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一度ラケットを手放した私は、国光を初めとする彼らのおかげでまたラケットを握ることが出来た。
暖かい彼らのために、私に出来ることを精一杯やって、しっかりと後ろから彼らを支えようと思った。
そんな中、ひょんなことから部活でレギュラー相手に打ち合いをするようになり、日々成長する彼らを相手にまたコートに立てることをとても嬉しく思っていた。
けれど、
「分かってたはずなんだけどさ、強くなってく皆を見てると、やっぱ考えちゃって…私はもう、皆みたいに自由にコートを走れないんだよなぁって。いくら球の威力や速さが上がっても、いくらボールに回転をかけても、私はもうあの頃のような試合は出来ない」
いつか皆、私なんか軽く超えて、更にもっと上へと登っていくのだろう。
それはとても嬉しいことであるはずなのに、嬉しさと同時に寂しさや悔しさ、羨ましさ、なんともやりきれない気持ちで一杯になる。
そんな思いで彼らと一緒にいることへの申し訳なさも相まって、この所悶々とした日々を過ごしていた。
「まだアメリカにいた時にね、ラケットバッグの内側に"Victory or nothing"って書いてたの」
「…勝利か、無か?」
「うん。負け=無、絶対に勝つ!って思いで書いたんだけど、日本に戻ってマネージャーをやるって決めた時に"Victory or advance"って書き換えたんだよね」
「アドバンス…?」
「勝利か、前進か。負けは無じゃない、その先にあるのは前進のみ、ってことで書いたんだけど…」
停滞しちゃった、と申し訳程度に笑って見せれば、なんとも言えない不安そうな顔がこちらを見つめ返してきた。
「なんだろうね、焦ってるのかな。やっぱラケットを持つとあの時を思い出すから、負けたくないって気持ちになるんだよね」
今はまだなんとかなってはいるが、私が彼らに負けるのも時間の問題だろう。
あの中の誰かが私よりも上へと進んだ時、私は心からその人を祝福出来るのだろうか。
「…ってことをずっと考えてたんだけど」
突然明るくなった私の口調に、精市はぱちりと瞬きをした。
「精市が送ってくれるメッセージが背中を押してくれたっていうか…」
「…?」
「あの、気を悪くしたらごめんね…?」
「いいよ、大丈夫だから言って」
「精市は少し前からずっと病院にいるでしょ?」
頷いた彼に、なるべく変な言葉を選ばないように慎重に口を開いた。
「病院て、私もいたけど、なんというかすごく狭いじゃん。同じ景色、同じ匂い、頑張れとか大丈夫とか、無責任な言葉が飛び交ってさ」
毎日が同じことの繰り返し。
その世界に色なんて全く無かった。
「でも、精市からのメッセージってさ、すごくカラフルなんだよ。こんな狭い世界で、どうやったらそんなに色が見つけられるのか不思議なくらい」
精市だって色々思うこともあって、悩みだってあるはずなのに。
それを微塵にも感じさせない暖かな色で溢れた彼のメッセージは、キミはキミらしく、もっと周りをよく見てごらん、とでも言うかのようで。
「なんか…今ここにいる私が今の私っていうか……あの頃の私はもうコート上にはいないけど、あの時の想いと一緒に青学の皆の想いを背負った今の私が、皆と一緒にコート上にいるんだって思えたというか…」
「そんな大層なことを考えて書いていたんじゃないけど…」
驚きに染まる顔を綻ばせた精市は、少し照れくさそうに笑った。
「アメリカにいた頃はほぼ個人戦だったから、あまり団体に慣れてないってのもあったのかも。改めて、今の私は一人で戦ってるんじゃないんだって、皆の前進が私の前進なんだって、思えるようになったんだよ」
「…あの時の名前の顔はずっと引っかかっていたから。少しでも気が晴れたらいいなって思ってただけだよ」
どうしてこう、私の周りに集まる人は皆優しいのだろう。
私が何をした訳でもないのに、こんなに良い人達に恵まれていいんだろうか。
「少しどころじゃないよ、めちゃくちゃ助けられた」
「ふふっ、それは良かった」
「あーあ、精市も青学の生徒だったらなぁ」
「それはこっちのセリフ」
どちらからともなくクスクスと笑いあっていると、コンコンとドアのノックの音が鳴った。
看護師さんかな、と精市を見れば、彼は不思議そうな顔をしてドアの方を見ている。
「いや、今日は検診は無いから…誰だろう」
はーい、と精市がドアの向こうにいる相手に向かって返事をすれば、すぐにドアが開いた。
見えた人物に、隣で精市が、あ、と小さな声を漏らした。
「…む?」
体格のいいキリッとした、まるで日本男児の象徴のような彼と私の目が合う。
ドアを開けたままの体制で入口で固まった彼の後ろから、何してんだよ、と別の声が聞こえた。
「あー…」
精市のため息のような声は静かに空気に解け、
「入ってきたらどうだい?後ろがつかえてるよ、真田」
さなだ……真田?
「!!?」
脳内でピースが一致していき、ガタリという音と共に慌てて椅子から立ち上がった私に、斜め下から精市の苦笑する声が聞こえた。
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