布団の中にいても少々の寒気を感じ、莉蓬はふっと目を覚ました。慶とは全く様式の異なる木目の天井にもここひとつきで見慣れたものになってしまって違和感も感じない。莉蓬は掛ふとんを頭の上まで引き摺りあげて縮こまった。
──なんだか、気分の悪くなる夢を見ていた気がする。
「くーにーたーちぃーーー!」
室外から元気の良い子供の声がした。見ずともわかる。つい先日鍛刀された博多藤四郎だ。
莉蓬はしばし布団の中で身じろぎすると、肺に生ぬるい空気を入れた。
「入ってい」
「おっしゃー!」
「いよ…」
入室の許可を出しきる前に少々粗雑に襖が開かれる音がした。莉蓬は顔だけを出して博多に目をやって、眩しげに目を細める。襖の向こう側は縁側になっていて、普段ならば庭が良く見えるのだが昨日雨戸を締め切って就寝したために少々薄暗かった。それでも眩しく見えたのは博多が太陽顔負けの笑顔で莉蓬を見ていたからか。
「姉ちゃん早う!もうすぐ朝餉ん時間たい!」
「ああ…」
実を言うと、朝餉の時間は刀剣によりまちまちである。食堂形式で、8時半までに食べよという規則があって、それに則って朝食をとる。稀に朝食を取らない刀剣がいるが、そうした刀剣は例外なく燭台切に怒られるのでほとんどの者はちゃんと朝餉を摂る。
ちらりと時計を見てみれば時刻は6時まであと少しという頃だった。息をついて莉蓬は体を起こした。
廊下を歩いていれば、窓のある区画に入った。そこから外を見てみれば、そこは一面の白に埋め尽くされていた。
「…降ったのか」
「雪んことか?今日な、みんなで雪だるまば作るとよ」
「完成したらぜひ見せてくれ」
「よか!楽しみに待っとって!」
着替えを済ませて、水場の冷たい水で顔を洗っている間も博多は莉蓬の隣で始終ニコニコと控えていた。どうしてだか莉蓬は博多にやたらと懐かれている。おかげで莉蓬は出陣は岩融と2人が多かったのだが、そこに博多が加わるようになった。顕現で近侍を務めたのが理由かとも思ったが、周囲が言うには、そういうわけでもないようだった。
「国断ねーちゃんほんまに朝によわかねー」
「正直助かってる…」
この本丸にいると、莉蓬は妙に落ち着いてしまう。特に自室にいるときは緊張感に欠けるので困る。
こうしたなかの博多の訪問には、最初こそ莉蓬も慌てて取り繕っていたものだが、数日すればやめてしまった。そうしているうちに、先のように博多も一応入室の許可を伺うものの半ばその返答は聞かなくなってきていた。とはいえ、博多のおかげで朝餉に遅れるということがないのも確かだ。
「雨戸あけよー雨戸!」
「でも、他に寝てる者が」
「ええたい!国断ねーちゃん美人やから誰も怒らん」
「あのな…」
どう考えても怒るだろう、と少々呆れる莉蓬。しかし既に博多が雨戸を開けに戻り始めたので、慌てて莉蓬も追いかけた。
説得の末、莉蓬の寝室周りだけ雨戸を開けることとなった。雨戸をあければ、刺すような冷たい空気が舞い込んできて、どこか朧気だった莉蓬の思考もキリリと張り詰めてきた。吐く息は真っ白に染まり、その外気温を知らしめていた。時間は6時で、外は明るいもののまだ夜の余韻を残している。
庭の雪景色を目の端に置きながらぐいぐいと雨戸を押し開いていれば、音を聞きつけたのか隣の部屋を寝床とする大和守が寝間着のまま起き抜けてきた。
「まだ6時なんだけど…」
「あー…すまない」
莉蓬を睨むように見ていた大和守だが、その横にいた博多を見て納得したように目を据わらせた。
「お前が原因か」
「もー朝たい。さっさと起きた方がええよ?」
「あーあ。もう」
