シャンプー 春休み中のおはなし


春休みが始まってすぐのとある日。
部活を終えて帰宅すると、玄関に見知らぬ紙袋が置かれていた。
見るからに高級そうなそれを不思議に眺めながら靴を脱いでいると、奥からおばあちゃんがおかえりと出迎えに来てくれる。


「ただいま。これ何?おばあちゃんの?」


紙袋を指しながら聞けば、おばあちゃんはいいえと首を振った。


「名前ちゃんが部活に行ってる間に届いたのだけど、宛名が名前ちゃんだったからここに置いておいたのよ」
「…え、私?」


全く覚えのないそれに首を捻る。
どこかに何かを頼んだ覚えもなければ、両親からアメリカから物を送るとも聞いていない。
恐る恐る紙袋へ手を伸ばす私におばあちゃんは、


「見たことの無い届け業者だったけれど、"景吾様より仰せつかっております"とお伝えください、って言っていたわね…どなたから?」


はっと目を開いた私の視線はすぐにおばあちゃんから紙袋へと戻った。
景吾様、なんて、思い当たる人物は1人しかいない。
不安そうに私と紙袋を見守るおばあちゃんに、へにゃりと眉を下げて笑いかけた。


「あー、分かった。ちょっと前に突然家に来た氷帝学園の男の子達、覚えてる?」
「あぁ、あのかっこいい2人ね」
「あの金髪の方だよ」
「あら、あのとっても物腰の柔らかい良い所の子みたいな方かしら」
「……たぶん、そう」


とっても物腰の柔らかい……?


「良い所の子みたい、じゃなくてホントに良い所の子なんだよね…」


跡部財閥の御曹司なんだって、と苦笑すればおばあちゃんは、あらまぁ、と口元を抑え驚きに目を開いた。

部屋に戻った私の手には、私には到底釣り合わない高級そうな紙袋。
一旦身支度を整えてから、緊張と共に慎重にお洒落なテープを剥がした。
中から出てきたのはこれまた高級そうな箱で、見たことの無いブランド名か何かが箔押しされたそれのリボンを解けば、その中には数本のボトル。
その上にはお洒落なメッセージカードが添えられていて、


先日世話になった礼だ
      K.Atobe


恐らく直筆であろうそれに慌ててスマホを手に取り、メッセージアプリで彼の名前を探した。
メッセージにはすぐに既読が付き、こちらの都合を尋ねてくる返信に問題ないと返せばスマホの画面が着信へと変わる。


「もしもし…!」
「"よう。無事届いたみてぇだな"」
「あ、ありがとう…じゃなくてね!?」
「"アーン?不備でもあったか?"」
「いやっ、そうじゃなくて…!」


しどろもどろになりながらもとりあえず再度感謝を伝えれば、景吾はフンと満足そうに笑った。


「"俺様の髪がいい匂いだとか言ってただろ。気に入ったらいつでも言え。また送ってやる"」
「え、えぇ…?」


というと、あの時景吾が纏っていたあのいい香りのするシャンプーとトリートメントと、たぶんヘアオイル的なもののセットなのだろう。
ちらりと見下ろすボトル達に、一体いくらするんだろうと考えたけれどすぐに考えるのをやめた。


「でもこんな高そうな物貰っていいの…?サポーターも貰って、整体師さん達のお世話にもなって、ご飯まで頂いて、しかも家まで送って貰って……お礼をするのは私の方なのでは…」
「"気にすんじゃねぇって言っただろうが。そもそもお前を無理矢理連れて行ったのは俺様だからな。アフターケアもそうだが、このくらい礼にも詫びにもならねぇだろ"」


