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迎えた卒業式。
今日は朝練はお休みだけど、私も国光も生徒会としての仕事があるから早めの登校だ。
交差点までくれば、いつものように国光がおはようと声をかけてくれる。


『おはよ。マグカップありがとね、早速昨日使ったよ』


国光は前を向いたまま目を合わせることなく、いや、と小さく言った。


「使って貰えたなら良かった。気を使わせていなければいいんだが…」


思わず笑えば、怪訝そうな顔が一瞬だけやっとこちらを向いた。


『国光って意外と心配性?』
「…お返しはいらないと言っていたのに渡したんだ。不安にもなる」


国光から出た"不安"という言葉。
人間誰しも不安になることはあるだろうが、普段全くそれを見せない彼の口から改めて不安という言葉が素直に聞けたのは、なんだか嬉しいものだ。


『心配しないでよ。テディベアもマグカップも凄く嬉しかったもん』


国光、と彼を呼べば、また彼が私を振り向いた。


『絶対なろうね、全国NO.1。皆で』


ふ、と彼の表情が緩まり、あぁ、と静かな、それでいて力強い返事が返ってきた。



* * *



国光と共に最終準備の手伝いはしたが、本番では結局私の出番はなく、在校生側の椅子から式を見守っていた。
送辞を読む国光は本番でも変わらず堂々とした様子で、周りの女子達が惚れ惚れとその様子を眺めていた。
改めてマイクを通した国光の声を聞いていると、厳しさの中にもどこか優しさがあってなんだか眠くなってくるな、なんて考えているうちにいつの間にか送辞は終わっていて、慌てて拍手を送った。

そんなこんなで無事卒業式も終わり、学校全体も一段落した所で、私達は部室前に集合していた。
整列した私達の前に並ぶのは、勿論男子テニス部の先輩達。
お互いに挨拶を終えれば、綺麗だった整列は見る影も無くし、今では泣いたり笑ったりの中で握手や抱擁が行われている。
かくいう私もたくさんの先輩達と言葉を交わし、最後にマネージャーになりたての頃によくお世話になった先輩グループの中にいた。


「いよいよ名前ちゃんともお別れだなぁ」
「な、寂しくなるよな」
『あの頃は本当にお世話になりました。先輩達のおかげで業務もすぐに覚えられました』
「いやいや、名前ちゃんが頑張ったんだって。俺らはなんもしてねーよ」
『そんなことないですよ。忙しいのに気にかけてくださってありがとうございます』
「あー…マジいい子すぎる…1年の時からマネージャーやっててほしかったわ」
「ほんとにな…」
『はは…今となっては本当にそう思いますね…』


そんな話をしつつ、会話が一度途切れた時、一人の先輩が別の先輩の背中を私の方にぐいっと押し出した。


「ほら、行けよ」


その言葉に乗るように、他の先輩もその先輩の背中を押したり肩に腕を回してにやにやと笑ったりと、謎のやりとりが繰り広げられる。
その中心となっている先輩は、藤堂先輩。
彼らの中でも一際私に気を回してくれた優しい先輩だ。


「っ、や、やっぱり…」
「おい何言ってんだよお前、決めたんじゃねーのかよ」
「そうだぞー?もう会えないかもしれないんだぞー?」
「うっ…」


皆からもみくちゃにされている藤堂先輩は僅かに顔が赤く、まとわりつく手という手を必死に推し戻そうとしている。


「ちゃんと慰めてやるから行けって〜」
「お、応援してんのかしてないのかどっちなんだよっ…!」
「してっから、ほら!」
「うわっ!?」


ぐいっと強く押し出された藤堂先輩は、たたらを踏みながらも私の前でぴしりと背を正した。
謎にこちらも肩に力が入ってしまう。


「あ、あの、名前ちゃん…!」
『は、はい…!』
「…お、…おれ、と…」
『え…?』


すうっと息を吸った藤堂先輩は、がばりと私に頭を下げた。


「俺と付き合ってください!!」


騒がしかった辺りがしんと静まり返った。


「最初は可愛いなくらいだったんだけどっ…色々教えてるうちに、真面目なとことか、笑顔とか、頑張り屋なところが好きになってました!」
『え、え…え、』
「俺と付き合ってください…!」


先程まで藤堂先輩を押していた彼らも、いつの間にか静かにこちらを見守っていた。
バクバクと音を立てる心臓とは裏腹に、体はすうっと冷えていくような感覚。
告白されるのは苦手だ。
相手が望む言葉を私は返すことが出来なくて、その度に良心が痛んで、その申し訳なさが、精一杯気持ちを伝えてくれた相手に申し訳なくて。
どうしよう、どうしたらいい、………え?
なんで。
どうして。
なぜ、今彼の顔が頭に浮かんだ?
なぜ、私は彼に答えを求めようとした?


『…あ……その…』


訳が分からない。
困惑に沈黙した私に、藤堂先輩はゆっくりと顔を上げて寂しそうに笑った。


「…なんて、突然言われても困るよな」
『いえ、あの…』
「言わなくていいよ。答えはもう分かってるから」
『……ごめん、なさい…』
「…言われちゃうとやっぱり結構ショックだなぁ」
『あっ、ごめんなさ、いえっ、そのっ…』


俯いた私の頭を、ぽんぽん、と優しく叩かれた。


「ごめんな。会えなくなる前に伝えたかった俺の勝手だから、出来ることなら忘れてくれると嬉しいな…って、これも俺の勝手か…」


藤堂先輩の優しさは良く知っている。
誰にでも優しくて、テニスでも強かった先輩。
そんな先輩からの告白なんて、嬉しいはず、なのに。


『…私、藤堂先輩の優しさはずっと忘れません』


妙に締め付けられる胸の痛みに蓋をしてそう言えば、藤堂先輩はまた寂しそうに笑った。


「ありがとう。元気でね、名前ちゃん」
『っ…お世話になりました…!本当に、ありがとうございました…!』


ぺこりと頭を下げた私に、じゃあね、と笑った先輩は、他の先輩達と共に一足先にこの場から去っていった。


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