あいつがいない理由は
朝テニスコートに着くと、いつもはもう1、2年に混ざって朝練の準備をしているはずの名前の姿が見えなかった。
部室にでもいんのか?と特に気にもせず部室のドア開けても、そこには名前はおらず、どこか不安そうな顔をした柳生とジャッカル、落ち着かない様子でちらちらと時計を見上げる真田、何やら考え込んでいる幸村君と柳がいるだけ。
「おーす。名前、まだ来てねぇの?」
あぁ、おはよう、という皆の返事と一緒に、そうなんだ、と幸村君が困ったように言った。
だから全員微妙な顔してんのか…
にしても、名前の事だし幸村君辺りに事情連絡とか来てんじゃねぇのか?
「丸井、名前から連絡が来ていたりしないか?」
なんて思っていれば逆に柳に聞かれた。
スマホを取り出したが、通知は一つもない。
「俺のとこにはねぇけど…一番可能性あんの幸村君だろい?連絡ねーの?」
「それが無いんだ。こっちからの電話も出ないし」
幸村君にも連絡が無いとしたら、考えられるのは寝坊…?
いや、でもあいつが…?
「こん中の誰にも連絡がいってねぇんだよ。だから今皆で、ただの寝坊だったらいいんだけど、っつー話をしてたんだ」
「丸井君にも連絡が無いとなると、やはり心配ですね…名前さんが連絡も無しに朝練に遅刻してきた事なんて、今までに一度もありませんし」
自由人の名前は授業はサボるし、朝練が無い日は余裕で遅刻して来たりするけれど、部活に関しては俺達と同じ熱量を持ってくれている。
赤也みたいに寝坊で遅刻をしてんのは今まで見たこともないし、事情があって遅れる場合は必ず幸村君を初めとしたレギュラーの誰かに連絡が入る。
寝坊ならいいんだけど、ってのは、普段は適当でもなんだかんだ部活はちゃんと真面目にやってる名前の日頃の行い故なんだろう。
ガチャリとドアが開き、俺を含めた全員が勢いよく振り向いた。
全員の視線が突き刺さるその先で、僅かに動きを止めて数回瞬きをしたのは、仁王だった。
「…なんじゃ、名前は来とらんのか?」
第一声が俺と全く同じセリフで思わず苦笑してしまう。
「今丁度その話をしてたんだよぃ。仁王、お前んとこにも名前から連絡入ってねぇよな?」
んー、と自身のスマホを見た仁王は、きとらんぜよ、と首を振る。
「俺のとこにも、ってことは…」
仁王が全員の顔色を伺うように視線をめぐらせ、全貌を理解したように小さく息をついた。
「…赤也にだけ連絡がいくのは考えにくいのう」
「あぁ。朝練に関しては、名前が遅刻常習犯に連絡するとは思えない」
寝坊じゃないとすれば、ここに来るまでに何かあったのではという不安が押し寄せてくる。
やっぱり皆と同じように、頼むから寝坊であってくれという思考に落ち着いた。
主に柳から俺が来る前の話を聞きつつ、やはり名前は来ないままそろそろ朝練開始時刻となった頃、ばん、と荒々しく部室のドアが開いた。
またしても全員の視線が向かう先で、息を切らした赤也が肩を上下させながら部室に入ってくる。
「っあっぶねー!セーフ!」
んだよ、お前かよ…と思ったのは俺だけじゃないはずだ。
赤也!お前はまたギリギリに来おって!
いつもなら聞こえるその声が無い。
ちらほらため息が聞こえるだけの静かな部室で、流石に何かを感じとったのか赤也がそろりと顔を上げた。
全員の視線を真っ向に受け、段々とその顔が青くなっていく。
「…え、え、セーフっすよね…?」
いつもなら笑えてたんだろうけど、ちょっと今はそんなことを気にしている余裕はない。
「赤也」
「は、はいっ!?」
真田に呼ばれた赤也が、びくりと肩を揺らした。
「名前から連絡が来ていないか」
「は、…え?名前先輩っスか?」
そういや名前先輩居ないっスね…?とスマホを確認した赤也は、やはり首を横に振った。
「名前先輩、どうかしたんスか…?」
柳の説明を受け、俺達の様子に漸く追いついてきたらしい赤也が、その顔に心配の色を滲ませた。
「お、俺、探しに…!」
あわあわとラケットバッグを床に放り、今にも部室を飛び出しそうな赤也を止めたのは柳だった。
「朝練開始時刻になっても名前が来なかった場合、俺か精市が名前の家まで辿ることになっている。が、……そろそろだな」
どうする?精市、と柳が幸村君を振り返ったところで、机に置いてあった幸村君のスマホが無機質な音を鳴らした。
全員が注目する中、いつもより慌てた様子でスマホを持ち上げた幸村君がすぐにそれを耳元へと当てる。
「っもしもし、名前?今どこに、………え、」
幸村君の顔色が一瞬にして青くなり、部室内に緊張が生まれた。
「……あぁ、なんだ…脅かさないでよもう…」
が、それはすぐにほっとした様子に変わり、俺達はちらちらと顔を見合せながらじっと幸村君の電話が終わるのを待った。
「分かった、今日は朝練はいいよ。もし学校にも遅れそうなら俺から先生に話しておくから」
普段俺達には向けないような優しい声で話していたかと思えば、数拍空けて、は?今からダッシュさせてあげてもいいんだけど?とワントーン低い声。
あいつ、幸村君に何言ったんだよぃ…
それから数言交わし、幸村君がスマホをラケットバッグに仕舞った。
「幸村、名前は…」
「っそうだ、どこにいるんスか!?」
「ここに来る途中で、倒れ込んでたご年配の方を介抱してたみたいでね。今その方と病院にいるらしい。ご家族が来るまで一緒にいるって」
道理で連絡が無かった訳だ。
にしても、その"ご年配の方"には悪ぃけど、名前に何かあった訳じゃなくて本当に良かった。
安堵の空気が広がっていく中で、あいつも案外お人好しだよなぁ、なんて思っていれば、お人好しじゃのう、と仁王がまさに今俺が考えていたことを口にした。
「フフ、名前さんらしくて良いじゃないですか」
「名前は家族の中でもとりわけ祖父母と仲が良いと聞いている。放っておけなかったんだろう」
「ま、あいつが無事で何よりだな」
「まぁの」
さて、と幸村君が立ち上がった。
「一段落した所だけど、時間だ」
ラケットを片手にジャージをなびかせて出ていく幸村君の後に続き、俺達も部室を出る。
そんじゃ今日もがんばってこー、と、あまり気合いの入らないテンションの名前の声が聞こえた気がして、いないと分かっていても、おー、と小さく返事をするように呟いた。
(ブン太〜)
(なんじゃ、また丸井にだけ用事か)
(おー、お疲れ…って、それなんだよ?)
(ブン太のが適任なんだっつの。病院付き添ったおばあちゃんの娘さんから貰った。クッキー)
(え!くれんの?お前が貰ったんだろぃ?)
(一つだけ貰った。あとはあげる)
(んん…なんか悪ぃけどくれんなら貰う!サンキュ〜)
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