沫雪のもとへ顕現してからひと月あまり。莉蓬も本丸にかなり打ち解けてきた頃のことだった。
「できました莉蓬!」
わあ、と笑顔を花咲かせた沫雪は莉蓬の手を取って喜んだ。視線の先にあるのはこんがりと焼けたパウンドケーキだ。以前助けてもらった知人に渡すのだそうだ。正直作り方も知らなければ、興味すらあまりない莉蓬。それでも厨に立ったのは、ひとえに沫雪の頼みがあったからにほかならない。因みに講師は燭台切が請け負った。
「上出来だよ。あとは主のラッピング次第かな」
「ラッピングなら任せてください!」
するりと莉蓬の手から沫雪の手が離れる。最近特に思うようになったのだが、自分はかなり沫雪に絆されていると思う。沫雪との会話が終わるのを惜しがったり、一緒にいる時間を長くしようとしてみたり。
以前では考えられなかった故に、莉蓬は少々戸惑っている。なんだか自分が分からなくなる。数百年生きてきたくせに、たったひと月で突然このような情を抱くのだから。
「では、私はお暇いたしましょう」
「ええっ!?」
「不器用なもので。ケーキ作りは楽しかったので、またお誘いください」
それだけ言って厨から立ち去った。
立ち去ったときには普段と変わらぬ笑みだった自信はあるが、気分はそうでもない。
釈然としない気分で己の手を見つめつつ廊下を進んで小部屋に入った。小さな居間のように、机とテレビと棚がある。棚に置かれたポットに手を伸ばし、近くから急須と茶葉を取り出すとお茶を湯呑に注いだ。
「なにかお悩みかな?」
「……背後に立たないでくれるか。近い」
「それは申しわけない」
茶を淹れる莉蓬の背後から、男が一人莉蓬の手元をのぞき込んだ。悪びれなく笑って謝罪したのはにっかり青江という長い髪を揺らす脇差だった。この脇差の俗っぽい性格が莉蓬はあまり好きではない。まともに相手をするのに少々難儀する。
にっかりは自分の分の湯呑を取ると、無言で莉蓬に差し出した。淹れろというのか。にっかりを見れば、彼はにこりと笑うだけで何も言葉を発さない。とりあえず湯呑にお茶を注げば、礼の言葉が返ってきた。にっかりは湯呑を持って席についたので、莉蓬はますます行き場に困る。
今、ここで休憩しようと思っていたのは莉蓬だ。そこ苦手な者がいると落ち着けない。というか、一緒にいると苛立ってしまって休憩にならない。
にっかりはそんな莉蓬のことは知らん顔だ。不思議そうに莉蓬を見上げてきた。
「座らないの?」
「ああ、お前は随分と図太い神経をしているな…」
にっかり青江と莉蓬は正しく対極のような性格をしている。規律や道徳に忠実でそこに道があるのだと判断すれば決してそこから外れようとしない莉蓬と、規律を軽んじているわけではないが享楽を求める傾向にある青江。意識しているわけではないが、私欲を表に出さない莉蓬に対し、俗っぽいものが好きな青江はそういう事を抜け抜けと言ってのける。
とはいえ青江も人ならざるもので、浮世離れしていることも確かなのだが、その馬は合うとはいえない。
一応、数回は共に出陣したことがあるが、その時に察しているはずだ、馬が合わないと。少なくとも莉蓬はそう思ったのでにっかりに近寄ることはなかった。
それを思い越しながら、莉蓬が脱力して言えば、にっかりは困ったように笑う。
「ええ?そんなことはないよ。これでも僕、とっても繊細なんだからね」
「そうは思えないが」
「そう見えないようにしてるからさ」
「ああ、そうかい…」
「とりあえず座りなよ」
「そう、させてもらう」
完全に青江のペースだった。勧められるがままににっかりの向かえに座れば、にっかりが背後の小棚に手を伸ばして菓子の袋を取り出した。それは誰の菓子だ。大体は短刀たちの隠したお菓子なので、莉蓬はこうした誰のか分からない菓子には手を出さない。
「これおいしいんだよねー。はい」
「いらない」
「食べなよ」
袋から取り出した銀紙に包まれたものを莉蓬の前に置いたにっかり。突き返す訳にもいかず、莉蓬はただ困ったようにそれを見つめただけだった。
一方のにっかりは銀紙をあけて中のものを取り出していた。カステラのようで、確かに美味しそうに見える。
「で、莉蓬さんは何に悩んでたわけ?」
「私が悩んでいるように見えたか?」
「戸惑ってはいたかなー」
思いの外他人のことをよく見ているらしい。言い当てられた莉蓬はしばし目を見開いてにっかりを凝視した。
莉蓬の反応に満足げに微笑んだにっかりは机に肘をついて身を乗り出した。
「別に悩むほどのことじゃない。すこし不思議に思っただけで」
「へえ?」
「…少しでも主と一緒にいたいと思うか?」
莉蓬にとっては少々聞き辛いことだった。実に子供っぽい質問だと思う。僅かな気恥ずかしさも含めて言えば、にっかりは頬杖をついて首を傾けた。
