連絡先も交換し、一息ついたところでいつの間にかぬるくなっていた紅茶を口に運んだ。


「あぁ、長く話してごめん、冷めちゃったよね」
『んーん、冷めても美味しいし、もう残りも少ないから大丈夫』


何飲んでるの、と聞かれて紅茶だと答えれば、彼はほわりと頬を綻ばせた。


「紅茶が好きなのかい?」
『そう、だね。よく飲むし、好きなのかも?』
「俺、家でハーブを何種類か育てていたんだけど、それをハーブティーにするのが好きなんだ」
『へぇ、なんか精市にピッタリだね』
「名前にも飲んで欲しいな。味は保証するよ」


確かに、精市が入れてくれるハーブティーは聞いただけでも美味しそうだ。
いつかご馳走する、という約束もして、私達は院内に戻ることになった。


「そう言えば、名前はどうして病院に?」


また会いに来るという約束の元、病室の場所を覚えるために精市を部屋まで送り届ける途中、ふと彼が私に尋ねた。


『おばあちゃんが胃腸炎になっちゃって、そのお見舞い』
「胃腸炎か…大変だね」
『でも元気そうだったから良かったよ』
「早く良くなるといいね」
『精市もね』
「…ふふ、そうだね」


彼の部屋に着き、ベッドに座る彼を見届けてから改めて部屋を見渡した。
卓上カレンダーと花瓶、そして部屋の隅にぽつんと置かれた、畳まれた車椅子……

くすりと精市が笑った。


「何か面白いものでもあったかい?」
『ぇあ!?ご、ごめんじろじろ見ちゃって…!』
「構わないよ。これから名前が来てくれるなら、何か遊べるものでも用意しておこうかな」
『いいよそんな…!』


慌てた私に精市が更に面白そうに笑う。
…と、コンコン、というノックの音。


「幸村くん、…あら?」


ドアを開けた看護師さんが、私を見て首を傾げた。
ぺこりと頭を下げた私に、後ろから精市が、友達です、と看護師さんに言う。
なんか擽ったい気分だ。


「そうなの、可愛らしい子ね。彼女さんかと思っちゃった」
『えっ』
「あはは、残念ですけど違いますよ」
『ん…?』
「あらあら」


くすりと笑みを漏らした看護師さんは、そろそろ検診の時間よ、と優しい笑顔のまま精市に告げる。
はい、と返事をした精市が、座ったばかりの体を持ち上げた。


「今日は調子が良さそうね。お友達効果かしら」
「ふふ、そうだと思います」


精市と共に看護師さんの後に続いて病室を出れば、彼がくるりと私に向き直った。


「じゃあ、またね」


微笑む精市に改めて、綺麗な顔だな、となんとも場違いな思いが頭をよぎる。


『う、うん、またね』


こちらに背を向け、看護師さんに連れられて歩き出す彼の名前を呼んだ。
優しい顔が、少し不思議そうな色を含ませてこちらを振り返る。


『行ってらっしゃい』


ぽかんと私を見つめた精市は、すぐに可笑しそうに笑って、


「行ってきます」


と、また優しい微笑みを返してから私に背を向けた。



* * *



行ってらっしゃい、かぁ。
その言葉一つで、好きじゃない検診も行く気になれるなんて思ってもいなかったな。
いつもより軽くなった自分の足取りに、それだけじゃないと小さく頭を振った。
今日はなんだか体全体が軽くなったような気さえする。
話せば話すほど、彼女は不思議な存在だと思った。

最初はただ、彼女のあまりにも儚げな様子が気になって声をかけただけだった。
患者衣は着ていなかったものの、病院にいるということは少なくとも何かしらの訳があるのだろうと。
今になって思うのは、もしかしたら俺と同じ境遇かもしれない、なんて淡い期待を込めていたのかもしれない。

名前を聞けばそれは自分が一方的によく知る名前で、事実確認をすれば彼女は驚きつつもそれを肯定した。
本当に、あの"傀儡師"と呼ばれていた彼女に、まさかこんな所で会えるなんて思ってもいなかった。

雑誌からは掴めなかった彼女の過去を聞いた時は、まさに全身から怒りや悔しさが湧き上がった。
大好きなテニスの道具で未来を奪われたあの時の彼女の絶望は、どれほどだったのだろう。
彼女はあの記事以降コートから、そして同時に雑誌からも姿を消してしまった。

屋上で彼女は、テニスから逃げた、と言っていたが、そこまで追い込められていた彼女を救ったのが青学のテニス部だという事実にだけは目を背けたくなった。
もし彼女が立海に入学していたら、今頃彼女はうちでマネージャーをしてくれていたのだろうか。
…いや、そもそも立海に入学する気がなかったんだ。
彼女がまたコートに立てるようになったのは、悔しいけれど青学に入学したからこそなんだろう。

違う学校に通いながらもこうして出会えたのは、奇跡だと言っても過言では無いと思う。
しかもその彼女と友達になったなんて、柳や丸井辺りが聞いたら羨ましがるだろうな。
仁王も興味無さそうなフリをしているけれど、他の部員が彼女の話をしている時はじっと耳をすましているのを俺は知っている。
改めて、すごい人と友達になれたものだと、あの時の自分の行動力を褒めたいくらいだ。

……だけど。
結局、声をかける前に彼女が見せていた表情の理由は、聞くことが出来なかった。
いつか聞ける日が来ると願うばかりだ。
今日俺の胸を暖かくしてくれたお返しが、いつか彼女にも出来ますように。


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