水瀬海には気をつけろ。
その言葉が頭に引っかかったまま、パチリと部屋の電気をつけた。
気をつけるって、何を?
明るくてクラスのムードメーカー的存在でもある彼の、何を気をつけろと言うのだろう。
だが、他でもない貞治からの伝言だ。
きっと何か意図があるのだろう、が……
そんなことを考えながら着替える為にスカートを下ろそうとした時、また太ももにかさりと感触が走った。
そう言えば、と思い出したように彼から渡された紙を取り出した。
一旦それを机に置いて、先に着替えを済ませる。
紙を持ち上げ、かさかさとそれを開いた私の目に、手書きの文字が映った。



明日の放課後、屋上に来て欲しい。
恥ずかしいから誰にも言わないで、一人で来て欲しいな。
待ってる。

水瀬海



『………』


生憎、私はそこまで鈍い訳では無い。
これは、つまり………そういうことなのだろうか。
明日は部活も無いし、…でもあの海くんが、私に…?
でも文面的にもそれ以外に思い当たる節はない……いや、普通に相談事かもしれない、うん、きっと、……きっと。
改めて折り畳んだ紙を机にしまい、ぼふりとベッドに倒れ込んだ。
ざわりと心が揺れる。
こういう経験は無くはないが、やっぱり苦手だ。


『…水瀬海には気をつけろ、ってこういうこと…?』


貞治はこれを予測していたのだろうか。
それにしても、こういう良くあるようなシチュエーションだけで気をつけろだなんて言うだろうか。

その日の夕飯はなんだか味がしない様な気がしたし、折角持って帰ってきた試合記録の内容もあまり頭に入ってこなかった。



* * *



次の日。
浅かった睡眠のせいで止まらない欠伸を噛み殺しながら歩いていると、少し先の交差点で本を片手に立っている人影が見えた。
交差点で待っている、という昨日の言葉の通り、本当に待っていたとは。
もし私が寝坊でもしたらどうしてたんだろう。


『おはよ。ほんとに待ってたの…?』


そう声をかければ、本から視線を上げた国光は私を視界に入れた。


「おはよう。自分から言っておいて待たせる訳にはいかないだろう」
『いや、そういう意味じゃないんだけど……まぁ、いっか』


ちらりと見上げた国光の眉間は、昨日よりは幾分か皺が取れていて少しホッとした。


「今日の放課後なんだが」


歩き出しながら言った彼の言葉にドキリと心臓が音を立てる。


「予定はあるか?」
『…ある、ような、無いような…?なんで?』
「そろそろ学年末テストだろう。今日は部活がないから、放課後に4階の空き教室を借りて皆で勉強会でも、と乾からの提案だ」


また、貞治だ。
彼は一体何を考えているのだろうか。
…いや、私の考えすぎか…?


『それなら大丈夫だよ。ちょっと用事があって遅れると思うけど、すぐ行く』
「何の用事だ?」
『え』


てっきり、そうか分かった、くらいの返事が来ると思っていた。
一瞬言葉に詰まってしまった私を、ちらりと国光が見下ろした。


『ちょっと先生に用があって』
「…そうか、ならいい」


誰にも言わないで欲しいと書いてあったし、……大丈夫だよね。



* * *



朝練も終わり、ゾロゾロと教室へ向かう。
相変わらず周りからの視線がすごい中、一人、また一人と別れていき、貞治とも別れて私は自分の教室へと入った。
クラスメイトと挨拶を交わしながら自分の席に行けば、丁度前の席に座って別の男子達と談笑していた海くんがくるりと振り返る。


「よっ、名前!」
「おはよ、苗字さん」
「はよー苗字」
『おはよ』


いつも通りの海くんとその周りの彼らに私もいつも通り挨拶を返せば、海くんはすぐに前を向いて男子達との会話に戻っていった。
これのどこに気をつける要素があるんだろうか。
普通に、ただの爽やかな男子生徒なんだけど。
予鈴が鳴り、パラパラと人が自分の席へと戻っていく。
それは海くんもだが、彼はちらりと私の方を向いて、


「…読んでくれた?」
『あ…うん』
「放課後、待ってるな」


小声でそう言い、少し照れたような笑みを浮かべて自身の席へと戻っていった。
なんとも、複雑な心境だ。
正直このことを貞治に相談してみようかとも考えた。
でもあの手紙には、誰にも言わないで欲しい、と書いてあったし、こんなことでそう簡単にほいほい相談するのもなぁと止めることにしたのだ。
相談しておけば良かったと後悔することになるなんて、分かるはずもなかったから。



* * *



チャイムの音が校内に響く。
先生が急ぎの用事があったらしく、今日のHRは珍しく早めに終わった。


「海〜!遊び行こうぜ!」
「悪い、俺ちょっと用があんだよ」
「マジかよ、んじゃまた明日なー」
「おー、またなー」


そんな会話をし、海くんがサッと教室を出ていく。
流石に、一緒に行く訳にはいかないもんね…


「名前様!カラオケ行かない?」
「ちょっと!名前様は私達とパフェ食べに行くの!」
『ごめん、今日は部活は無いけど皆で勉強会するらしくて…』
「勉強会!?…た、確かにテスト近いもんね…」
「あぁ〜…忘れてた現実が……」
『はは…』


項垂れる彼女達に苦笑を向ければ、仕方ないね、と笑う。
私達もカラオケしながら勉強だ!とか、パフェ食べながら勉強しよ!なんて言い合う彼女達に別れを告げ、教室を出た。


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