「刀剣なんだから当然じゃない?」
あまりに明確な答えに、莉蓬はしばしきょとんとした面持ちをにっかりへと向けた。
あっけらかんと言い切ったにっかりも少々きょとんとしているようだった。
「意外かい?僕らには普通だけれどね。だって人に使われてこその刀だもの」
「それは、そうだが」
そうか、と思う。確かににっかりは脇差だ。人の姿をした体はあるが、その本性は腰に差した脇差にある。人に使われてこその刀。実際に振るうわけではないが持ち主である審神者。少しでも一緒にいたいと思うのは、刀剣男士としては当然のようだった。
では、自分はどうなのか。やはり、薙刀を本体としている分、同じように沫雪に執着する節はあるのだろうか。……あるように思う。だからこそ、今自分が実に不思議だったのだから。
「そう言えば、少し前まで人だったんだっけ?そりゃあ不思議かもしれないけどね、君だって薙刀なんだから分からないでもないだろう。違うの?」
「…違わないから困るんだ。どんどん人離れしている気がする…」
そういうことなのか、と理解して莉蓬はがっくりと項垂れた。自分は間違いなく薙刀女士であるのだと再認識させられた。
「人離れも何も、以前はただの人だったってあれ嘘でしょ」
頬ずえをついていたにっかりがさらりと吐いた。
驚いて噎せた。にっかりを見れば、にっかりはにこりと笑んでコテリと首を傾けた。
「分かり易いね、君」
「きさ、ま…!」
自分がいわゆる脳筋と言われる部類の人間なのは自覚があった。考えなしではないとは思うが、考えるのが苦手な性分であることは違いない。しかし、今のはやられたと心底思って、莉蓬は悔しげに歪めた顔でにっかりを見た。
「まあでもなんとなく察してたよ?見た目の年齢的には20代半ばかな?主より少し年上だ。けど本当にそうだとしたら、その割には達観しすぎてて気持ち悪い」
「……気持ち悪いか?」
「気にするところそこなの?」
言われてみればそうだ。見た目の年齢が20代であることをすっかり忘れていた莉蓬。当然ながら、20代の振りをするという思考もすっぽりと抜け落ちていた。
しかし気持ち悪いとまで言われる筋合いはないはずだ。
納得のいかない顔で青江を見るが、にっかりは変わらぬ笑顔だった。
「…ていうか、認めるの?ただの人じゃなかったこと」
「向こうでは普遍的な人間ではあったんだがな。…が、それ、どうせ他にもそう思われてるんだろう」
「まあ大体の奴は思ってるんじゃない?主はどうだかしらないけど」
思わず頭を抱えた。この愚凡な頭を殴りたいと心底思う。
『こちら』の人間にとっては、莉蓬は確かにただの人ではなかった。所謂仙人というやつで、不死ではないが不老で多少のことでは死なないし病気もしない。しかし、少し前までいた慶では、それは別段不思議なことではなかった。むしろ、莉蓬の職種を思えば当然と言っていいことで、常識の違いというやつだ。しかし、これを話せば話はややこしくなるし、最悪争いの種になりかねないと判断して伏せていたのだが、さて、どうするか。
一通り頭を抱えて迷ったあと、莉蓬は諦めて息を吐くと机に突っ伏した。
「…その説明は、必要なかったから言わなかっただけで」
「何それ言い訳?」
「言っておくが、概念としてはただの人間だった。これに違いはない」
「へぇ。嘘はついてなかった、と」
にっかりの言葉が突き刺さる。そう、言えば無用な争いの種になりかねないと思って告げなかった。というか、誤魔化した。…というか、わざと誤解を招かせた。
…自分で思えば思うほどタチが悪いと自覚できた。この本丸の方々には申し訳がない。
「肝心なところも言わなかったみたいだけどねぇ」
「…少なくとも、顕現した時に言わなかったのは正解だったと今でも思っている」
「へえ?」
今でも思うのは、この伏せた事実を顕現の際に口にしていれば、沫雪はそれも政府に告白しただろうこと。あまりいい結果を招くとは思えない。
あくまで人間だった者が、気がつけば薙刀女士であった。伝えるのはこの事実だけで十分だった。
そういう訳でひた隠しにしていたことだが、やはりというか、莉蓬が隠さなかったというか。『何かを隠している』ことはバレバレだったわけだ。
信用は損ねただろうな、と独りごちた。
「じゃあ今なら話してもいいと思えるのかい?」
「政府には嫌だがな」
「ふぅん」
渋々とにっかりの言葉に肯けば、にっかりは意外そうに相槌を打った。頬ずえをついていた姿勢から、少し身を乗り出すように莉蓬に近寄ってきた。
「ちなみに、こうして聞かれなかったら言わなかったかい?」
「まあ言わなかったろうな。…不満か」
「…。べーつーにー」
「心底不満そうだな」
