瞳の奥に


ある日の20分休み。
借りていた本を返しに図書室に行った帰り道で、偶然その後ろ姿を見つけた。
やっぱりあの銀髪は目立つな。


『雅治〜』


呼び掛けに気だるそうに振り返った彼は、私を視界に入れると僅かにその顔の力を抜いた。


「あぁ、名前か。どっか行くんか?」
『図書室で本返して来た帰り。雅治は?』
「適当にフラついてただけぜよ」


う〜ん…?
何か隠しているような気がするのは気のせいだろうか。
じっと彼の目を見つめれば、なんじゃ、と彼からもじっと真っ直ぐな目が返ってくる。
……あー、分かったぞ。
"そういう"事か。


『雅治のクラスって、次の授業何?』
「自習」
『お、丁度いいね』


私のクラスの次の授業は保健だし、後で教科書を見直せば特に問題は無い。
つまり、味方を作っての絶好のサボりチャンスなのである。


『屋上行こうぜ』
「…お前さん、さてはサボる気か?あ、こら、」


引っ張るんじゃなか、と言う彼を無視して、制服の裾を掴んで来た道を引き返していく。
途中に置かれた自販機に500円玉を入れ、彼が良く飲んでいるお茶のパックを二つ、下の取り口から引っ張り出した。


『はい』


片方を差し出せば、彼は緩やかに首を傾げつつも素直にそれを受け取った。


「ほう、意外なチョイスじゃな」


確かに、雅治にあげるのならばこれではなく別の飲み物を買っていただろう。
けど、今私の前にいる彼にはこれでいいのだ。


『いつも飲んでるやつじゃん、それ。違った?』


驚いたような目が私を見つめた。
私に見つめ返されるその目は、やがて僅かにゆるりと細められ、それと同時にほんの少しだけ眉も下がった。


「…降参じゃ」
『私の勝ちね。てことで屋上れっつごー』
「折角の名前からのお誘いじゃき、有難〜く受け取らせてもらうぜよ」


お、今の雅治っぽいよ。
そうへらりと笑えば、シー、と人差し指を口に当てた彼が、困ったように笑い返した。



* * *



午前中の屋上ってなんて素晴らしいんだろう。
天気は良いし、風も気持ちいいし、なんといっても高いところは謎にテンションが上がる。
馬鹿と煙はなんとやら?そんなもん私の辞書には無い。
んんー、と伸びをして、それから欠伸を一つ。


『眠いね』


飲みかけのお茶パックを潰さないようにごろりと寝転んだ。


「制服が汚れますよ」
『その見た目で言われるとなんか…』
「っこら、スカートなのに足を組むのはやめなさい…!」
『いやだからその見た目で…』


ばさ、とスカートの上から彼の制服の上着がかけられた。
流石にこの中が直で下着なわけないじゃないの…


『制服が汚れますよ』
「明日クリーニングに出す予定なので、大丈夫です」
『…マジで雅治がおかしくなったように見えるんだけど』
「仁王君のままでいた方がいいですか?」


その見た目でしょんぼりしないでくれ。
ちょっと割と気持ちが悪い。


『分かった、目ぇ潰ればいいんだ。はい、なんか喋って』
「喋って、と言われると…中々難しいですね…」
『うん、いつもの比呂くんだ』


この雅治の中身が比呂くんであることは分かっていても、やっぱり見た目はどう見ても雅治だから勝手に脳がバグって仕方がない。
それよりも、目を瞑ったことで余計に眠くなってくる。
ていうか目瞑ったまま喋ってるとなんか蓮二になった気分だな。


『比呂くんてさ、授業サボったことあんの?』
「無いですよ…」
『え、雅治と入れ替わってても?』
「そもそも校内でそんなに入れ替わることもないですから。授業に出なかったのは今日が初めてですね」


だから少し緊張してます、と苦笑混じりの声。


『お。じゃあこれを機にサボり仲間に』
「なりません」


ちぇ。
でも、という少し力の入った声と共に、衣擦れの音が聞こえた。


「この時間の屋上は、案外良いものですね」


さっきまで高い位置から聞こえていた声が横並びになった。
目を開けて隣を見れば、私と同じように寝転がった彼が眩しそうに空を眺めている。


「名前さん」
『ん?』
「前から聞こうと思っていたのですが、私と仁王君の入れ替わりに気づく要因を教えて頂いても宜しいですか?」
『目』


め?
今まで空を映していた彼の目が、私を映した。


『目。英語で言うと、eyes』
「流石にそれは分かりますよ…」


少しの間じっとその目を見つめていると、やがてふいっと視線を外された。


「…眼鏡も無いですし、改めて言われると、どうにも目を合わせ辛くなりますね」
『比呂くん、滅多に眼鏡外さないもんねぇ』
「そんなに私と仁王君の目、違うでしょうか」
『違うね。だって比呂くんの目は優しいもん』


視線が返ってきた。
今でこそ雅治からそういう視線が送られることはほぼ無くなったが、人の奥底を見据えるような雅治の目とは違って、彼の目には蓮二とも似た、不思議と心地よい優しさがある。
彼の目を見たまま、ほら、と笑えば、また彼の視線は頭ごと反対を向いてしまった。


「私は、そこまで目付きが良い方ではないのですが…」
『目付きじゃなくて、目そのものの話だってば』


そもそも普段温厚な紳士っぽい比呂くんの目が、実は切れ長でつり目って、ギャップがあっていいと思うんだけど。


『比呂くんの目は優しいよ』


少しの静寂の後、恐らくですが、と向こうを向いたまま彼は言う。


「目で判別出来るのは、貴女だけかと思いますよ」
『え?精市とか蓮二なら分かりそうじゃない?』
「…いえ、確信しました。名前さんだけです」


改めてこちらへ向き直った彼が、困ったようにふわりと微笑んだ。
流石に今回は脳がバクらなかった。
見た目は雅治だけど、やっぱりここにいるのは比呂くんだ。





(次はバレないように気をつけるとしましょう)
((ほーう。やってみんしゃい))
(その挑戦、受けて立つぜよ)
((うわ、一気に脳がバグった))
(ふふ、目を瞑ったら如何です?)
((待って待ってバグる))



back