ぽかんと彼を見つめていた視線を掌へと戻す。
忘れ物と言っていたが、この小さく折りたたまれた紙はどう見ても見覚えのない物だ。


「名前」


聞こえた声になんとなく紙をポケットに仕舞い、振り返ればそこには貞治と、何故か国光がいた。
国光って3組じゃなかったっけ…?


「あれ?なんで国光がこっちに?」
「乾に用があったんだ」
「へぇ?」


貞治への用ついでに、部室棟まで一緒に行こうとうちのクラスのHRが終わるのを廊下で待っていてくれたらしい。


「ごめんごめん、待たせちゃったね」
「相変わらず8組のHRは長引くね」
「うちの先生が話長いからね…でも、面白いからいっかなって」


3人で今日の練習メニューの流れについて話しながら歩いていけば、すぐにいつもの部室棟が見えてくる。
また後で、と2人と別れ、私は一旦女テニの部室へ向かったのだが、ここでも相変わらずバレンタインの話題は尽きないらしい。
女テニの部室でも教室と同じようなやりとりが交わされ、誰にもあげないと答えれば心底残念そうに、えー!!と言われた。



* * *



「「「お疲れ様でした!」」」


本日も滞りなく部活が終わった。
片付けも終え、女テニの部室で着替えをしていると、太もも辺りにかさりと何かがひっかかる感触。
なんだ?とスカートのポケットに手を入れれば、暫く存在を忘れていた海くんから渡された紙が入っている。


「あ、」
「名前ちゃん?どうしたの?」
「…いや、忘れ物したかと思ったけどしてなかった」
「あははっ、なにそれ〜」


女テニの同学年の子達は、私のことを名前様ではなく普通に呼んでくれるから気が楽だ。
じゃあまた明日〜、またねー、と去っていく数人を見送りながら着替えを進めていると、なにやら外が騒がしくなる。
きゃあきゃあという控えめな女子達の声に首を傾げていると、先程部室を出ていった子がノックとともに部室のドアを僅かに開けて顔を覗かせた。


「名前ちゃん!下に手塚くんが来てるよ〜!」


彼女の言葉に、部室にまだ残っていた女子達が、えっ、と色めき立つ。


「え?なんで?」
「さぁ?苗字はまだいるだろうか、って言ってたから、名前ちゃんに用があることは間違いないんじゃない?じゃ、また明日ね!」


そう言って今度こそ去っていく彼女を見送りながら首を傾げた。
国光が私に用?何かあったっけ…?
ま、まさか……今日の秀と英二の練習試合の記録だけこっそり抜いてきたことがバレたか……?


「名前ちゃん…?早く行かなくていいの?」
「怒られそうだから行きたくないこっちの窓から出ちゃダメかな」
「ちょ、名前ちゃん!?」
「ここ2階だよ!?」


ラケットバッグを背負って窓を開けようとする私に、彼女達は必死にしがみついてくる。
人数の力で勝てる訳もなく、私は呆気なくちゃんとした入口からポイッと外へ出されてしまった。


「…はぁ」


仕方なくトントンと階段を降りれば、腕を組んだ国光がちらりとこちらに視線を投げ、私の姿を確認するのと同時に組んだ腕を解いて近寄ってくる。


「名前」
「なっ、なんでしょう…?」


なんとなく身構えれば、彼の口から出たのはお叱りの言葉なんかではなく。


「家まで送る」
「………はい?」


ぽかんと彼を見上げていると、行くぞ、とさっと踵を返されてしまった。


「ちょっ、ちょっと待ってなんで急に…!」


今まで部活がある日は大体流れでいつも皆で帰っていたし、なんなら部活がない日も主に英二や桃に誘われて何人かで寄り道してから帰る日も多々あった。
が、今日のようにわざわざ女テニの部室前に来て、家まで送るなんて言われたことは無い。
しかも、あの国光が自ら来るなんて。


「ねぇ、どしたの急に」
「………」


横に並んでそう聞いても、国光は黙ったまま歩みを進めていく。
ちらりとその表情を伺えば、いつもより少し深く刻まれた眉間の皺。
よく分からない気まずい空気の中、正門を過ぎ、大きな交差点を過ぎ、見慣れた景色がどんどん後ろへ流れていく。


「…国光?」
「なんだ」
「いや…なんでそんなピリピリしてんの?」
「……ピリピリ、しているように見えるか?」
「見える」
「…そうか」


会話終了。
なんで?
こっそり記録を持ち帰っていることがバレているわけじゃなさそうだし、本当によく分からない。
いつもは別れる小さな交差点に来ても、国光は当たり前のように私の家の方向へと足を進めた。
ほんとに家まで来る気かこの人。


「…家、着いたけど…」
「あぁ」


結局本当に国光を連れたまま家に着いてしまった。
彼はうちの表札前で腕を組み、仁王立ちしたままじっとこちらを見つめている。
中に入るまで見ているつもりなのだろうか。
見ている、と言うよりは見張られているような気がしてならないけど。


「じゃあ…また明日…?」
「あぁ」


そんな彼の様子に首を傾げつつ玄関に向かおうとする私を、名前、という彼の声が止めた。
振り向けば、先ほど以上に眉間に皺を増やした国光が真面目な顔でこちらを見ていて。


「乾からの伝言だ」
「え?」
「水瀬海には気をつけろ」
「…は?」
「では、また明日。交差点で待っている」
「え、ちょっと…」


私の言葉を聞くよりも早く、国光は踵を返して来た道を戻って行った。


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