天敵の対策はとばっちり
部室の掃除を終え、カートの下にウォータージャグを乗せ、ついでにこの後必要になる備品やらを上部に乱雑に置いていざ運ぼうと部室のドアを開けた時、外から風に乗ってひらりと薄茶色の落ち葉のような物が部室内に入り込んできた。
今の時期、もう落ち葉…?と思いながらも、それを拾おうと部室内に足を戻して身を屈めた時、
「え?」
落ち葉が動いた。
それは自らの意思を持ってその二枚の羽を小刻みにぱたつかせ、私の足元へ…
* * *
突然聞こえた悲鳴のような叫び声に、コートにいた誰もが手を止めた。
今の声は、名前か?
俺が部室の方を振り返るのと同時に、精市が肩から落ちるジャージを気にすることなく慌てて走っていく。
「今のって名前先輩ッスよね!?」
「ちょっ、一旦ストップ!!」
「っおい!待たんか…!!」
今が練習中である事と、名前の事との間で揺れているのだろう。
バタバタと精市を追うように部室へ走っていく丸井と赤也を止めようとしながらも、部室の方を気にして心配を拭いきれていない弦一郎の肩を軽く叩いた。
「既に精市が向かったから大丈夫だろう。概ね原因も分かっている」
「そ、そうか…」
すぐそこに落ちたままの精市のジャージを拾い上げ、ぱたぱたと砂埃を払う。
「心配なら、様子を見に行くか?」
立場上自ら動きにくいであろう弦一郎へ半分助太刀のようにそう言えば、少し迷った様子を見せた弦一郎は、念の為、とぎこちなく頷いた。
なんだかんだ、弦一郎も名前が心配なのだろう。
そわそわとこちらを伺う柳生とジャッカル、平然としているように見えて内情を隠しきれていない仁王達に心配せずとも大丈夫だと伝え、俺は弦一郎と共に部室へと向かった。
閉じたドアの向こうから丸井と赤也の騒がしい声が聞こえてくる。
印象としては大事を予想させるその慌て様に、隣にいた弦一郎の歩みが早くなった。
弦一郎にしては珍しくノックもせずにドアを開き、数秒固まってから、なっ、という声を漏らす。
ちらりと後ろから部室内を覗き込めば、まず目に飛び込んでくるのは半荒れの部室。
そして、何かを探すように周囲に警戒した目を向ける丸井と赤也。
それから、部室の隅にしゃがんで壁に手を着いている精市と、その精市に守られるように半分抱き込まれ、これでもかという程に小さく蹲る名前の姿。
…情報量が多いが、まぁ、想定内だ。
「いたっ!!」
突然丸井が大きな声を上げて、奇妙な動きをしながらロッカーの方へと走り出す。
「いいいいいたとか言うなボケ馬鹿野郎…!!!」
「わ、悪ぃ…!っあ、この…っ!!」
ひら、と何か小さなものが丸井から逃れるように宙を舞い、風に乗って精市達の方へと運ばれていく。
「あっ!?幸村部長、そっちに…!!」
「イ゙ァア゙アアア!!!?」
「ゔっ…」
慌てたような赤也の声と、それに引き出された名前のなんとも言えない必死な叫び声、それによって更に引き出されたのは珍しい精市の呻き声。
名前の手はがっしりと精市のユニフォームを掴んでいて、精市の首元はギチギチと音が聞こえそうな程に締まっている。
「っ…名前、大丈夫だから、落ち着いて」
「無理…!!無理無理無理無理早くなんとかして無理ホントに無理ぃ…!!!」
「あれっ?どこ行きやがったアイツ…!」
「おい赤也!見失ってんじゃねぇ!」
「すっ、スンマセン…っ!!」
この惨状に口を開けて固まっていた弦一郎がやっと動き出し、恐る恐る部室内へと足を踏み入れていく。
「な、なんだこれは…幸村、何が…」
「説明は後。とにかく…柳、なんとか出来ないか…」
眉を寄せた精市が、目線だけを俺に投げてきた。
まぁその状態では首は回らないだろうからな、と冷静に分析しつつ、弦一郎の後に続くように部室内へと足を踏み入れた。
キョロキョロと視線を辺りに向ける丸井と赤也の間を縫って、真っ直ぐにとある後輩のロッカーへ向かい、躊躇無く扉を開ける。
…もう少し整理整頓を、じゃなかった。
非常事態の為許せ、と彼のラケットバッグのポケットを漁れば、やはりそこにはそれが仕舞われていた。
「…は?柳お前、それチャリのライトじゃん。そんなんでどーすんだよい…?」
丸井の言葉に口端を上げて返し、借り物の自転車ライトを片手に部室の出入口へと向かう。
ドアを開け、パチ、と部室の明かりを消し、ドアを抑えながら外へ数歩後ずさった。
それから部室内に向けてライトを照らせば、まぶしっ!?という丸井と赤也の声がした。
「……ん?…あっ!?ま、丸井先輩!アイツ…!」
「えっ?なんで勝手にそっちに…」
今まで散々部室内で二人が追っていたそれは、光を受けた二枚の羽をぱたぱたと小刻みに震わせながら真っ直ぐに俺の持つライトへ向かってくる。
それが部室の外に出た瞬間にライトを消せば、目的を失ったそれは羽を忙しなく動かして木々の方へと飛んで行った。
