11
先輩達との挨拶を終え、各々自由に最後の交流をしていた時だった。
「俺と付き合ってください!!」
突然聞こえた声に振り返れば、そこには頭を下げる藤堂先輩、そしてその前で硬直している名前がいた。
誰に聞かなくても分かるその光景を理解してしまった途端に、どういう訳か胸が握られるように痛んだ。
静まり返ったこの場で、俺の耳に先輩の声だけが届く。
「最初は可愛いなくらいだったんだけどっ…色々教えてるうちに、真面目なとことか、笑顔とか、頑張り屋なところが好きになってました!」
当事者でもないのに変な緊張が体を包み、この先を聞きたいような、聞きたくないような、聞いてはいけないような不安感が押し寄せてくる。
俺と付き合ってください、と再度言った先輩に、名前はなんと答えるのだろうか。
…なぜ、俺は彼女の言葉をここまで気にしているんだ。
自分でもよく分からない、今までに味わったことの無い不思議な感覚は、どう思っても心地好いものではないのは確かだった。
「あ…その…」
名前の声に我に返り、そっと様子を伺えば、先輩がゆっくりと顔を上げた。
「なんて、突然言われても困るよな」
「いえ、あの…」
「言わなくていいよ。答えはもう分かってるから」
少しの沈黙の後、ごめんなさい、と絞り出したような名前の声に、知らないうちに力んでいた体がすっと軽くなった気がした。
どうして俺は今、…これは、安心感だ。
何に安心したんだ、俺は…なんだ、これは。
「言われちゃうとやっぱり結構ショックだなぁ」
「あっ、ごめんなさ、いえっ、そのっ…」
俯く名前の頭に先輩の手が伸びる。
また、どこか体に力が入ったような気がした。
「ごめんな。会えなくなる前に伝えたかった俺の勝手だから、出来ることなら忘れてくれると嬉しいな…って、これも俺の勝手か…」
「私、藤堂先輩の優しさはずっと忘れません」
そう言って切なそうに微笑むその横顔は先輩に向けられていて、ふと、あの事件の後に4階で2人で話した時の彼女の顔が頭に浮かんだ。
あの時そっと俺の頬に伸ばされた彼女の手は微かに温かく、離れていくその手を追うように、気づいたら彼女へ手が伸びていた。
細く、脆そうなその体を壊さないように、
「本当に、ありがとうございました…!」
「!」
気づけば、頭を下げた名前に手を振り去っていく先輩達。
彼らを見送った名前は上体を起こしたものの、その視線は力無く地面に落とされたまま。
「…手塚」
ふいに聞こえた後ろからの声に視線を向ければ、不安そうな不二が名前を見ている。
「部室にでも連れて行ってあげた方がいいんじゃない?適当な理由でも付けて」
「…あぁ」
今まで話していた先輩達に断りを入れて、俺は名前の元へと向かった。
「名前」
名前を呼べば、ぴくりと小さく肩が跳ね、揺れる瞳が俺を振り返った。
うん?と聞いてくる取り繕うような顔はどう見ても笑顔でも何でもなくて、彼女をこんな顔にさせたあの先輩に怒りが湧いた。
優しい?どこが優しいと言うんだ。
俺なら名前にこんな顔は………俺、なら…?
「…頼みがある。部室に来てくれ」
「ん、分かった」
卒業というお祝いムードでは無くなったその場の視線を断ち切るように、なるべく名前を俺の影になるように隠して部室へと向かった。
とりあえず座るように促せば、名前はそっと椅子に座って俺を見た。
「頼みって何?」
平然を装う彼女に、本当に何かを頼もうと思っていた俺の考えはすぐにどこかへ消え去った。
「無い」
「無い、って…」
くたりと困ったように笑う名前の隣に座ろうと椅子を引いて、すぐに手を止めた。
何か話でも出来たら、とは思ったものの、その相手は俺でいいのだろうか。
こういった事に関して俺の知識はほぼ無いに等しい。
そもそも初めに部室に名前を連れて行くように言ったのは不二だ。
この場は不二に任せた方がいいのでは、と椅子から手を離し、あいつを呼びに行こうと彼女に背を向けた時だった。
くんと制服の裾が引っ張られ、振り返れば不安そうにこちらを見上げる彼女の腕が制服の裾へと伸びていて。
「…嫌じゃなかったら、少しでいいからここにいてくれないかな…」
予想外のその言葉に反応が遅れた。
「っごめんなんでもない!」
慌てて手を離した名前は、俺から視線を切るように体の向きを少し変えて俯いてしまった。
さらりと揺れる髪。
先程あの先輩が触れたそこへ、重ねるように、気づけば自然と手が伸びていた。
「俺で良ければ、いくらでもいる」
小さく体を揺らした名前は膝の上で自身の手をきゅっと握り、ありがとう、と小さく呟いた。
…それから、5分程経っただろうか。
無言の時間が続き、その間俺も名前も動くことなくじっと座ったままだ。
初めは何か話した方がいいかと思って言葉を探したが、無理に会話をするのも、とただ黙って名前の精神が落ち着くのを見守っていた。
外は、どうなっただろう。
部長である俺がいないのは気が引けたが、そこは俺を送り出した不二や大石達がなんとかしてくれることを願うしかない。
目だけを動かしてちらりと隣を見れば、相変わらず名前は俯いたままだ。
いてくれと言われた時は驚きもしたが、正直嬉しさもあった。
普段誰かを頼ることをしない彼女に、面と向かってあのように言われたのは初めてだった。
その嬉しさに押されるがままに残ったものの、本当にこれで大丈夫なんだろうか。
ここにいるのが俺でいいのだろうか。
いつも何かあったら言えと言っているのは自分なのに、いざとなったら何も出来ないのではないかと気付かされたような気がした。
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