タイムマシン


その日は土砂降りで、ただでさえジメジメしたうだるような暑さに、更に湿気がオプションとして追加されていた最悪な日だった。
HRも終わり、帰んのダルいなぁ、と頬杖をついて窓から外を眺めているうちに、クラスからはどんどんと人が減っていく。


「名前ちゃん、帰んないの?」
『んー…あと1時間くらいここにいたら雨止むと思う?』
「弱くはなるかもだけど、今日は夜までずーっと雨だよ」
『まじかよ…』


早く帰んなよ〜?
じゃーね名前、また明日!
と、最後の友人達も帰ったのか部活へ向かったのか、教室にはついに私一人となった。
廊下からは複数人の生徒達の声が聞こえてくるものの、たった一人の教室で聞く雨の音はなかなかいいものかもしれない、が。
…………仕方ない、帰るか…
依然として雨が降り続ける窓の外に溜息をついた時だった。


「中々出てこないと思ったら…一人で何してるの」


聞き慣れた少し高めのその声に振り向けば、教室の入口には幼馴染と言っても過言では無い彼の姿。


『あれ?部活は?』
「こんな雨の中テニスが出来ると思ってるの?」


今日は休みだよ、と呆れたように言いながら、彼、幸村精市がこちらに近付いてきた。
精市一人かと思いきや、その後ろからは見慣れない体格のいい男の子と、さらさらおかっぱヘアの糸目の男の子が続く。
誰だ。


「で?何してたの?」
『雨止めって念を送ってた』
「聞いた俺が間違ってたよ」


精市こそ、放課後にわざわざ私のクラスに来てどうしたんだ。
しかも謎の二人まで連れて。


「ところで名前、少し時間はあるかい?」
『なんか嫌な予感がするから無い』
「そう。実はね、名前に頼みがあるんだ」
『私の話聞いてた?』


フッ、と笑う吐息が聞こえた。
見れば、さらさらおかっぱヘアが僅かに口元を持ち上げている。


「ね、中々面白い子でしょ」
「そうだな。興味深い」
「…だが幸村、本当に務まるのか?」
「そこは問題ないよ。俺が保証する」
「む…お前がそこまで言うなら…」


いや何の話?
勝手に話が進んでいくのと同時に、嫌な予感もいつの間にか寄っていた眉間の皺も増していくんですが。


「はい、これに名前書いて」
『ん…?』


精市から差し出された紙を自然と受け取り、目を通す。


『……あの、』


うん?と笑顔で首を傾げる精市に、私はまた手元の紙へと視線を落とした。

"男子テニス部 入部届け"

上部にくっきりはっきりと太字で印字されたそれ。


『私女なんですけど』
「名前だけ書いてくれればいいから」
『話聞いてる?』
「嫌だなぁ、ちゃんと聞いてるよ」
『1回自分の返答思い返してもらっていい?』


小学校の頃あんなにも純粋な会話をしてくれていた精市は、いつどこでこんな間違った方向に育ってしまったんでしょうか。
私の席の前の椅子をこちらに向けて座った精市は、はい、と今度はボールペンを差し出してきた。


『ちょ、待ってって…!』


このボールペンを受け取ったら終わりな気がする。


「精市、流石に説明はした方がいい」
「…仕方ないなぁ」


ありがとう名も知らぬさらさらおかっぱヘアくん。
良かったら君もその辺の空いてる席に座ってくれ、そっちの困ったように様子を伺ってるもう一人も是非。


「簡単に言うとね」


精市は机に置かれた入部届けの横にボールペンを置き、私の机に頬杖をついた。


「名前に男子テニス部のマネージャーをしてほしいんだ」


は、と思わず声が漏れた。
いやだって男子テニス部ってめちゃくちゃ女子人気高いじゃん。
それにまだ入学して数ヶ月なのに、既に精市がきゃーきゃー言われてんの知ってんだぞこっちは。
そんな女子人気が高いところに行けるわけないだろ、ってか行くわけなかろうが。


『無理です絶対無理主に先輩の女子に殺されるから無理』
「そんなの、俺がいくらでも守ってあげるよ」
『それはそれで無理です』


ってかきゃーきゃー言ってる子に頼めばいいじゃん!
女の子は嬉しい、テニス部はマネージャーが見つかって嬉しい、win-winじゃん!


「そもそも、俺は名前以外に頼むつもりは無いよ」
『なんでだよ!』


思わず突っ込んでしまった。


「名前がいいから。……駄目?」
『っ…』


コイツ…私がその顔に弱いことを知っててわざと…!
精市の綺麗すぎる顔は、時には凶器にもなる。
主に良心への。


「名前がいてくれたら、もっと頑張れると思うんだ。俺だけじゃなく、他の部員も」
『……く、ぅ…』
「それに、名前なら絶対に生半可な気持ちでやらないってことを知ってるから。俺が一番信用しているからこそ、名前がいいんだ」
『ぅぐぐ…』


駄目かな?と念押してきた精市に耐え切れず、ばん、と両手で机を叩いた。
驚くような声が聞こえたけど、知らん!
一週間!と精市に言えば、彼はきょとんと私を見つめた。


『お試し期間!!まだちゃんとマネージャーやるって決めたわけじゃないからね!!』
「ふふ、充分」



* * *



「……名前、…名前、起きろ」
『…んん…?』


しょぼしょぼする目を擦れば、赤くなるから止めておけ、とやんわり手を掴まれた。
その手の先には、


『……さらさら…おかっぱヘア、は…?』
「成程。1年の頃の夢でも見ていたのか」


夢……あぁ、夢だったのか…
随分と懐かしい夢を見たものだ。


「全く…お前はまた授業中に寝て。弦一郎に知られたら怒られるぞ」
『でも蓮二は優しいから弦ちゃんには言わないもーん』
「俺が言うとは限らない」
『え?どういうこと…?』


ふ、と笑った蓮二から答えは返って来ない。
ちょっと待て、さてはこのクラスの全員が敵か?


「どんな夢を見ていたんだ?」
『ん、精市に入部届け書けって言われた日の夢』
「それはまた随分と懐かしい夢を見たな」
『でしょぉー』
「お前が今もマネージャーを続けてくれている事を、あの頃のお前に教えてやりたいくらいだ」


過去に戻る、かぁ。
蓮二に、タイムマシンが欲しいと思ったことがあるかと聞けば、唐突だな、と言われた。


「お前はどうなんだ?」
『んー…あったら便利なんだろうけど、いらない』


俺も同意見だ、と蓮二が小さく笑う。
過去を変えられるのは魅力的だけど、そしたら今ここにいる私はいなくなってしまう。
今日までの楽しい思い出が無かったことになることだけは嫌だ。
タイムマシンは、たまにこうして過去をただなぞる夢だけでいい。





((…っていう夢をさっき見てさぁ))
(ほう、懐かしいな)
(そうだね。俺も良く覚えてるよ)
(ところで名前、言葉の通りならば授業中に寝ていたということで合っているか?)
((……やっべ))
(俺の言った通りになっただろう)
((…!!謀ったな!?))
(名前!お前はまた…!!)
((あーやっぱ今だけタイムマシン欲しいわ))



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