別に、という割に顔は拗ねていた。まあ拗ねた顔をしていたところで、にっかりの場合はそれが本心かどうか測りかねるところがあるのだが。
「主には?」
「申し上げるべきだとは思っているのだが…正直迷っている」
「君が悩むのは珍しいね」
「そうか?」
「普段は迷わない印象があるけれどね。君も一応女性の端くれではあるようだから、相談くらいなら乗るよ?」
「お前今私に喧嘩を売らなかったか?」
「まさか。宗三の方がよっぽど女性らしいなんて思ってないよ。男同士も無理ではないけれど」
「喧嘩を売るのはまだいいが品性の欠片もない発言は慎め!」
だん、と莉蓬が机に拳を突いた。
にっかりが下ネタを発すれば莉蓬は一瞬で怒る。初な性格だとか恥じらいとかそういう感情から怒るのではない。品性がない、場を弁えろ、男同士で話合え。莉蓬がにっかりに言うのは専らそういう事だった。恥じらいもしなければ照れもしない。呆れるでもないので、にっかりとしてはちょっと新鮮なので思わず口にする下ネタ。莉蓬は大概怒る。
「これが神とは信じられない」
憮然と莉蓬が言い放ったが、にっかりは妙に得意げだった。
「酷いな。けっこうすごいことしてるんだから。…刀としてだよ?」
楽しげにニコニコして、全く反省の色がない。余計に莉蓬は苛立つが、にっかりは何処吹く風だ。
「それで?相談くらい乗るってば」
「その品性を叩きなおすまでは貴様には言わん!」
莉蓬はすっと立ち上がってにっかりにそう吐き捨てるなり、早足で退室した。その莉蓬の後ろ姿を見送ったにっかりは小さく笑う。
「堅物だなぁ」
少々荒い足取りで居間を出た莉蓬は廊下を真っ直ぐに北向きに進む。そこは各々の寝床がある区画である。昼間とはいえ夜警のために仮眠をとる者もいるので、莉蓬も一応配慮して足音には気を使っているが、その表情は違う。彼女の盛大なしかめっ面を見た者は近寄りもしなかった。
「だれだ、彼女の顰蹙を買ったのは」
庭で野菜を収穫していた鶴丸が偶然それを見かけて、呆れきった顔をした。近くにいた歌仙も呆れた顔をしたが、その視線は莉蓬ではなく鶴丸に向いていた。
「大方青江だろう。君以外ならそれしかいない」
「俺がいつ彼女の怒りを買った?」
「今朝も彼女の鞘に細工して怒られたろう」
「そうだったか?」
くるりと歌仙を振り返れば、歌仙はちょうど鶴丸から野菜に視線を戻したところだった。
「それより、もうすぐ夕餉の支度もしなきゃならない。さっさと収穫してくれ」
「ふむ。あいわかった!」
歌仙の言うとおり、途中だった野菜の収穫に意識を戻した鶴丸。ちらりと莉蓬を見てみれば、五虎退が話しかけたところだった。普段から引っ込み思案で、すぐに泣くタイプの短刀だが、意外にも度胸はある。たとえば、しかめっ面の莉蓬にも難なく話しかけてしまったり。今がそれだ。思わず感心した鶴丸。鶴丸なら間違いなく回れ右をしていた。
「莉蓬さん!」
廊下かを掛けてきた五虎退が、角を曲がった先にいた莉蓬を見るなり、大声でその名を呼んだ。呼んだあとに、莉蓬の顔を見て「あっ」という顔をしたのだが。しかし気付くのが遅いんだ、五虎退…。
とはいえ、短刀に甘い莉蓬である。しかめっ面は一瞬で消え失せた。が、今度は警戒の色が浮かんだ。
「五虎退殿。……鯰尾殿は」
「いないから安心してください…」
「それはありがたい」
ホッと息を吐いた莉蓬に五虎退もホッと息をつく。鯰尾藤四郎が近くにいるときの莉蓬はこう…疲れている。たぶん鯰尾が莉蓬を質問責めにするからだ。彼は好奇心がとても強い。
鶴丸も強い方なので、莉蓬には何かとちょっかいをかけるが、それが彼女の怒りに触れることは少なくなかった。ちなみに莉蓬は短刀らのいたずらは可愛いものと看做しているのか、多少のことは笑顔で往なす。明らかにデッドボールな質問にも、困った顔をするだけで上手く交わしてしまう。これが脇差以上になった瞬間にピッチャー強襲が返ってくるのが怖いところであるのだが。
「五虎退殿はどうなされた?誰かをお探しか?」
「ああ、はい…虎を…」
五虎退が言いにくそうに視線をそらした。なるほど、とひとつ頷くと、莉蓬はわずかに笑んで五虎退に視線を合わせるように屈んだ。
「ならば私も共にお探しいたしましょう。その方が早く見つかるでしょうし 」
「うう、ありがとうございます…最近ますます隠れるのが上手くなって…」
五虎退の表情が見る間に暗くなっていく。一気に湿度が上昇した気がする。莉蓬は立ち上がると五虎退の頭に手を乗せた。
「大丈夫、五虎退殿ならすぐに見つけ出せましょう」
うん、そんな風に笑いかけてくれたことないぞ俺。
思っていれば、いい加減歌仙に怒られたので、鶴丸はやっと足元の大根の葉に手を伸ばした。うん、大根の煮物が食べたいな。