やっぱりこの人は生きてる次元が違うと思う。
とはいえやはりどこか後ろめたさはあるもので、うーんと唸っていると景吾は低く笑い、


「"なんだ?別に欲しい物でもあったか?言ってみろ"」
「いや違うよ!?どうしてそうなるの!?」
「"冗談だ"」
「冗談に聞こえないんだけど!?」


侑士も仄めかすようなことを言っていたけれど、景吾の前ではおいそれと願望を口にしてはいけないと改めて自信に言い聞かせた。

ほぼ私が感謝を伝えていただけのような気がする通話は、景吾の、感想待ってるぜ、という期待を含んだような言い方の言葉で終了した。
真っ暗になったスマホの画面から、机の上に広げられた高級な箱へと目線を落とす。
折角だし、早速今夜使ってみようかなぁ。



* * *



驚いたのは、一晩経った朝でも髪からしっかりとあの時のフローラルな香りが漂ってきたことだった。
しかもたった一度しか使っていないのに、髪のまとまりが全然違う。
これが身辺にお金を使うということか…

いつもと違う髪質、漂う香りに感動しながら部活に向かう道すがら、やっぱりあの交差点でこちらに顔を向けている国光の姿が目に入った。
少し早足になりながら彼に近づいておはようと声をかければ、国光も簡素な挨拶を返して2人並んで歩き出す。
数歩歩いたところでふと国光がちらちらと私を気にするような素振りを見せ、私はどうしたのかと彼を見上げた。


「どうかした?」
「…いや、…変なことを聞くが、香水でも付けているのか?」


あぁ、と納得した私の手は笑いながら自然と頬にかかる髪を掬い、


「香水じゃなくてトリートメントとヘアオイルだよ。昨日突然景吾から家に送られてきて…」


ぴくりと国光が身動ぎ、…跡部か…?と眉間に皺が寄る。
かくかくしかじかで、と事の顛末を説明すると、国光はなんとも言えない顔でそうかと小さく呟いた。


「やっぱりお金がかかると違うもんだよねぇ…凄いとは思うけど、うーん…ちょっと景吾には悪いけどそんな簡単に使えないかなぁこれは…ってのが使ってみた感想」
「…そうか」
「高級そうな匂いだし、景吾に貰ったセットは出掛ける時とか大事な日だけに使おうかなって」


そう苦笑すれば国光は少しの間黙り、それからまた私をちらりと見下ろしてすぐに視線を逸らした。


「…俺は、前の香りの方がお前らしくて良いと思う」
「あはは、前のに慣れてるってのもあるけど、私も普段使いでこの匂いはちょっとそわそわしちゃうかも。それになんかほいほい使うのも勿体ないし」


凄くいい匂いだし髪質もサラサラになるから有難いんだけどね、と言えば、唐突に国光から普段使いしているシャンプー名を聞かれた。
品名を答えてもハテナを浮かべる国光に笑い、スマホで画像を検索した画面を見せた。


「これこれ」
「あぁ、スーパーや薬局でも見たことがある」
「これも結構髪にいいんだけどねぇ」


別に嫌味でもなんでもないけれど、住む場所の違いを思い知らされたような気分だと冗談めかして笑えば、国光は徐にスマホを取り出してなにやら画面をとことこと叩き始めた。
歩きスマホしてる国光なんてレアだなと横目で見ていれば、スマホをしまった国光は特に何を言うわけでもなく真っ直ぐ前を向いたまま歩いていく。


「…え、なになに?どしたの?」
「母さんがそろそろシャンプーを変えたいと言っていたのを思い出した。だから、お前が使っているシャンプーを勧めておいた」
「え」


そんな簡単に決めていいものなのかと焦る私に、俺も使うから大丈夫だとよく分からない返答。
何が大丈夫なのか分かりません。



* * *



その日の夜、景吾にも国光に話したものと同じような内容の感想を送った。
景吾は特別な日に使うならもっといい物を送ってやると言っていたが、一旦丁重にお断りさせて頂いた。

また、数日後、隣を歩く国光から慣れ親しんだ香りがうっすらと漂ってくることになる。
そして、私と国光から同じシャンプーの匂いがすることにいち早く気づいた周助や貞治を中心に盛り上がる界隈があることを、私も国光も知ることは無かった。


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