あきらめたようにため息をついた大和守が下した髪を手櫛で整えながら引っ込んでいった。それを見た莉蓬はふと視線を博多に移した。
「…この部屋の前も開けよっか」
「そやね!」
相変わらず早いねえ、と感心したように言うのは燭台切だった。
「博多が毎朝起こしに来るからな…」
「博多君莉蓬さんのこと好きだねぇ」
「ふふーん」
やはり顕現に参加したのが関係あるのだろうか、と得意げな博多を一瞥した。博多は上機嫌で朝の豆腐サラダを盛り付けていた。
「おはよーございまーす!朝から早いねぇ」
明るく軽やかな声が厨に響いた。沫雪である。おはよう、と各々返す燭台切と博多に続き、莉蓬も朝の挨拶を済ませた。
そのあとは4人で支度を整え、7時前には自分の分を器に移し始めていた。
「そういえば主殿、今日の出陣予定はすでに決められておられるのか?」
席について食事をしていた最中、莉蓬は思い至ったように沫雪にそう質問していた。博多は起きてきた他の短刀の元へいき、燭台切は夜警明け以外の刀剣を起こしに回っていた。
沫雪は口に含んでいた茶碗蒸しをこくりと飲み込んできょとんとした。
「まだおおざっぱなので、もう少し練る予定です。…どうかしましたか?」
「今日は私を近侍にしていただきたいのです」
「え?」
驚いたように目を見張った沫雪に莉蓬が苦笑すると、彼女も何かを察したようだった。わかりましたと一言返してきた。
「国断ねーちゃん!一緒に雪だるま作ろ!」
「申し訳ありませんが、莉蓬は今日は私の近侍をしていただく予定なんです。出来上がった雪だるまを見せてやってください」
「ええー!!国断ねーちゃんとられたぁあ!」
「こら博多、大将を困らせるな」
「ぶーー」
ドスリと莉蓬に博多がのしかかった。持っていたのが味噌汁ではなく茶碗蒸しでよかったと心底思う。
少し離れたところから飛んできた薬研の叱責も、博多の耳にはあまり届いていない様子だった。ぐりぐりと莉蓬の背に頭を押し付けている。
「食事中に暴れるな」
「ごめんちゃい」
反省しているのか、と疑う謝罪をして、博多はするりと莉蓬から離れていった。それを見送っていると、沫雪がくすくすと笑いを漏らした。
「まるで本当の姉弟ですねえ」
「可愛いとは思うのですがね…何分きちんと叱ってやれる性分でもないので、姉としては失格でしょう。しかも、世話を焼かれているのは私です」
「そうでしょうか?出陣の際にはよく博多を叱咤指導しているらしいじゃないですか」
「でなければ折れてしまいかねないでしょう。彼がその時・この先折られることがないように、その時相応しい者が教えてやるのが一番良いでしょうし」
それとこれとは話は別だと言わんばかりの莉蓬に沫雪は苦笑する。
普段は温厚な莉蓬も戦場では短刀相手でも怒号を飛ばす。それは未だ戦い慣れない博多を守り、この先一人でも戦えるようにと育てる意図あってのことなのは明白だ。それでもこうして面倒をみたりしていると立派に姉というか、むしろ親のように見える。だからこそ慕われているのだろう。そんな沫雪の考えなど露知らぬ莉蓬は改めて茶碗蒸しを口に運んでいた。
朝餉のあと、沫雪は一度書院に籠って本日の行程予定表を改めた。大量の木札の入った籠を持って朝餉を食べていた大広間に戻り、所定の看板にその木札を掛けていく。一枚一枚に本丸内にいる刀剣の名が書き込まれていた。
「え、ええええっ!?今日の近侍俺じゃないのぉ!?!?」
看板の『近侍』と書かれた枠内には、木札を掛ける金具は一つしかない。つまり、近侍は基本、1日にひとりと定められている。
