や、歴史の闇に葬られた事実を確認できる、と」

ああ、それはさぞ喜んだだろう。しかし、同時に莉蓬は思い至る。沫雪の言う戦というやつに、直接つながるであろうことに。

「ちょうど10年前のことです。歴史修正主義者と呼ばれる一派が、過去の過ちを正すべく過去へ渡り、現代の正義を貫かんといたしました」
「過去が変われば、未来は消える」

莉蓬の言葉に沫雪が目を見開いた。それから、視線を落とす。

「その通りです。未来は無かった事となり、新たなものへとすげ変わる。人々の暮らしの根本は変わりませんが、一部の人達は気付きました。それまで生きていたはずの人が居なくなっていて、居なかったはずの人がいることに」
「なんという…」
「それだけではありません。歴史の変革は、歴史によって齎された恩恵をも変えました。価値観、善悪、生死観、正義観、感情論、道徳。僅かなものではありましたが、明らかにズレていきました」
「意識が、変わったのか」
「ええ、たかが意識レベルでありますが、これは大変なことです。…歴史の偉大なところと言いますか、大きな歴史の転換点やその流れなどは簡単には変わりませんでしたが…放っておけば国際関係だってガラリと変わったでしょうね」

沫雪が切なげに笑う。まだあどけなさを残す沫雪がなぜここにいるのか。それが不思議で仕方がなかった。

「…貴女は、何故そんな戦に身を投じておられるのか」

見た目で言えば、沫雪莉蓬より年下で成人しているかどうかという年頃の女だった。親元で暮らしていてもいい年代だ。それが、何故そんな戦の拠点に身を置いているのか。しかも、その拠点を営んでいるという。
沫雪が苦笑した。しかし答えはすぐには返ってこなかった。

「実は、人は簡単には過去へは渡れません。いえ、渡れますが、時代が拒絶するのか長居はできません。しかし、無機物は違う」
「無機物、といいますと」
「最初はロボット…カラクリなどを使っていたのですが、それでは過去にオーパーツを残すことになる。これも歴史改変です。そこで政府が目をつけた物が2つあります」

すっと沫雪が自分の胸元に手を当てた。

「ひとつは審神者。神職のひとつで、大切にされた『物』の想いを呼び覚まして形を与えます。所謂付喪神、というものをこの世に顕現します」
「付喪神」
「はい」

加州、と沫雪が振り返って男子を一人呼んだ。呼ばれて進み出てきたのは黒髪の男子であった。未だ懐疑的な視線を莉蓬に向ける男子に、沫雪はもう一度名を呼んで諌めた。

「失礼しました。こちらは加州清光。刀です」
「かた、刀?」
「はい。比喩ではなく、彼は間違いなく刀なんです。なので人ではありません。刀の付喪神です。そしてこの刀こそ、政府が目をつけたもうひとつのものです」

良く見れば、沫雪の背後に控える男子たちは皆、長短はあるものの必ず刀を差していた。

「刀とは、古来より伝わる日本固有の伝統文化です。その実用性と神秘性から、実践・神事、様々なところに刀の文化があり、日本人の心に深く根付くものです。人との繋がりが強く、神性を持ち、しかも戦う術でもある」

沫雪が薄らと笑った。

「彼らは刀剣男士。このような人間の争いに力を貸してくださる、刀の付喪神様です」

莉蓬は己を比較的冷静だと思っていたが、今ばかりは冷静になるのは難しかった。呆気に取られて返す言葉を持たなかった。
審神者と刀剣男士。そういうわけで、沫雪は戦の拠点にその身を置いているわけだと理解するのに、かなりの時間を要した。

「ああ、…あなた方のことは分かりましたが…ええと、待って頂きたい…」

納得してから、莉蓬はある不穏な言葉を思い出す。それは、今沫雪の横に座る加州清光が発した言葉だ。

「…その、先ほど加州殿が私に対して薙刀とおっしゃったが…」

沫雪が頷いた。

「今朝、私は薙刀を一振鍛刀いたしました。今までに見たことのない、軽量な美しい薙刀です。顕現の儀は行っていませんでしたが、気付けば薙刀から1人の付喪神が顕現していた。それも、血まみれで」

そこまで言って、沫雪がじっと莉蓬を見た。莉蓬とてそこまで鈍くはない。
話を整理するために、困惑しつつ沫雪を制した。

「ま…待て…待て待て待て…私は薙刀を使った記憶はあれど、薙刀として使われた記憶はないのですが…!」

莉蓬は長年、ひとつの薙刀を得物として扱ってきた。莉蓬は幼い時からずっと薙刀術を学んできたし、つい先日まで政治的な貴人を警護するために常備していた。この怪我の原因だって、その貴人を守護した際に負ったのだ。
そんな薙刀を確かに半身のように常に手入れしていたのは確かだ。自分自身の本体とは到底思えない。

「その、比喩的な表現としての、私が薙刀、ではなく?」
「あなたはその薙刀を依代として顕現した付喪神様…かと」
「神…私は今まで人として生きてきましたが…」

ただの人ではないが。何分、莉蓬は仙だ。不死ではないが不老で、病気をしない。多少のことでは死なないし、傷も負いづらい。現王登極から何百年と生きてきたが、一応は莉蓬は数多くいる仙の中の一人であった。
説明は少々面倒そうだったので、一応端折って人であると明言したが、沫雪は不思議そうにするだけだった。その背後に控える男子たちの顔は険しい。

