ランキング戦を終え、まずは地区予選に向けて練習にも気合いが入り始めたある日。
その日は部活はなかったが生徒会の集まりがあったため、私と国光は皆よりも少し遅めの帰宅となった。


「…少し、聞きたいことがある」
「ん?」


答えたくなければ無理して答えなくていい、と前置きをしてから国光が切り出したのは、


「お前はアメリカにいた頃、越前とは良く打ち合いをしていたのか?」


すぐに浮かんでくるあの日々の記憶を懐かしく思いながら頷けば、国光は納得したようにそうかと呟いた。


「先日のランキング戦で、あいつが明らかに試合慣れしている事が気になった。それもかなりの手の奴と。お前がその相手ならば納得だ」


あぁ、成程。
私との打ち合いも少なからずリョーマの糧にはなっていると思いたい…が、でもそれは私ではないだろう。
リョーマをあそこまで成長させたのは、私がリョーマの前から姿を消していた約2年間…


「…違うな。それは私じゃないよ」
「…うん?」


眉を寄せる国光に笑い、問題、と言えばその顔は僅かに怪訝さが増した。


「リョーマの苗字は?」
「…越前?」
「テニス、越前…と言えば?」


怪訝そうな顔がはっとしたものに変わり、まさか、と零れる声。


「そ、リョーマのお父さんだよ。毎日のように南次郎さんと打ち合いしてるだろうからね」


それから、日本に帰る前は私の父さんとも何度も打ち合いをしているのを知っている。
元々ポテンシャルも負けん気も高く、それでいてひたすら元プロ2人を相手にしていれば、そりゃあ2年もあればあそこまで見違える程になるはずだ。


「リョーマのツイスト、見た?」
「…あぁ」
「あのフォームなんか特に、南次郎さんにそっくりなんだよねぇ」


リョーマの試合を見ていると、まるで小さくなった南次郎さんがコートにいるかのよう。
越前南次郎、か…と、隣から小さく声が零れた。


「それを聞いてやっと腑に落ちた。確かに越前のテニスには、俺の記憶の中の越前南次郎と重なる部分がいくつもある」


重なる部分か…
正直なところ、あれはもはや南次郎さんの模倣そのものだ。


「リョーマはさ、それこそ小さい頃からずっと南次郎さんを相手にして、いっつもコテンパンにされてたんだよね。負ける度に悔しそうに南次郎さんを睨んでさ」


あの頃のリョーマの表情が脳裏に浮かび、小さく笑みが零れた。


「きっと今のリョーマの目には、南次郎さんの背中しか映ってないんだろうなぁ」


ランキング戦で見たあのテニスは、果たしてリョーマのテニスだと言えるのだろうか。
今のリョーマに必要なものはきっと、敗北。
南次郎さん以外の、超える壁。


「親がどうこうとかじゃなく、リョーマにはテニスの才能がある。だからこそ、リョーマが更に強くなるためにはそれをしっかり認めている人に負けることが必要なんだろうなぁ、とは…思うんだけど…」


それが私に出来れば良かったのに。
ここ最近は前より痛むことが少なくなってきた気はするが、私の膝はワンセット分もつのだろうか。
リョーマのことだし、きっと私が少しでも無理をしようものならすぐに試合を止めるだろう。


「完封出来るかは分かんないけど、一回リョーマと本気で試合してみよっかなぁ…」


そう呟けば、隣の歩みがピタリと止まった。


「俺にやらせてくれないか」


え、と振り返る先で、私を見つめる真っ直ぐな目。


「アイツは今の青学にとって必要な人材だ。そして、その先も」
「でも国光、腕はまだ…」
「それはお前だって同じだろう」
「いやでも、国光は大事な選手で、」


名前、と国光が静かに私の言葉を遮った。


「俺は部長として、部員を引っ張る義務がある」
「義務って…」


相変わらず固いなぁと少し気が抜けたところで、それに、と国光はほんの僅かに目尻を落とした。


「お前との約束も忘れた訳ではない」


約束…?
何の話だろうと過去の彼との会話を思い返していれば、すぐにその答えが返ってくる。


「俺が名前の分までアイツの道になる」
「…!っいや、あれは…!」


約束のつもりで言ったのではないという意味を込めて首を振るが、国光は変わらず真面目な顔のまま。
これはもう完全に部長モードだなぁ、と諦めのため息を零した。


「…分かった。リョーマにとっても、私より国光と試合をした方が何倍も良いだろうしね…」
「いや、そういう訳では、」


私が力にならない、という意味で受け取ったのであろう国光が少し表情を変えた。


「違う違う。や、半分は違わないんだけど」


リョーマと私はもう数え切れない程の打ち合いを経験しているし、互いの動きだってなんとなく理解出来てしまう。
だったら私が打ち合いをするより、新しいテニスとぶつかった方がリョーマにとっても、国光にとっても経験の糧となるだろう。
その事をしっかりと国光に伝え、私は彼に頭を下げた。


「改めて、国光に頼みがあります」
「ん…?」
「リョーマをよろしくお願いします」
「!」


少しの間の後、遠慮がちにそっと頭に置かれた手。


「あぁ」


その手はすぐに離れていき、私はそれを追うように顔を上げた。
そうと決まれば先に言っておきたい事がたくさんある。


「大事頼んでおいてアレなんだけど、追加注文していい?」
「…?」
「リョーマと試合をするなら、私も呼んで」


彼のことだ、きっと学校のテニスコートを使うことはまずないだろう。
何かあったら嫌だし、なるべくすぐに動けるようにしておきたい。


「分かった。その時は連絡する」
「それから、絶対無理しないで」
「…善処しよう」


その言葉に、む、と国光を睨めば、彼の体が僅かに後ろに引かれた。


「もし国光が無理してそうだったら無理矢理私が変わるからね」
「……分かった。無理はしない」
「絶対だよ。絶対に無理はしないで、絶対にリョーマに勝って」
「あぁ。約束する」



* * *



名前と別れ、一人帰路に着く。
真っ直ぐに頼られたことへの嬉しさに胸が暖かくなる、が、同時によく分からない不思議な気持ちも生まれてくる。

彼女にとって越前は"大切な弟のような存在"という認識だ。
先程の名前は確かに心から弟を想う姉のようで、今までに感じ取ったことのない名前の雰囲気に、少しだけ越前が羨ましく思えた。
別に、心配してほしい訳じゃない。
むしろ名前に要らぬ心配はかけたくない。
ただ、"これ"とははっきり言えない漠然とした羨ましさが胸に残った。


「兄弟、か…」


自分が一人っ子だからだろうか。
きっと無い物ねだりというやつなのだろう。


「………」


ふと体の奥底から浮上してくる、どうにも消せないやっかいな戸惑いを無理矢理押し込み、俺は小さく頭を振った。
自身の中だけで話題を変えるように思い返すのは、別れ際に名前が言った、"私も私が出来ることを出来るだけやるぞ!"という明るい声。
一度俺にバレて以降も名前が時折俺に黙ってファイルを持ち帰っていることは知っていたが、言ったところでと今まで黙認していた。
…が、


「…そろそろ、あの棚に鍵を付けた方がいいか…?」


俺の問いは、静かな路地に消えていく。


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