莉蓬を引き連れた沫雪が大広間に戻った頃には、既に多くの刀剣が食事を摂りにきていた。そうした中で、沫雪が第一部隊、第二部隊…と木札をかけていき、内番も決まった最後に、己の近侍部分に『国断莉蓬』の木札を掛けた。その瞬間に声を上げたのは加州清光だった。
「はい、今日は莉蓬です」
語尾にハートでも着きそうな笑顔で言ってのけた沫雪は、莉蓬を引き連れてさっさと書院に足を戻す。
「納得行かないいいい!普通なら今日は俺じゃん!」
「大丈夫ですよ、加州が嫌なのではありません。本当ですよ。今日は女の子同士がいいだけです」
「う…本当に?」
「本当です。加州を可愛くないと思う日なんてありませんもの」
「わ、わかった、明日は俺だからね!?」
「その前にあなたは第一部隊の隊長を勤めてもらいますので、あとで書院までいらしてくださいね」
上手く往なすものだなぁ、と思わず感心した。普段はぼんやりとした言動が目立つ沫雪だが、彼女は刀剣の性格や癖、性質といったものを実によく理解している。その扱い方、何が良くて何が悪いかも把握していることが会話の端々にみられる。彼女は列記とした「持ち主」だった。
沫雪の言付け通り、午前中すぐに加州が沫雪の書院に参り、続いて第二第三と四部隊のすべての隊長が書院に揃った。時間にして30分ほどと短い時間だが、緊密に出陣の内容が談義され、細かい方針が定められた。
10時には各々の隊が出陣となる。
彼らを見送った沫雪と書院に戻ったあと、「さて!」と沫雪が気を取り直したように声をあげた。雪がまた降り始めていたので、書院の引き戸を閉じていた莉蓬は不思議に思って沫雪をみた。彼女は押入れから座布団を一枚引っ張り出して、それを机の前に置いて整えた。
それをぽかんを見つめる莉蓬に、沫雪はこてりと首をかしげる。
「何かお話があるのでは?」
話があって近侍を申し出たことは沫雪にも伝わっていた。しかし、こんなにもサラリと話の場を整えてくれるとは思わなかった。
しばしきょとんとした莉蓬は、周囲をキョロキョロとして周りに何者かがいないかを確認してしまう。
「結界を張ったので他の者が来ることはありませんよ」
その様子を見た沫雪がくすくすと笑いを漏らして言う。いつの間に、と沫雪を見れば、沫雪は得意げに笑うと今一度本丸の方へと目を向けた。
「本丸はその用途から、刀剣を中心とした構造をした造りをしています。どれもこれもが刀剣たちの居心地や住まいやすさを考え抜いたものです」
「そうか?」
「ええ、純粋な和風のこの家屋の造りからもそれが察せられましょう。ただ便利な住まいとしてならば、様式の建物でも良いのです」
言われた通りだ。確かに、使いやすさを追求するならば様式でもなんら問題は無い。
「しかし、審神者の領域は違います。本丸は刀剣のための空間ですが、審神者の領域だけは、その名の通り審神者のための領域です。ここは私がすべてを司る。私が入るなといえば、誰も入れないのです」
「だ、誰かに結界を張ることは話されたか…?」
「いいえ?」
今は誰も入れません。
そう名言した沫雪に、莉蓬はいっそ呆れたような気分になって頭を押さえた。少し前から思っていたが、彼女は存外強かだ。
でもってほかの刀剣に何も知らせずこういうことを唐突にやる。本丸の中とはいえこれでは蜂須賀も気が休まるまい。蜂須賀は度々沫雪に対して過保護に思える言動があるが、なるほどこうした言動が原因か。
「…できるだけ手早く済ませます」
「お気を遣わずに」
「いえ…」
私が文句を言われるかも知れない。そう思いながら莉蓬は沫雪の前に敷かれた座布団の方へと足を向けた。