それを見送って、部室内に戻りながらドアを閉め、電気を付けた。
「"走光性"という、奴が光に反応して移動する習性を利用しただけだ」
「……す、すげ…」
「さっすが…柳先輩…」
ぽかんと俺を見つめる丸井と赤也、それから、未だに現状を理解していなさそうな弦一郎を他所に、スタスタと名前の元へ近づいて行く。
「名前、安心しろ。アイツはもういない」
ふ、と精市のユニフォームを掴んでいた手から力が抜けていき、怖々と顔を上げた名前の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
いいものを見た、と笑ってやりたい所だが、我慢してやった。
「ほんと…?」
「あぁ。植え込みの方に飛んで行った」
「ぁ…あぁぁ……」
完全に力の抜けた様子の名前は、ぺたりと床に座り込んだまま大きな溜息と共にまた頭を垂れた。
「はぁ…絞め殺されるかと思った…」
ユニフォームの襟元を直しながら立ち上がる精市にジャージを渡せば、ありがとう、とそれをいつものように肩の上にふわりと乗せた。
「ご、ごめん精市ぃ…」
「いいよ。しょうがないでしょ。誰にだって苦手なモノくらいあるんだから」
ぽんぽんと精市から頭を撫でられている名前は、ここだけ見れば虫に怯える可愛らしい普通の女子生徒なのに。
「…アノ野郎マジで許さねぇ…燃やしてやる…消し炭に…」
物騒だな。
「っつーか名前先輩、蛾ダメなんす…ヒィッ!?」
「テメェ二度とその名を口にすんじゃねぇぞテメェから消し炭にしてやろうか」
口元を抑えて必死にコクコクと頷く赤也に、苦笑を浮かべた丸井が近寄った。
「アイツ、苦手なモンとかなさそーに見えんだろい?ところがどっこい、アレだけはダメなんだってよ」
「そ、そうなんスね……え、じゃあ黒光りのアレとかは?」
「あぁ、ゴキブリ?あの子は平気だなぁ。流石に触れって言われたら躊躇するけど」
「うげ…なんでッスか…」
さぁ〜てと、と呑気な声で名前が立ち上がった。
先程までのしおらしい様子は何処へ消えてしまったのか、半荒れになった部室に、うわ、と眉を寄せる。
「折角綺麗にしたのに…」
物は倒れ、ファイルが散らばり、まるでここだけ台風が通り過ぎたかのような惨状に名前は項垂れ、大きな溜息を吐いた。
「ま、まぁ…俺達が暴れたってのもあるし、手伝うからよ」
丸井がファイルを拾い上げ、眉を下げて笑う。
そっスね…と、赤也も頬を掻き、倒れたパイプ椅子を持ち上げた。
「や、ブン太も赤也も悪くない…悪いのは全部ヤツなんだ……いいよ、ここはまた私が片付けるから練習してきて…」
ありがとう、と力無く名前が丸井からファイルを受け取ると、それを横目に見ていた精市がジャージを揺らしてドアの方へと身を返す。
「ここはもう大丈夫だから、俺達は部活に戻るよ。真田、名前の代わりにそのカート運んで」
「ああ…分かった」
弦一郎は不安そうに一度ちらりと名前へ視線を向けるが、すぐに本来名前がコートに運ぶ予定だったカートを押し、精市と共に部室を出ていった。
「俺達も戻るぞ」
「お、おう…」
「ホントに大丈夫っスか…?名前先輩…」
「大丈夫大丈夫、アレさえいなくなれば無敵だから。っていうかマジでありがとうお陰で一命を取り留めた」
「大袈裟だな…」
苦笑と談笑を交えながら丸井と赤也が部室を出ていく。
俺もその後に続こうとしたが、ふと思い立って名前へとその身を向けた。
ハテナを浮かべた名前が首を傾げる。
「アレに有効的なのは、まず照明を蛍光から黄色いものへと変えることだ。それから、窓やドアなどの入口には入念に防虫スプレーをかけ、部屋の換気をするのも対策となる」
「そうなのか…!」
それから、と俺が目線をやった先を名前の目線が追う。
そこには部員達のロッカーがあった。
「アレが好む食べ残しやゴミをこまめに片付けることだな」
特に、部室で良く何かしらを口にしている丸井のロッカーには、アレらの餌となるようなものが何かしらは入っているだろう。
部室での飲食を禁止にしようか、と神妙な顔で考え込む名前にフッと口元を上げ、俺は今度こそ部室を出た。
(はぁ!?お菓子の持ち込み禁止ってどういうことだよい!?)
(持ち込みっていうか、ロッカーに置いとくの禁止。持ち込むのは百歩譲って許してやろう。でも絶対持ち帰れ。それから食った場所から半径2m内を絶対掃除しろ。それが出来ないなら持ち込み禁止だ!!)
(うむ。本来部室で甘味など言語道断。先程幸村と蓮二と話し合い、部室でのルールを今一度改めることにした)
(っ…名前てめぇ三人を味方につけやがったな!?どうせ蛾の…)
(ア゙?)
(…〜っ!!わーったよ!!ったく…!!)
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