ジャージ問題


朝食も済ませ、残った時間で高校生組に混ざって他愛もない会話を楽しんでいた時だった。
コトン、と少し重い音、そして途端に太もも辺りに広がる液体の感覚。


「あっ!?」


不注意でグラスを倒してしまい、3分の1程残っていたりんごジュースが見事に私のジャージのズボンに吸い込まれていく。


「おや、大丈夫ですか?」
「君島さんかかってないですか!?」
「ええ。少し失礼します」


私よりも早くおしぼりをジャージに当ててくれながら君島さんが言った。
慌てておしぼりを引き継ぎぽんぽんとジャージを叩く横で、君島さんはテキパキと机の上を整えてくれて、反対側に座っていたツキさんが静かに席を立つ。
床も濡らしてしまったから恐らくスタッフの方に声をかけに行ってくれたのだろう。


「うぅぅ…すみません、本当にすみません…」


同じテーブルを囲む他の高校生達も、大丈夫か、など優しい声をかけてくれて、皆さんの前でこんな粗相をしてしまったことに恥ずかしさを覚えながらひたすらに謝るしかできない。


「ここはもう大丈夫ですから、早く着替えて来なさい」
「で、でもっ…」
「もう練習も始まります。ほら、行きなさい」


君島さんが私を立たせ、出入口へと肩を押す。
コートで待ってると優しく送り出してくれる皆さんに再度すみませんと謝って、急いで自室へと向かった。


「……あ、」


自室についてジャージのズボンを脱ぎ、新しいジャージを取り出そうとクローゼットを開いて手が止まる。
そうだった、予備のジャージ類は朝食前に洗濯機の中に…乾燥が終わるまで待っている時間は無い。


「どうしよ…」


私服で行く訳にもいかないし、…誰かに借りる…?
いや、私と皆じゃ背丈が違いすぎるし、もし汚したら…
借りるとしても越前くんか金ちゃん辺りかな…と考えながら、何か代用品がないかクローゼットを漁る私の目に止まったのは学校指定の体操着の短パンだった。
ちょっとした軽い運動をすることがあれば、と一応持ってきて本当に良かった、自分を褒めたい。

学年色である臙脂色のそれは、U-17マネージャー用の黒ジャージとそこまで相性が悪い訳でもないし、まぁいいだろう。
今の時期に素足は少し肌寒いけど、仕方ないか…



* * *



ドリンクやタオル、新しいスコア表などの備品を乗せたカートをカラカラと押して上位コートへと向かう。
心なしかいつもより皆に見られているような気がしてならないのは、きっとこの季節に短パンという寒そうな格好をしているからなんだろう。
朝食時の粗相も相まって視線が地味に恥ずかしくて、正直寒さをあまり感じないのは良いのか悪いのか…


「えっ、ジャージどないしたん?」


朝一緒にいた彼らが集まるコートに着けば、修さんの声ですぐに全員の視線が私の足元へと注がれた。


「実は予備のジャージは全部朝ごはんの前に洗濯に出してしまっていて…」


動き回れるものがこれしかなかったんです、と苦笑混じりに言えば、それじゃ寒ィだろ、と竜さんが眉を寄せた。


「俺のジャージ貸したろか?」
「だ、大丈夫です!わざわざ脱いで頂く訳にもいきませんし…!」


私の足元を見ながら、んー…と何やら考えている様子の修さんは、やがて口端を吊り上げ、着ているのか着ていないのかよく分からない不思議な着方をした自身の上着をするりと脱いだ。


「ちょお名前、これ着て」
「へ…?上は別に…」
「ええからええから。チャックも全部閉めてな」


ハテナを飛ばしながら修さんからジャージを受け取る私の周りでは、竜さんと君島さんがほぼ同時に頭を抱えてため息をついた。
…えっと?仲良しですか?


「ん、と……ぶかぶかですね、当たり前ですけど…」


言われた通りにチャックを上まで上げれば、元々着ていた私のジャージすらも覆い隠したそれは右半分だけがほんのりと温かい。
着ましたけど、と言う意味を込めて修さんを見ようと顔を上げたところでほぼ全員の視線の違和感に気づき、はて、と首を傾げた。


「なぁ竜次、俺天才ちゃう?」
「…ノーコメント」
「ハァ…やはり下は必須のようですね…」
「え?え?」


どうやら私だけがよく分かっていない中、ふいにお頭様が近付いて来たかと思えばぐいっと首根っこを捕まれた。
首根っこというか、修さんのジャージの襟元を掴んで上に引っ張り上げられたというか…
一瞬体がふわりと浮いたような気がした後、すぐに首の一部がきゅっと絞められたような感覚に襲われた。


「うぇ、お、お頭様…!?」
「チッ…早く脱げ」
「わぁ、脱げやなんて大胆やなぁお頭サマ」
「沈めてやろうか、種ヶ島」


おー怖い怖い、と笑みを作ったままひらひらと振られる両手に、お頭様は更に舌打ちをする。
至近距離の舌打ちめっちゃ怖い。
とりあえず首元の苦しさから解放されたくて、すぐにジャージのファスナーを下ろした。
この一時で蓄えた熱を、開かれたジャージの隙間から入り込む冷たい空気が急激に冷やしていく。


「さむっ…」


その言葉もスルーされ、お頭様が私から修さんのジャージを剥ぎ取るように奪い、ぽい、と修さんへ放った。


「入江にでも借りてこい」
「えっ」
「アイツの身長なら少し捲れば大丈夫だろ」


た、確かに奏多さんは練習中はあまりジャージの下を履いてないし、高校生組の中でも比較的身長が低めではあるけれども…!


「でも汚したり、万が一破損とか…!」
「消耗品なんざそんなモンだろうが」
「えぇ…」


代表のジャージを当たり前のように消耗品と言い切るお頭様。
困惑しつつもそのスンとした態度にかっこよ…なんて思いながら、早くしろ、とひと睨みされれば私はもう考えるより先に足を動かすしか無かった。



* * *



「奏多さぁん…」
「あ、名前ちゃん。随分寒そうだけど、ジャージどうしたの?」


かくかくしかじかで、と訳を話せば奏多さんはあらら…と笑い、すぐにベンチに畳まれていたジャージのズボンを渡してくれた。


「はい。遠慮せずいつも通り動いて大丈夫だからね」
「ありがとうございます…ちゃんと綺麗に洗濯して返します…」
「…ふふっ、そしたら暫く僕のジャージから名前ちゃんの柔軟剤の匂いがするってことかな」
「うっ、え、奏多さんの使ってる柔軟剤で別で洗濯しましょうか…!!」
「あっはは、冗談だよ。ほら、早く履いて。裾捲ってあげる」


比較的身長が低めで線も細いとはいえ、やっぱり奏多さんは男性なんだなぁとジャージを履いて思う。
他人の物というのもあって少し違和感はあるが、風が当たらなくなった足は徐々に熱を貯めてくれるだろう。
しゃがんで裾を捲ってくれている奏多さんにお礼を言えば、下からにこりと綺麗な笑みが私を見上げた。


「名前ちゃんの力になれるなら、いつだって喜んで協力するよ」


優しい、眩しい…!
どきりと鳴った胸を抑えてひたすらお礼と謝罪を繰り返せば、いつものように面白そうな笑い声が私を包んだ。


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