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妙に体がそわそわして落ち着かないのは、絶対にこの車のせいだろう。
なにこれ、本当に車?


「えらいそわそわしとるなぁ」
「いやだって…むしろなんで2人がそんなに落ち着いていられるかが不思議なんですが…」


慣れやな、と侑士は笑う。
正直慣れたくないぞこれは。


「なんだ?不満があるなら言ってみろ」
「無いです無いです…!不満が一つも無いことが不満というか…!」
「あーん?何言ってんだお前」


貴方には言われたくないですそれは。
衝撃もなくまるで滑るような乗り心地、そしてふかふかなシート。
語彙力のせいでふかふかとしか言い表せない自分が悔しい。
しかもなんかめちゃくちゃいい匂いがする。
他所様の車ってこう嗅ぎ慣れない匂いで一杯だけど、確かにこの車も嗅ぎ慣れない匂いではあるけれど、それ以上に凄く落ち着くようないい香りだ。
そんな、見た目も中身も絶対物凄い額のお金がかかっているであろうこの車が、普通に公道を走っていることが違和感でしかない。


「あの、これどこに向かってるんですか?」
「氷帝だ」
「へぇ!?」


どうして!?
まさかの、私は今から自ら敵校ど真ん中に行こうとしているんですか?


「な、何しに…!?」
「何のためにラケットを持ってきたんだ?テニスに決まってんだろ」
「えっ」


それってつまり跡部さん、もしくは侑士と打ち合いをするということだ。
彼らはまだ私の膝のことを知らない。
今日はサポーターも着けていない。
と、いうことは。
…やばい、また国光に怒られる、連絡しなきゃ良かった。
いやでもしなかったらそれはそれでバレたらめちゃくちゃ怒られる。
どうにか回避をしなければ…


「あ、あの…!実は私今、ちょっと足を痛めてまして…テニスは、その…」
「あぁ?膝以外にも痛めてんのか?」
「…え…?」


聞き間違いではないだろう。
膝、と、確かに跡部さんは言った。


「ちょい待ち、跡部」


言葉を失った私に届く侑士の声。


「流石にちゃんと説明せなアカンやろ」


すまなさそうに私へ視線を移した侑士が、ことの経緯を話してくれた。



* * *



「え、つまり?なんやかんやあって跡部さんが長太郎を脅して私の事を聞き出した、ってことでいいですか?」
「あぁ?人聞きの悪い事を言うんじゃねぇよ」


忍足から詳しい話を聞いた苗字の第一声に、思わずぴくりと眉が動いた。


「いやどう聞いても職権乱用じゃないですか。長太郎可哀想」


日本に戻ってから、同年代の女に対等な口の利き方をされたのは初めてだ。
先程コイツの家で初めて目が合った時のことを思い出し、くつくつと喉の奥を鳴らせば、隣から訝しげな目がこちらを見つめてくる。
数日前に改めて観た、海外でのとあるジュニアトーナメントの試合映像……確かに、あの目はそこにいた"傀儡師"であるコイツのモノだった。


「…で?跡部さんは、どこまで私のことを知ってるんですか」
「苗字名前。苗字北斗元プロの娘。アメリカのジュニアテニストーナメントで数々の賞を総取りし、"傀儡師"という異名の元将来はプロ入りも見据えられていた、…が、とある大会時に膝をラケットで」
「ストップ。…分かりました」
「ほう?実話で間違いなさそうだな?」


あの気の強そうな目が返ってくる。
どこかこちらを疑うようなその目は、嫌なものではなく、むしろ興味を惹かれるものだった。


「どうして跡部さんがその話を知ってるんですか」
「俺様の情報網を舐めんじゃねぇ。逆に聞くが、お前は何故そこまでされていてこの事を隠した?」


こちらを向いていた目がすっと逸らされ、虚空を見つめた。

膝を故障したことについての記事は、確かに世にばら撒かれていた。
しかし、その原因となる事柄についての記事やニュースは一つもなく、それはどう考えても故意に隠されているようだった。
事件についてはなんとか調べ上げたものの、この俺様をもってしても、コイツの膝を壊した奴の名前までは分からなかった。
普通なら、テニス人生を潰す要因となった相手は徹底的に潰そうと思うはずだ。
何故コイツはわざわざ加害者を守るような行動をとったのか、理解が出来なかった。


「誰にも言わないって約束出来ます?」


チラリと忍足を見れば、奴は小さく頷いた。


「いいだろう」


2人分の同意を込めてそう言えば、小さなため息の後に、


「罰するのは、簡単だからです」


ぽつりと、しかし重い雰囲気の一言が返ってきた。


「あえて何もしないことで、あの子には一生あの事件の重荷がのしかかる。今あの子がテニスを続けているのかいないのかは知りませんが、私なりの復讐ですよ」


今までに聞いた事のない冷たさを纏ったその声に、我ながら珍しく背中がぞくりと波立った。


「だから私は何もしなかったんです。身内以外に伝えることなく、黙って日本に帰ってきました。静かに消えた私のことを今あの子がどう思っているのかなんて、別に知りたくもないし興味もないですけど」


相変わらず虚空を見つめたまま、苗字は薄らと笑みを浮かべた。
酷く恐ろしく、そして酷く綺麗な横顔だと思った。
が、その顔は一瞬で溶け、困ったような笑みと共に苗字の顔が上へと持ち上がった。


「ほんとに、誰にも言ってないんで内緒にしといてくださいね。侑士も」
「…誰にも言わへんよ」
「青学の連中も知らねぇのか?」
「私の事を知ってるのが顧問の先生とレギュラー陣だけで、それでも事件とその後の話までしかしてないですよ。復讐云々の話は本当に今日、初めてしました」


ここまで突っ込まれて聞かれたのも初めてだったので、と苗字はどこか咎めるような視線を向けてくるが、聞かねぇ奴が悪い。
青学の連中が知らないことを知れたという事実が、単純に優越感をもたらした。


「ていうかそもそも、自分から好感度下げるような話しにくいじゃないですか」
「ハッ、中々人間らしくていいじゃねーの。嫌いじゃないぜ、そういうの」


驚いた顔が俺を見上げた。
表情は困惑へと変わっていき、


「…跡部さんてやっぱ変な人ですね」


女から、変、なんて言われたことも無かった。
俺からしたらお前の方がよほど変というか、初めて会う人種というか、まぁ変だということには変わりは無い。
抑えることなく笑い出せば、更なる困惑の表情が俺の笑いを加速させた。


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