おはよう、と挨拶を交わし彼の隣に並んだ。
歩いていくうちに、やっぱり、と変な違和感を感じて隣を見上げる。


「どうかしたか?」


いつも通りの顔に見えて、はっきりこれとは言えない違和感を感じるのは確かで、私は小首を傾げた。


「国光、私に何か言いたいことあるでしょ」
「………」


逸らされた視線に内心で、ほらね、と思った。


「言い辛いこと?私は別に気にしないよ?」
「……あるにはある、が、まだ考えがまとまっていない」


国光を取り巻く雰囲気が変わったと思ったのは、先日の病院での一件があった日から。
恐らく私の診断結果や、病院後の秀を含めた3人での会話で何かを思い、それからずっと考えているのだろうが…


「この前の私みたいに、頭に浮かんだことからでいいんじゃない?国光が話してくれるなら、まとまってなくても全然聞くけど」
「………」


少しの間黙り込んでいた国光は、やがて慎重に言葉を選びながら口を開いた。


「お前は、卒業したらどうするんだ」


いつだか私が国光にしたその質問。
国光はあの時、プロになる、とはっきり言い、そして私の想いも共に背負って世界へ行くという約束をしてくれた。


「…正直、まだ分かんないや。意外と悩んでるみたいで…このまま元いた道に戻れるとは思ってないし、そもそも同じ道を進んでる他の人達に申し訳ないし」


国光が背負ってくれたのは、"もう二度とあの頃の景色を見ることが出来なくなった私"の夢。
だけど今の私は、今後の進み方次第では"あの頃の景色をまた見ることが出来るかもしれない私"になった。
それはつまり、私の進む方向次第で国光は重い枷を背負わなくて良くなる。
だけど…


「一度完全に諦めた夢がさ、呆気なく、実はまだ追いかけられるかもしれません、なんて…なんか気が抜けちゃったというか…」


それにまだ私は完全に膝のことを克服できた訳では無い。
確かに痛む頻度は前より減ったが、それでも到底フルセットで試合なんて出来るとは思えなかった。


「だから今はただ、青学の全国優勝のことしか考えてないなぁ。前も言ったけど、それが今の私の夢だから」


再度訪れた沈黙に、ふと隣を見上げた。
国光は思い悩んでいるような、どこか寂しげな顔をしていた。


「…一昨日、お前がそう言ってくれたことは勿論嬉しく思った。俺も夢はあるが、今はお前と同じく青学の全国優勝のことしか考えていない」


だが…と、国光と私の視線が合う。


「以前、お前の想いを背負わせて欲しいと言ったのを覚えているか?」
「…うん、覚えてるよ」
「ああ言っておいて、今俺は、お前に本来の夢を追いかけて欲しいとも思っている」


言葉を詰めた私に国光はまた前へと向き直り、小さな息と共に僅かに顎を下げた。


「無茶な事を言うが、俺の我儘だと思って聞き流して欲しい」
「…うん?」
「俺は、…お前と同じ景色が見たい。お前の膝、そして俺の肘が治ったら、俺はお前とまた試合がしたい」
「!」
「あの時1-1の引き分けに終わったあの試合の続きを、どちらも完全な状態で」


夢を追いかけて欲しいという言葉には、希望があるのなら進めと、俺にはもうお前の想いを背負う必要は無い、という激励の意味合いが込められているのかと思った。


"単に俺の我儘のようなものだ"


かつて"我儘"という2文字に込められた隠された想いが漸く分かったのと同時に、詰まりに詰まった頭の中のモヤが薄らと晴れていく。


「ただ、無理をしてまでコートに戻って欲しい訳じゃない。膝の事もあるし、お前自身が考えて進むべき方へ進むことが一番だと思う」


国光の足が止まり、必然的に私の足も止まった。


「もしお前がコートに戻ることがないのなら、その時は約束通り俺にお前の想いを背負わせて欲しい」


改めて向き合った国光から真っ直ぐに伝えられた言葉に、私は曖昧な返事をすることしか出来なかった。



* * *



あの日からずっと閉じ込めていた"我儘"をついに伝えてしまった。
後悔はしているような、していないような、それでもただ自身のどこか一部がスッキリしたことだけは確かだった。
でも、話してくれるなら聞く、と言ってくれた名前の言葉に甘えてしまった自分の弱さは叱るべきだとは思う。

名前をあまり困らせたくはなかった末に、俺は名前がこの先どちらに進んでもいいように保険をかけたつもりだった。
だがその判断が余計に名前を困らせてしまったようで、曖昧な返事の後押し黙ってしまった彼女の顔色を伺った。


「…すまない。やはり考えがまとまらないうちに言うべきではなかったな」
「!いや…」


困ったように笑うその表情は、今までにも何度も見たことがある。
名前はいつも俺や他の奴らの表情を見て適切な言葉を選んでくれるのに、俺にはそれが出来ない。
名前は今、何を考えているのだろうか。


「俺はお前と違って人の思いを受け取るのが苦手だ」
「そんなこと…!」
「現に今、お前を困らせてしまっていることは分かっていても、お前が何を考えているのか、どういった言葉をかけるのが適切かが分からないでいる」


少しの間思案した名前は、止まっていた歩みをゆっくりと再開させた。
俺の体も自然とそれに着いて行く。


「私は別に、困ってるわけじゃないよ」
「…そうなのか?」


名前が小さく笑う息を漏らした。


「私だって国光が何を考えているのか分からなかったよ。だから聞いたんだもん」
「………」
「国光の我儘が聞けて嬉しかった。私の想いを尊重してくれてることも嬉しかった。国光はいつも私の背中を押してくれるなぁって思った」


やっぱり人間、言葉で伝えるって大事なんだねぇ、と名前が笑った。


「新しい夢に上書きして考えることから逃げないで、ちゃんと自分と向き合ってみる。ありがとう。国光のお陰だよ」
「俺は、何も…」


俺の言葉を遮るように名前が首を振る。
そしてこちらを見上げた言葉の無い笑顔に、俺はやっと、自身の想いを言葉にして良かったと安堵した。


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