「人として?」
「ええ…確かに、薙刀を得物として生きてきましたが…」
「だが、君は人の身からは離れた生命力なようだが?」

藤色の髪の男が訝しげに莉蓬に問いかけた。莉蓬も言葉に詰まる。
自分が今負う傷は、常人なら死に至る。それでも今こうして生きていて、しかも動くこともできる。それは莉蓬が仙であるから、といえば答えは簡単だがそれが今の目の前の彼らに通じるかと言われれば答えは否であろう。そうでなくとも、仙がどうだこうだという話はしづらい。どうしたものかと言葉に窮する莉蓬に、藤色の男は肩をすくめるだけだった。
代わりに言葉を発したのは女だった。

「でも、実際そうだと思うんです。だからこそ、ちょっと試したいことがあるんですが…」

言って沫雪はちらりと加州清光と背後に視線をやる。それを受けた加州清光とさっきの男士がうなづいて、ずかずかと部屋に入ってきて莉蓬のすぐ近くに立つ。

「さっきはすまなかったね。しかし、今回も許してほしい」
「大丈夫、傷の治療に行くだけ行くだけ」
「は?」

まさに、言うだけの謝罪だった。言って二人は莉蓬の腕を抱えると、無理やり起き上がらせ、莉蓬を布団から引きずりだした。

「い゛っ!?」
「ちょっと!間違っても手荒なことはしないでね!」
「だいじょーぶ」
「し、信用ならん…」

最初に比べると傷の痛みはマシとはいえ、やはり痛む。顔をしかめる莉蓬に一言謝って、沫雪は心配げに莉蓬を見つめる。しかし男子二人を威嚇はしたが止めることはなかった。

「すみません…ちょっと傷の手入れをさせていただきたいのです。そのためにも、まずあなたについてきてもらいたいのです。…いいですよね、薬研。もう彼女の正体も分かりましたし」
「まあ、そうだな」

二人に担がれながらやってきたそこは、土と石でできた頑丈なつくりの建物だった。中に入ればいくつもの部屋に分かれており、何種類か部屋があるようだった。
莉蓬が連れてこられたのは、『手入』と書かれた札のかけてある部屋で、窯と風呂のような水を張った桶と、何種かの作業台があった。そこに安置されていたのは莉蓬もよく知る、見慣れた得物──薙刀──だった。刃こぼれがひどく、鈍く光る刃の光沢ですらが痛々しかった。

「…今すぐにでも冬府に持って駆け込みたくなる姿だな」

そうさせたのは自分なのだが、やはり痛々しい。長年連れ添った愛着のある薙刀だったので、そんな姿はあまり見たくないものだ。
冬府。そこの官吏を冬官という。造作を司る官で、莉蓬の持つ薙刀を綺麗にしてくれたりもする。

「とうふ?」
「ああ、いや…。で、私はどうすれば?」

話せば長くなるので、適当にぼやかして話をそらした。こんなところに連れてこられたのだ、何かしら意味はあろう。
莉蓬は近くの寝台に下され、ほっと息をつく。そして男士ふたりはそこから少し距離を取った。対して沫雪は近づいてくる。

「お願いします、ちょっとだけ、私を信じてこの薙刀を直させてくださいませんか?」
「…貴女がですか?」

莉蓬に前にかがんでそう問うてきた沫雪の目は本気であった。どう見ても鍛冶を行えそうには見えないので、きょとんとして沫雪を見た。

「正確には、私の式神が、なんですがね。そのあたりはまたあとで詳しく説明いたします。まずは、これを直したい」

式神ってなんだ式神って。妖魔か何かの類じゃなかろうな、と勘繰るも、様子を伺うに違う。しばし悩んだあと、もうかんがえるのも面倒になったので莉蓬は寝台に寝そべって天井を見つめるだけにした。

「──………ああ、好きにしてくれ」
「あっ、ありがとうございます!」

沫雪が嬉しそうに笑った。…実に無邪気で人懐っこい。久しぶりにこんなに見ていて癒される人に会ったかもしれない。莉蓬の周りにはその職務上からか、武骨な人間が多すぎた。主人と仰ぐ慶の王は美しい女王だが、自ら剣を持つ剣豪だ。かくいう莉蓬も、女にしてはかなり武骨で屈強な体格をしている。伊達に死線を超えていないが、初対面の人間には大体男に間違えられるという素直には喜び難い付加要素もある。
ちらりと見た沫雪は御座の上でじっとしている。視線をずらせば、小人が莉蓬の薙刀に近寄って何かをしている様子だった。…もう何があっても驚くまい。ぽんぽんと打ち粉の音を聞いているうちに、痛みを忘れるようなまどろみに襲われた。少しだけうたたねしようと目を閉じた。なんだか疲れた。目の上に腕を乗せて、少しでも回復を早めようとじっとしていることにした。

時間にして、ほんの数分だった。近くで「寝た?」という声がしたので、起きている、と返しておいた。

「もう痛くないでしょ?」
「は?──…っ!?」

思わず腕を上げてそちらを見れば、したり顔の加州清光。跳ね起きた莉蓬の体には、どこにも傷はなかった。痛みもない。
莉蓬は仙だ。故に、傷の治りは常人の何倍も速いし確実だ。しかし、これはあまりにもおかしい。一瞬で治っているに等しい。

「…な、なんだこれは…」
「手伝い札を使っちゃいました」
「へ?」

にこやかに沫雪が近づいてきて、莉蓬の手を取る。それにつられて立ち上がれば自身の薙刀のもとへ案内される。
…きれいに修繕されていた。

「…私は長い間気を失っていましたか?」
「いいえ?…そうですね、そのことについても話したいので、もう少しお時間を下さい」
「…わかった」

なにかよくないことが立証された気がしてならない。莉蓬は粛々と頷くと、気乗りしない気持ちで沫雪と向き合った。

手を