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大石と桃城の、えっ、という声が重なった。
菊丸は目を輝かせ、不二と共に対面席から面白そうにこちらをじっと見つめている。
「……いや、俺は遠慮しておく」
「名前も飲んだのに?」
不二の容赦ない突っ込みに、隣からは楽しそうな、そうだそうだー、という野次が飛んでくる。
「…興味があったから飲んだんだろう。俺は、全く興味が無い」
同じ不味さなら、まだ健康面に気を使って作られた乾汁を飲んだ方がマシだ。
アレも出来る限りは飲みたくないところではあるが。
『残念。まぁ無理に飲ませるのもね…』
あっさり身を引いた名前に内心ホッとした。
ところで、と名前がグラスをテーブルの中央へと置く。
『これは誰が処理するの?』
ボックス席に一気に緊張が走った。
不二はいつも通りだが、作った張本人である菊丸と桃城も言葉を濁しながら視線をうろうろとさ迷わせている。
「ふ、不二〜…」
「うーん…飲めないこともないけど、それじゃあつまらないからね」
ちらりと何故か俺を見た不二がにこりと笑みを向けた。
何故、そこで俺を見る。
「ジャンケンで決めるのはどうかな?」
負けた人が全部飲む、という不二の提案に、どこからかゴクリと喉を鳴らす音が聞こえる。
…が、
「待て。名前も参加するのか?」
『え、楽しそうじゃん。国光も参加するよね?』
今俺はあからさまに嫌な顔をしているのだろう。
凄い嫌そうな顔〜、と名前が笑った。
そもそも、作った奴が責任をもって飲めばいい、と思ったが、横で楽しそうにしている名前を見ると、何故か普段簡単に言えていた言葉は出てこなかった。
* * *
ダメ元で言ってみたが、国光がジャンケンに参加してくれるとは思ってもいなかった。
英二の、じゃーんけーんぽん!という声を合図に、テーブルの上で戦いが繰り広げられる。
「ゲッ!?大石先輩一人勝ちかよ!?」
「うっそーっ!?」
「よ、良かった…」
それはもうホッとした様子で胸を撫で下ろす秀に、良かったね、と苦笑を向ければ、名前ちゃんも頑張って、と同じく苦笑が返ってきた。
アレは絶対に飲みたくない。
本人達も不味くなることを想定で作ったからか、グラスの中身は一口程しかないが、それでもさっき試し飲みした時のあの味を再度味わいたいとは思わない。
「次行くぞ次!じゃーんけーんぽんっ!」
っしゃあああ!という桃の声と、うへぇぇ、という英二の声。
「今度は不二と桃かよ〜っ!?」
「こういうのって普通言い出しっぺが負けるんだけど…ごめんね、勝っちゃった」
周助は申し訳なさそうに笑ってくれるけど、正直なところ本当に飲みたくなかったのかも、なんて思う。
味は同じようなものでも、健康面に気を使った乾汁とは違うもんね、コレは…
「残るは俺と手塚と名前かぁ……名前、ほんとに大丈夫…?」
『大丈夫ではないけど、ここまでやったんだから最後までちゃんとやるよ…』
「負けたら本当に飲むのか…?」
『そういうルールで参加したんだから、負けたらそりゃ勿論飲むよ?』
要は負けなければいいだけの話である。
ジャンケンは多少の心理戦はあれど、結局のところ運だし、もし負けたら今回は運がなかっただけの話だ。
こっちにはココアだってあるから、最悪すぐ口直しすればいい。
「いっくよ〜、じゃーんけーん…」
ぽん!という声でテーブルの上に出されたのは、私と国光がパー、そして、英二がチョキ。
「ぃやったああああ!!!」
『おっと…これは…』
「………」
なんとも言えない顔の国光と視線が合う。
「…ま、まさか手塚部長と名前先輩が残るとは…」
「だ、大丈夫?2人共…」
大丈夫なわけ。
でもこうなることも了承してジャンケンに参加したのは私だ。
『まぁ…しょうがないよ。てことで国光、どっちが勝っても恨みっこなしだからね』
片手を構えた私に国光は小さく息を吐くと、中央に置かれたままだったあのグラスをそっと持ち上げた。
何をする気だ…?とその様子を見ていた私達の前で、彼は意を決したようにそれを一気に口へと流し込んだ。
「「『えっ!?』」」
「部長…!?」
「わぁ」
驚く私達を他所に、国光は空になったグラスをコトリとテーブルに戻し、目をつぶったままじっと動かない。
『ちょ、っと!?なんで…!?』
慌てて顔を覗き込めば、ひくりと小さく動く眉間。
いつもより増したそこの皺はそのままに、国光は微かにはぁと吐息を漏らしてから目を開けた。
「お前に、飲ませる訳にはいかないだろう…」
『なっ…と、とりあえずこれ飲んで…!』
若干顔色が悪いような彼にココアを差し出せば、彼は少し迷ってから何も言わずにカップを手に取り、味わうように一口ゆっくりと嚥下した。
「やるね、手塚。かっこよかったよ」
「マジでかっけーッス部長…!!漢の中の漢っス!!」
「すごぉ…」
「だ、大丈夫か手塚…!?」
ココアのおかげか、先程より少し顔色が良くなった国光はカチャリと眼鏡を押し上げ、菊丸、桃城、と2人を睨むように視線を動かした。
「お前達は明日の外周、プラス20周だ」
「「ゲッ!?」」
今度は英二と桃の顔色が青くなる。
助けを求めるように2人が一斉に私を見てきたが、頑張れ、と笑顔を返しておいた。
自業自得です。
* * *
『あの…体調悪いとかない…?』
「あぁ、もう大丈夫だ」
『ごめんね…』
「気にしなくていい。俺が勝手にやったことだ」
『びっくりしてそれどころじゃなかったんだけど…周助も桃も言ってたけど、かっこよかったよ…』
一瞬国光の動きが止まったかのように見えた、気がした。
なんとも言えない沈黙が流れていく。
迂闊にかっこいいとか言わない方がよかったかな…なんか逆に恥ずかしくなってきた…
彼の顔を見れないまま悶々としていれば、いつの間にか私の家が見えて来る。
『えっと、いつもありがとね』
「気にするな」
『じゃあ…また明日…?』
「あぁ。また明日」
一瞬柔らかな顔と視線が合ったが、すぐに背を向けた国光が遠くなっていく。
なんだろう、…はっきりとは言えない不思議な感覚が体の中を這い回っているような気がして、でも嫌なものではなくて。
やがて後ろ姿は見えなくなって、私はふるりと頭を振って玄関へと向かった。
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