ひとしきり笑った後、竜崎先生はまたあの目で私を見た。


「嘘を言うもんじゃあない」
「嘘じゃありません」


竜崎先生は、ふぅ、と小さく息を吐き、もう一度聞くよ、と今度はまるで子供をあやす母親のような柔らかい顔で私と目線を合わせた。


「テニスは好きかい?」
「…嫌いです」
「じゃあなんだいその顔は。大好きなものをわざと嫌いだと言っているような顔をしおって」
「っ…」


もう、これ以上ここにいたくない。
何かが、今まで必死に押し込めてきた何かが、溢れてしまいそうだ。


「…私、帰ります。失礼しました」


床に置いてあったバッグを掴んで立ち上がった。


「おい…!」
「手塚」


脇目も振らずにドアへ向かう私を後ろから手塚くんの声が追いかけるが、それは竜崎先生によって止められ、私は振り返ることなくバタンとドアを閉めた。
つきりと右膝に痛みが走る。
何もしてないのに、多分、これは記憶の痛みだ。
その場でずるずると崩れそうになる体を必死に持ち上げ、私はここから逃げるように必死に足を動かした。



* * *



「一筋縄じゃあいかないかねぇ、アレは」


静まり返った数学準備室に竜崎先生の声がぽつりと響いた。


「竜崎先生、本当に彼女をマネージャーに?」
「勿論さ。彼女は本来であれば、マネージャーにしとくのも勿体ない程の腕の持ち主なんだよ。出来ることなら、お前さん達のコーチでもやってほしいね」


開いたまま机に置かれた彼女の記事を改めて見下ろした。

"天才ジュニアテニスプレイヤー 事故で膝を故障"

先日竜崎先生から見せられたその記事は、確かに記載されていた名前は彼女のものだった。
幼さを残す笑顔の写真も、数年前のものではあるがやはり彼女の面影を感じる。
にわかには信じ難かったが、本当に彼女のものだったなんて。
ということは、彼女の父親は必然的にあの元プロテニスプレイヤーの苗字選手だということになる。
かの有名なサムライ南次郎と共にふらりと現れ、一斉を風靡し、僅か2年という短い時を経てサムライ南次郎を追うようにプロを引退した、あの…

雑誌を見てからの彼女の様子は、ただ事では無いことは容易に想像できた。
元々竜崎先生からお話を頂いて彼女をここに連れてきたが、それでも竜崎先生の言葉に了承して連れてきたのは俺だ。
明日にでも、きちんとお詫びをしなくてはいけないだろう。
…が、こんなことがあった後、彼女は俺と面を向かい合わせてくれるだろうか。
いや、恐らく彼女なら対面はしてくれるだろう。
約1年間半生徒会として一緒に過ごしてきて、彼女の人の良さや働きぶり、その真面目さはしっかりと理解しているつもりだった。


嫌いです。


そう言った時の彼女の、言葉では言い表せない表情が頭から消えない。
理解しているつもりではあっても、俺は、彼女自身のことは全く知らない。


「…すみません、彼女のことを詳しく聞いても?」
「ああ……お前さんには話しておこうかね。これを聞いて今後どう判断するかは、お前さんに任せるとしよう」



* * *





"お前がいるから…!!お前のせいで!!"

"お前なんか、いなければよかったのに…!!!"

"残念だけど、大会は棄権しよう"

"膝蓋骨の微骨折、そして半月板が損傷してしまっています。暫くは不自由な生活になるかと思いますが、様子を見てリハビリを…"

"完治おめでとう、よく頑張ったね。でも暫くは無茶な練習は禁物だよ。リハビリの延長程度で…"

"私が休んでいる間に、他の皆はどんどん強くなってる。取り戻さなきゃ…"

"名前!?名前っ…!!"

"日常生活にはそれほど支障ありませんが…このままテニスを続けるのは…"





びくりと体が揺れ、ハッと目を見開いた。
湿ったTシャツが肌に張り付き、上下する胸や腹部に嫌悪感をもたらしていく。
久しぶりに見た走馬灯のような夢は私のメンタルを削るには十分すぎて、あの時の恐怖や不安や悔しさがまとまって私の頭に押し寄せてくる。


「……学校、行きたくないなぁ…」


そっと右膝を撫でた。
学校に行けば嫌でも手塚くんを始めとしたテニス部員達とどこかで顔を合わせることになる。
でも生徒会の副会長になったばかりで堂々とサボりはなぁ…


「はぁ……ホントに…南次郎さん、余計なことしやがって…」



* * *



おはよ、おはよー、という生徒達の声をバックに、窓際の席からボーッと外を眺めていた。
時刻はHRまでまだ少しある。
斜め下を見れば、会話に花を咲かせながら校舎に向かう沢山の生徒達が目に入った。


「あっ…!」
「えっ!?」
「きゃぁ!」


ふと騒がしくなった教室に、何事かと外から室内へと視線を移した。


「手塚君…!?」
「どうしたのっ?」
「すまない、苗字はいるだろうか」


ちらりと見えた人物と聞こえてきたやりとりに、顔がくしゃりと寄った。
いません。
いませんからお帰りください。
そんな願いも虚しく、漫画のように姿や気配を消せるわけもなく、同じクラスの女子達が私の名前を呼びながらこちらへ手を振った。


「名前ちゃーん!」
「ふくかいちょー!会長が呼んでまーす!」


呼ばれてしまった手前、無視することは出来ない。
仕方なく席を立った。


「おはよう、手塚くん」


私はちゃんと笑えているだろうか。


「あ、あぁ…おはよう」
「生徒会の用事?」
「…あぁ。放課後、生徒会室に来て欲しい」
「…分かった」


私達…少なくとも私にとっては、腹の探り合い。
だけど、周りからはそうは見えていないらしい。


「やっぱ2人が並ぶと絵になるね…」
「生徒会長と副会長だもん、かっこいいよねぇ…」
「イケメンだし美人だし頭良いしね…」


盛大にため息をつきたい気分だ。
手塚くんは手短に挨拶をし、サッと自身のクラスへと戻っていった。
そして私も、先程の手塚くんの返答を思い返しながら自分の席へと戻った。


「……あの人、嘘なんてつくんだなぁ」


来たる放課後を思いながら、小さくため息が零れた。


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