「…ねぇ、今の名前、おかしくなかった?」


ここにいる俺達全員に問うように不二が言い、それに大石が頷いた。


「そうだな…てっきりストレートに打つかと思ったんだけど…」


どう思う?手塚。
大石にそう聞かれ、俺はじっと苗字を…正確には、彼女の右足を見つめた。


「………」


何も知らない者からしたら普通に見えるだろうが、リターン位置に戻る彼女の歩き方は僅かに右足を庇っているように見える。
絶対止めないでね、という彼女の声が頭をよぎった。


「俺には、名前は躓いたように見えた。が、……これは憶測でしかないが…」


乾の声が届き、ざわりと心臓が揺れる。
それ以上言うな、


「彼女、右足を痛めていないか?足首か、膝か…僅かに庇っているように見えるね」


自然と眉間に力が入った。
驚く声が左右から聞こえ、大石が俺の肩を掴んだ。


「て、手塚!止めた方が…!」


"絶対、止めないでね"


「………」
「手塚!!」


出来ることなら俺も止めたい。
だが、止めてはいけない。
彼女のためにも。


「大石」
「な、なんだ…?」
「今は余計な口出しはするな。あいつの、ためにも」
「…手塚…?」
「手塚、君は何か知ってるのかい?」


隣から刺すような視線がこちらを見上げている。


「この打ち合いが終われば…」


俺は一度目を閉じ、そして再度彼女へと視線を向けた。


「恐らく、本人から話してくれるだろう」



* * *



予測不能にふいに痛む右膝を庇いながら英二のネットプレーを止められることはなく、このゲームは英二に取られてしまった。
思うように動かせない足に憤りを覚えるのとは逆に、嬉しそうに跳ねる英二を見ているとなんだかむしろ微笑ましくなってくる。


『っはは…いいなぁ…』
「え?名前、なんか言った?」
『んーん、なんでも!』


ゲームカウント1-1。
今度は私のサーブだ。
3ゲーム先取、とは言ったものの、そこまで膝がもつだろうか。
もう動かすのもやめてから随分経つもんなぁ…暫く休憩していた分もうちょっともってくれると思ってたんだけど…
あまり長引かせて負担をかけ続けるのも良くない。
それに、久しぶりだから色々試したいことがたくさんあるのだ。


『英二』
「にゃに〜?」
『頑張って返してね』
「へっ?」


前方へとトスを上げた。
腕全体をしならせ力強く振り抜けば、ボールは真っ直ぐ英二のコートへ向かっていく。


「スライスサーブか!でも…!」


にぃっと笑った英二がラケットを引く。


『そこじゃ届かないかな』
「!えぇっ!?」


バウンドした球は軌道を逸れ、コートのサイドへと低く飛んでいった。


「うっそぉ…」
『15-0。次、いくよ』


ラケットを構えれば、英二は慌てたようにリターン位置につく。
先程のサーブを見越した、ほぼセンターの位置だ。
ボールを高く放り、同じサーブを打った。


「うっ!?」
『惜しい!もうちょっと!』
「うぅ…やなサーブだなぁ…!」


でも…と、英二がこちらを見据えるのと同時にまたサーブを放つ。


「跳ね際を打てば…!」


軌道が大きく逸れる前に、英二のラケットにボールが当たった。
しかし、その回転量のせいで打ち返された球は大きく右に逸れ、完全にアウトの位置へと落ちた。
だぁぁー!と悔しがる英二だが、恐らく次はもうしっかりと返してくるだろう。


『40-0。次は、どこに跳ねると思う?』


私の言葉にピクリと英二が反応した。
ボールを横から持ち、指先で弾くようにトスを上げる。
内巻きの縦回転がかかったボールへ、更に回転を与えるようにラケットを振り抜き、前へ走った。
ラケットを引き、じっとボールの軌道を読もうとする英二の前でボールがコートへ落ちる。
ボールは、ほぼ真上へと跳ねた。


「っ…これくらい…届くもんねっ!!」


持ち前の瞬発力を活かし、前方へと大きく踏み込んだ英二がボールを返した。
このサーブは、相手の一瞬の隙をつくことが出来る。
英二が球を返す頃には、私はもうネットについていて、


『次はどこでしょう?』


とん、と優しく面に当てたボールは、英二のフォアサイドのコーナーへと緩やかな弧を描きながら飛んでいく。
片足を軸に、バネのようにぴょんと飛び出した英二は難なく球に追いつくが…


『っふふ、跳ねませんでした〜』


コーナーに落ちた球はその場でしゅるしゅると回転し、そのまま跳ねることなく動きを止めた。


「そ…そんなのアリ…?」
『これで2-1だね』


体の使い方、ラケットの振り抜き方、手首の角度……全部、嫌なくらいにちゃんと覚えてる。
キリキリと痛みの余韻を残す右膝に僅かに眉が寄るが、なーなー、という英二の声にすぐに顔に笑顔を貼り付けた。


「名前って、こーんなに上手いのになんで女テニに入らなかったの?」
『…うーん、』
「なんでだろ〜?はナシだぞ!」


むっと眉を寄せた英二が拗ねたように睨んでくる。
私は苦笑し、少し思案してから口を開いた。


『そうだなぁ……英二みたいに、自由に楽しそうにテニスをしている誰かを、見たくなかったからかな』
「…?それって、どういう…」
『次は英二のサーブだよ。絶対ブレイクしてやる』


ぴしりとラケットを英二に向け、にやりと笑ってから、彼に背を向けた。
もう少し、もう少しだけ、もってくれ。


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