初めは私の足に巻かれた包帯に驚きと心配を寄せる祖父母もクラスメイト達も、数日経てば普段と変わらない生活になっていく。
また、突然学校に来なくなった海くんのことも、2年の学年中でそこかしこから話が上がっていた。
中学生らしいあられもない噂なんかも飛び交ってはいたが、数日後に担任の先生から、家庭の事情で急遽引っ越すことになった、という説明があり、徐々に鎮火していった。

その日の放課後に私と国光が呼び出され、校長先生やらが集まる場所で彼のこれまでのことと今後の処遇を聞いたのだが、ほとんど貞治が言っていた通りだった。
国光経由で貞治から聞いていたことばかりだったので、ある意味冷静でいられたのは有難かったと思う。
彼のご両親から直接謝罪をしたいという伝言を預かっている、とも言われたが、正直親御さんから謝られてもなぁと思ったのでそちらは丁重にお断りしておいた。

そんなこんなで、例の事件から約一週間後。
包帯や湿布はとっくに必要無くなっていたのだが、青アザがくっきりと浮かんでしまった患部をむき出しのままにしておく訳にもいかず、普段は大きめの絆創膏を常に何枚か貼って過ごしていた。
まだ押すと少し痛みはあるが、今日から部活の打ち合いにも復帰できるようになったし、私としてはこれでやっと一件落着である。


『あぁ〜!やっと打てたぁ〜!』


ベンチに座り、開放感から笑顔で大きく伸びをする私の横で苦笑を浮かべているのは、つい今行われたショート試合で私から1ポイントも取れずに完敗した秀。


「名前先輩、容赦無かったッスね…」
「本当に…一度も決めさせてくれないなんてね」
『今の私は誰にも止められないぞ!!』
「こんなテンション高い名前、初めて見たかも…」
「ふふっ、楽しそうだね」
『楽しい!』


もう一試合くらいやりたいくらい、と零せば、真っ先に英二と桃が手を挙げてくれる。
お!と立ち上がろうとした私の目の前に、スっとラケットが差し込まれた。
全員の視線が向かう先には、私を見下ろす国光がいる。


『っだ、大丈夫だよ!あと2ゲームだけ…!』
「違う」
『へ?』
「俺と打ち合いをしてくれないか」


ぇええ!?とほぼ全員の声がハモり、別コートで練習していた部員達までもが何事かとこちらを振り返った。


『え、国光と…?』


止められるかと思えば、まさかの打ち合いのお誘い。
驚きながら彼を見上げれば、彼はほんの少し視線をさ迷わせた。


「…いや、無理にとは」


彼の言葉を遮り、ぶんぶんと首を振る。


『全然!!むしろやりたい!一回も打ち合いしたことないもん!!』


これまで何度もレギュラー陣と打ち合い練習をしてきたが、何故か国光とは一度もしたことがない。
なんならわざと避けられている気もしていたのはここだけの話。
ラケットを差し込まれた時はてっきり止められるかと思っていたのに、まさかのサプライズだ。


『ご、ごめん2人共…』


折角の立候補を無駄にしてしまう申し訳なさと共に英二と桃を振り返れば、2人は仕方なさそうに笑った。


「いいよいいよ、俺も手塚と名前の打ち合い興味あるし!その代わり、次の打ち合いは俺だかんな!」
「じゃあその次は俺ッスよ!」
『ありがとう…!勿論だよ!』


そう約束を交わし、ラケットを握って立ち上がった。
改めて国光を見上げる。


『やろうか!』
「あぁ」


審判を秀に頼み、私と国光がコートに入ると、それまでザワついていた辺り一帯がしんと静まり返った。
まるで、過去にタイムスリップしたような気分だ。
コートだけが切り取られたような、私の、舞台。
あぁ、思い出すなぁ…


『which?(フィッチ?)』
「ラフ」


相手のコートでラケットを回す。


「スムース」
『I'll get the serve.(サーブをもらうよ)』


ラケットとボールを受け取り、握手をして背を向けた。



* * *



「…え?え?名前先輩、なんて…?」
「I'll get the serve. "サーブをもらいます"って言ったんだよ」


桃の呟きに小さく笑いながら不二が答えた。


「そ、そっか…名前、アメリカにいたんだっけ…」
「きっとこの空気感が彼女の記憶を呼び起こしているんだろう。なんて言ったって、相手はあの手塚だからね」
「まさか…手塚が自分から打ち合いを申し込むなんて…」


下から聞こえるそんな会話に、真っ直ぐ対峙した2人を見つめた。
一瞬でこの場を支配してしまった、静かで、それでいて圧倒的な空気がぴりぴりと肌を刺す。
とんでもない試合の審判を任されてしまったものだと、内心ひやひやするし、なんだか胃が痛くなってきた気さえする。
溢れそうで溢れない水面張力の膜が張られたこの場に、ポタリと一滴の雫を落とす…


「ザ・ベスト・オブ・1セットマッチ!」


え?と手塚と名前ちゃんの視線が俺に刺さった。
あれ?え?俺何か間違え…?


「2ゲームだよ大石…!」
「あっ!?」
『んふふっ、本当は1セットやりたいんだけどね。でもお陰で緊張が解けたよ、秀』
「ご、ごめん、つい…!!」
「しょうがないよ。僕だって間違えそうだ、この空気の中じゃあ」


もう一回…!と慌てて手を振り、コホンと咳払いをして、


「ザ・ベスト・オブ・2ゲームズマッチ!苗字 サービスプレイ!」


名前ちゃんが高くトスを上げた。


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