12


なんで引き止めてしまったんだろう。
なんであんな事を言ってしまったんだろう。
一度は椅子を引いた彼が、何かを思い直したように背を向けた途端、私の手が勝手に彼の制服を掴んでいた。
ここにいて欲しいなんて、今まで一度も言ったことがない言葉が自然と出たことに自分でも驚いた。

お互いに無言が続くこの時間、国光は苦じゃないだろうか。
外にはまだ先輩達もいるだろうし、部長である国光はこんなところにいるよりも外にいた方がいいのに。
いい、のに…
彼がただ黙って隣にいてくれることへの安心感が、今の私にはとても有難い。
ザワついていた体内が、いつの間にか少し穏やかになっていた。


『…ごめんね、引き止めて』


ぽつりと呟けば、ワンテンポ遅れて、問題ない、といつも通りの返事が返ってくる。
変に気遣われるよりよほど有難かった。


『おかげで大分落ち着いた。ありがとう』


久しぶりにちゃんと顔を見れた気がした。
笑いかければどういう訳か国光は困ったように眉を寄せ、机へと視線を落とした。


「俺は何もしていないが…」
『隣にいてくれたじゃん』
「居ただけだろう」
『だからだよ。ありがとう』


そろ、と伺うような視線が戻ってくる。


「本当にこれだけで良かったのか?」
『これだけ、なんてことないって。十分助かったよ』
「…それならいいが」


まだ不安そうではあるものの、幾分か表情を和らげた国光は、やっぱり意外と心配性なのかもしれない。
数分でもじっとしていたことで固まった体を、気持ちを切り替えるのと共にうーんと伸ばした。


『ちょっとだけ、ここで作業しててもいい?皆待ってるかもだし、国光は外に戻ってあげて』
「分かった。解散したら戻る」
『先輩達に宜しく。…ごめんね』
「お前が謝る必要は無い」


国光を見送り、静かになった部室でふうと息をついた。
ファイルがしまってある棚に向かいながら考えるのは、先程藤堂先輩に告白をされた時のこと。
どうしてあの時国光が浮かんだんだろう。


どうしよう、どうしたらいい、国光ーーー


どうして私は全く無関係な彼に返答を求めてしまったんだろう。
国光とは委員会が一緒で、部活が一緒で、家が近所だからということもあってここ数ヶ月は登下校もほぼ毎日一緒で。
マネージャーを始めた時から私の膝のことをすごく気にかけてくれて…
いや、膝だけじゃない。
今となっては誰よりも私自身の心配をもしてくれる。
マネージャーに誘ったという事実の手前、彼の責任感がそうさせているのだろうが…私は彼のその優しさに、知らないうちに甘えてすぎてはいないだろうか。

重荷にだけはなってはいけない。
彼が…彼らが、夢のトロフィーを掲げるその時までは。



* * *



部室から戻ってきた手塚に、一瞬にして様子を伺うような沢山の視線が向かう。
僕の横にいた、先程まで手塚と共に話していた先輩達が、彼の名を呼びながら不安気に足を踏み出した。


「どうかしましたか?」


だけど、手塚から返ってきたのはいつも通りの単調な声だった。


「ど、どうって、名前ちゃん大丈夫か…?」
「彼女には少し業務を頼んでいます。先輩達によろしく伝えておいてくれと彼女から伝言です。見送りできずにすみません、と」
「いやそうじゃなくて、さっきの…」
「さっき?」


手塚の声が少し大きくなった。
しんとしたこの場で、手塚の声だけが皆に伝わっていく。


「すみませんが、俺には何の事だか分かりません。何かありましたか?」


思わず口角が上がった。
そっか、キミはそういうことにするんだね。
分かったよ。


「あ…いや、ならいいんだ…」
「先程は、来年の大会の話の途中でしたね。お時間があれば、是非観に来て頂けると嬉しいです」
「あ、あぁ、勿論」


確認の意を込めてチラリと後方を振り返れば、乾や大石達と目が合った。
こくり、と彼らの首が縦に動く。


「おいおい、お前ら何の話してんだよ?名前先輩はただ手塚部長に仕事を頼まれて部室に行っただけだろ。な、海堂」
「…無かった噂なんか立てんじゃねぇぞテメェら」
「わ、分かったよ…!」
「分かったから睨むなって…!」


また別の所から聞こえてきた声に、小さく笑みが零れた。
どこか冷めていた心に仄かな温かさが生まれてくる。

先輩の行動は勇気がいるものであり、それは認めるけれど、彼女のことを全く考えていないということには変わりない。
そんな先輩に対して優しいと言った彼女こそ、優しいというか、お人好しというか…
…って、あれ、僕は何の話をしていたんだっけ?
もう忘れちゃったな。

ちらりと手塚を見れば、彼は至って通常運転で先輩達と会話をしている。
その冷静沈着さとポーカーフェイスはお手本にしたい所だけど、でもね、手塚。
あまりうかうかしているのも良くないんじゃないかな。
ただでさえ生徒会副会長であり、男子テニス部のマネージャーでもある彼女はそれだけでも目立ってしまうのに、外面的にも内面的も全くと言っていいほど申し分ない彼女に好意を寄せる男子生徒はたくさんいるんだよ。
なんて、そもそもキミが、キミ自身の想いに気付いているのかは怪しいところだけどね。
気付いていないのであれば、早く気付いた方がいいんじゃないかい?
誰かに取られてしまってから気付いたんじゃ、遅いよ。


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