パシッ、と乾いた音が鳴る。


「なっ…」


来なかった衝撃と、海くんの驚いたような声に、恐る恐る目を開けた。
そっと頭を上げれば、横から伸びている手が海くんの拳をしっかりと掴んでいて、


「……ぁ…」


私の横で片膝をついた国光が少し息を荒らげ、じっと海くんを睨みつけていた。


「手塚…っ」


海くんはぐっと眉を寄せ、どうにか手を離そうと苦しそうな表情を浮かべるが、国光の腕はビクともしない。
国光の手に力が込められ、小さなうめき声と共に海くんの腕がぴくりと波打った。


「…水瀬海、このことはしっかり報告させて貰うぞ」


いつにも増して低いその声に、私までもがふるりと身体を震わせる。
これは…めちゃくちゃ怒っていらっしゃる…


「手塚!」


と、ばたばたと秀と英二も走ってきた。


「乾達には連絡した!もうすぐ先生達も来るハズだ!」
「分かった」
「名前ちゃん大丈夫!?」
「名前…っ!」


心配そうな英二と秀に大丈夫の意を込めてへらりと笑いかければ、2人もホッとしたように幾分か表情を和らげてくれた。


「チッ…!!」
「!」
「あっ!?コラ待て!!」
「英二…!!」


国光の手が緩んだのだろう。
舌打ちと共に逃げ出した海くんを皆で振り返り、英二は真っ先に飛び出し、それを追いかけて秀も走り出し…


「おっとぉ?逃げちゃぁいけねーなぁ、いけねーよ!」
「逃がす訳ねぇだろうが!」


威勢のいい1年2人組の声が聞こえたかと思えば、強烈な打球音と共に物凄い勢いのテニスボールが2つ、目の前のフェンスに当たって派手な音を立て、私も国光も同時にびくりと肩を揺らした。


「ナイスぅお2人さ〜ん!」
「いぇ〜ぃ!!」
「…フン」
「き、気絶してるじゃないか!?笑ってる場合じゃないぞ3人共…!!」


「………」
「………」


見えていなくても、何が起きたのかくらいは想像出来るようになってしまったのが、なんとも言えないところだ。
思わず笑いを零せば、隣から咳払いが……あ、この咳払いの仕方はやばい怒られそうな予感がするどうしよう秀戻ってきて助けて。


「名前」
「はっ、い…!」


いつにも増して低い声。
私の裏返った声を全く気にすることなく、国光の視線は私の頭からつま先までを往復した。


「アイツに何をされた」


真っ直ぐに見つめてくる彼の顔は今まで見たことがない程に、…正直ちょっと怖い。


「…分かってるよ、ちゃんと全部話すから…」
「………」


こことここを殴られて、前髪思いっきり掴まれて、それだけだよ、と指さしながら伝えていけば、国光の顔は更に険しさを増していく。
その顔はすぐに私の足に向けられ、たぶんその表情は、私の膝のことを知っているからこそ向けられているものなのだろう。


「それだけ、じゃあ済まされないだろう……立てるか?」
「うん」


立ち上がろうとする私よりも先に立ち上がった国光が、そっと手を差し伸べてくれる。
有難く捕まれば労わるように優しく引っ張り上げられ、いつもの癖で左足から先に地面を踏み締めた、が。


「いっ…」
「!」


殴られた腿に痛みが走り、かくりと体が崩れていく。
すぐに国光が支えてくれたものの、支え方が咄嗟だったこともあり左の二の腕にもズキリと鈍い痛みが走った。


「ったぁ!?」
「!!すまない、大丈夫か…!」
「クリティカルヒットした…」


右手でズキズキと痛みが脈打つ二の腕を触り、左手で腿を触る。
どっちも触るだけで鈍く痛み、軽く押すとそこそこの痛みだ。
体感的には足の方がダメージが大きそうだが、まぁ、歩けないこともない。
けどこれは暫く部活に支障が出るだろうし、痣にもなりそうだなぁ…最悪だ…


「…もう大丈夫、ありがとう」


支えてくれていた国光に礼を言って、そっと自身の力で立ち上がった。
テニス以外で意識して右足に重心を乗せるのはいつぶりだろうか。
左足に体重を乗せると痛むから、必然的に右足で庇って歩く格好になってしまう。
置きっぱなしだったラケットバッグの方へ、若干左足を引きずるように一歩歩けば、やんわりと手首を掴まれた。


「名前」


国光が私に背を向けてしゃがむ。


「え、と…?」
「早く乗れ。保健室に行くぞ」


この歳になっておんぶ…
しかも男子に…
迷っていると、屋上入口の方がなにやら騒がしくなってきた。
さっき秀が言っていた、貞治達が先生を連れてきたのだろう。


「名前、早くしろ」
「………」


下からじとりと睨み上げられ、もうどうにでもなれ、とその背中に体重をかけた。
ふわりと足が地面を離れていく。


「痛くないか?」
「…うん……ごめん、重い…」
「気にするほど重くない」


小屋の影から出ていけば、地面に倒れてのびている海くんの周りに先程まではいなかったレギュラー面子と先生達もいて、国光におぶられている私を見たレギュラー陣が驚いたようにパタパタと近づいてくる。
なんとなく恥ずかしくて、国光の頭に隠れるように俯かせた顔を引っ込めた。


「名前!」
「名前ちゃん…!」
「大丈夫ッスか!?」
「無傷ではないけど、大丈夫です…」
「保健室に行く。誰か、名前の荷物を頼む」
「僕が持ってくよ」


国光は彼らに元々勉強会をする予定だった空き教室にいろという指示を出し、そのままハラハラとこちらの様子を伺っている先生達の元へと歩いていった。


「苗字さん大丈夫!?」
「だ、大丈夫デス…」
「水瀬から腕と足を殴られたらしく、痛みがあるようなので保健室に連れて行きます。事情はそこでお話しますので、どなたかご同行お願い出来ますか」


そして、生徒指導の先生と共に、私は国光におぶられたまま保健室へと向かうことになった。


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