温厚篤実


クラスの風紀委員の女の子から、書類を弦ちゃんに渡して欲しいと頼まれた。
うちのテニス部は大分女子人気が高いのはもう今更なことだが、いつも口を真一文字に結んでいる弦ちゃんは、言動と風貌もあって割と女の子からは取っ付き難い印象を受けているらしい。
渋いけど普通に整った顔してるし、あれでもう少し柔らかい物腰だったらめちゃくちゃモテるだろうに、勿体ない。
まぁ風紀委員長として男女問わずあまり態度を変えないのはいい事だとは思うけど。

昼休み、蓮二と一緒に自クラスで昼食を終え、すぐにA組へと向かった。
が、覗いた教室内には弦ちゃんはいなさそうで、入口からきょろきょろと教室内を見回す私に気づいたのは、絶賛読書中だった比呂くんだった。
わざわざぱたりと本を閉じ、朗らかな笑みを浮かべて近づいてきてくれる。
いつ見ても紳士。


「名前さん、どうかしたのですか?」
『弦ちゃん知らない?和室?』
「そうだと思いますよ。先程書道セットを持って出て行かれたので」
『まーたあそこにいんのか』


お礼を伝えて踵を返そうとした私を比呂くんが止めた。


「真田君に何か御用ですか?」
『クラスの子がね、』


ひらひらと書類を振りながらの私の話を聞いた比呂くんは、そうでしたか、とにこり。
一応入れ違いになった時のために、後で弦ちゃんに伝えてくれるらしい。
なんと気の利く紳士。
再度ありがとうと伝えて、向かうは和室。

精神統一の邪魔をしないようにそっと和室を覗けば、やはり弦ちゃんはそこにいた。
きっちりとした正座は、見ているだけで足が痺れてきそうだ。
動かしていた手が止まり、硯に筆か置かれたタイミングで引き戸の木枠をノックしてから横へ引いた。
途端に畳の匂いと炭の匂いがふわりと鼻を通り抜けていく。
弦ちゃんは私を見るなり珍しそうな顔を向けた。


「名前か。どうした?」
『お届け物でーす』
「届け物…?」


立ち上がろうとする弦ちゃんを止めて、靴を脱いで畳にあがった。
今ではもう一般家庭で中々見ることの無くなった畳は、足の裏に何処と無く懐かしい感覚を思い出させてくる。


『うちのクラスの風紀委員の子から』


書類と引き換えに、わざわざすまん、という言葉が返ってきた。
視線をずらせば、たった今書き上げられたのであろう、"初志貫徹"という力強い文字が目に映る。
相変わらずお上手ですねぇ、と、弦ちゃんの横に腰を下ろした。
正座?んなわけ。


『………』
「……名前?」
『ん?』
「戻らないのか?」


見ててもいい?と聞けば、弦ちゃんは最初は驚いたようにしつつもすぐに、勿論だ、と小さく笑った。
あーその顔だよ、キミに足りないのは。
普段からその顔の頻度を増やせばいいものを、マジで勿体ない。


「折角来たのだ、お前にも何かしたためてやろう」
『いや、いいです』


何故だ、と残念そうな顔が見つめてくる。
皆が持っている弦ちゃんの書は一通り見せてもらってて、普通に上手いしかっけぇとは思うけど、別に欲しいかと言われればそうでもない、すまん。
そんなこんなで今までずっといらないと言い続けて、無理矢理渡されることもないまま今に至る。


「名前に合う言葉、か…」
『いいっつってんだろ…』
「い、いい加減その言葉遣いはなんとかならんのか…!」
『こればっかりはどうしようもないっす』


大和撫子たるもの言動にもっと慎ましさと奥ゆかしさを…と、いつもの通り始まった説教。
やっぱりすぐ帰れば良かった。


「聞いているのか、名前!」
『聞いてない』
「もっと最上級生としての自覚を持て!」
『来年になれば最下級生だもーん』
「ああ言えばこう言う…!!」


そこを動くなよ!と、目を吊り上げた弦ちゃんがいつもより力の入った腕で筆を持ち上げた。
筆先を墨汁に浸し、集中するように深く息を吸って、吐いて…スっと目付きが変わる。
よく見慣れた、テニスをしている時とほぼ同じような目だ。
弦ちゃんが辿る炭の線に不思議と引き込まれて、なんかこっちまで背筋を正さないといけない気がしてくるのが癪だったので、後ろ手でぎゅむりとふくらはぎを抓った。

一息ついて、弦ちゃんが筆を硯に置いた。

"温厚篤実"

読めるようで読めない四字熟語が、力強さもあり繊細さもある線で描かれるように書かれている。


『…えーっと…?おん、こう、…?』


見た事ないよこんなの…どこで覚えてんだよ…


「温厚篤実(おんこうとくじつ)。優しく穏やかであり、思いやりがあって真面目な人柄である人物を指す時に使われる言葉だ」
『え、私にピッタリじゃん』
「半分はな」
『待って今のボケたつもりだったんだけどどうしてくれんの』
「な、何がだ…?」


だめだこいつボケが通じない、頭が固すぎる、そして素直すぎる、ボケたこっちが恥ずかしくなるくらいに。
まさに天性のボケ殺し。
ある意味才能だよもうそれ、特技欄に書けるんじゃないの。


「乾いたらお前にやろう」
『えぇ…どうせなら私の座右の銘が良かった』
「む?お前にも座右の銘があるのか」
『他力本願』


まずはその姿勢から正せ!と怒られた。





(真田君、ついに名前さんにも書を差し上げたんですか?)
(あぁ。名前に聞いたのか?)
(いえ。先程名前さんが持っていた手帳に、折り畳まれた半紙が挟まっているのを偶然見かけまして。やはりあれは真田君が書かれたものだったんですね)
(…そう、か。てっきり、……いや)
(ふふ、それはまずないでしょう。名前さんは少々言動に問題はありますが、思いやりと優しさに溢れた素敵な方ですから)
(あぁ、そうだな)



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