13
タカさん達を見送り、急いでコートへ戻るともうD2の試合は始まっていた。
「河村は?」
「大丈夫。林くん達にお願いしてきた」
そう、と貞治が僅かに笑う。
それからすぐに視線を移した先で、私が戻ってきた事に気づいた英二が、べ、と舌を出した。
主審のカウントを聞くに、ファーストポイントは青学。
きっと英二が決めたのだ。
ちらりと出された舌は、折角点を決めたのに来るのが遅い、とでも言いたかったのだろう。
ぽん、と英二の背中を苦笑混じりの秀がラケットで小突き、英二はにゃははと明るい笑みを見せた。
二人はいつも通り、大丈夫そうだ。
…だが、
「………」
徐々に冷たくなってきた空気に空を見上げた。
まだ青空は見えてはいるものの、もうじきに暗い灰色の雲がそれらを多い隠そうとしている。
この先雨が降ったとして、降り始めはまだコートも使えるからすぐに試合が中断することはない。
ただ、プレイに影響が出るのは確かだ。
特に瞬発力を武器とする英二に、雨は相性が悪い。
降る前にD1の試合が終わればいいけれど…
そんなことを気にしながら試合を見守っていると、
「あ、不動峰…」
水野くんの声に振り向けば、フェンスゲートから不動峰の選手が二人並んで出てきた。
橘くんが呼んでいたのは確か、神尾くんと深司くん…だっただろうか。
アップに行くのだろう二人は、緊張の様子も見せずに悠然と私達の後ろを歩いていく。
あまり見るのも、と視線をコートに戻した私の後ろから、神尾くんの声が聞こえた。
「3年の不二を潰せたのはラッキーだったけど、流石にあのダブルスは強いな」
うちのD1を褒めてくれたということで、前半の宜しくない言い方には目をつぶってあげよう。
「オレ達シングルス陣の責任は重いぜ」
「自信がない?」
「バッカ言え、逆だろ。自信ありまくり。橘さんまでまわんねぇよ」
多分わざとこちらに聞こえるように言っているのだろう。
でもまぁ彼らは第一印象が良かったことと、二人が一つ下の学年であることもあって、可愛らしい挑発だなぁなんて笑ってしまう。
隣の貞治も小さく笑っていた。
けれどこちらにはそんな簡単な挑発に乗ってしまう子もいるわけで…
フェンスの向こうでゆらりと立ち上がり、フェンスゲートへと歩みを進めていく薫に、弧を描いていた口端が固まった。
「後方ケーカイ」
「…りょーかい」
貞治とそんなやりとりをして、視線はコートに向けたまま神経を後方へと広げた。
ただ今後方、打ち合いの音のみ……
「おい、そこの…何か言ったか?」
低い、薫の声だ。
エマージェンシー。
一悶着起きそうです。
薫の声に打ち合いの音が止まる。
神尾くんか深司くんが薫に何か言い返すのかと耳をそばだてていると、人の声は聞こえず、何故か打ち合いの音が先程よりも倍になって聞こえてきた。
「ス、スゲェ!二つのボールをあの至近距離で打ち合ってるぜ!?」
「「しーーっ!」」
こんな時、1年トリオというか堀尾くんの実況は助かる。
そう、そのまま、お互いあまり刺激せずに…
「「「ぎゃーーーっ!?海堂先輩が怒ったぁ!!!」」」
「なんで!?」
思わず声に出して振り返ってしまった。
よく分からないままとにかく薫を止めに行こうと足を踏み出した私の横を、スっと通り抜けていった白い帽子。
「あっ、リョーマ君!?」
「リョーマ…?」
ラケットを肩に乗せ平然と歩いていくリョーマは、薫の横をも通り過ぎ、真っ直ぐに今まさに二つのボールを打ち合っている神尾くんと深司くんの間へと向かっていく。
「おい、ちょっと待てキサマ…」
声をかけた薫の声を無視したリョーマは、歩くスピードを落とすことは無い。
「も、もしかしてあの打球の間を…」
加藤くんの呟きに答えるかのように、リョーマはスっとラケットを肩から下ろすと、打ち合っていた二つのボールを的確に神尾くんや深司くんに打ち返しながら二人の間を通り抜けた。
おぉ、と声が漏れる。
「おいおい、マジかよ…」
流石にこれには驚いたようで、神尾くんが一つボールを掴み、深司くんはもう一つのボールをラケットでいなし、打ち合いを止めた。
「ど、どうやったの!?」
「全部返してたよ!スゴイ!!」
まだまだだね、と、さほど興味の無さそうな声で言いながら、リョーマが通り抜けた先にあった水道の蛇口を捻る。
何度かごくりと喉を揺らしてから水を止めたリョーマは、やっと神尾くんと深司くんに視線を向けた。
「…ねぇ、球もう一つ増やしてみる?」
自然とため息が漏れた。
簡単に挑発に乗る子、もう一人増えたんだった…
ほんの少しの静寂を破ったのは、けっ、という薫の小さな声。
興醒めだとでも言いたそうに、薫はゆらりとこの場から去っていく。
そしてリョーマも、薫とは別の方向へとスタスタと歩いていってしまった。
何はともあれ、特に問題が起きなくてよかった。
私はゆっくりと不動峰の二人に近づいた。
「アップ中だったのに、うちの部員がすみません…お邪魔しました…」
そう声をかければ神尾くんが、エッ、と驚いたような焦ったような表情をこちらに向けた。
「い、いやっ…大丈夫です!むしろなんかスイマセン…!」
「え?」
「エッ!?あ、いやっ…あっ!」
ぽろ、と神尾くんの手から零れたボールを、スンとした表情の深司くんがラケットで拾い上げた。
「…カッコ悪」
「うっ、うるせっ…!」
「ふふ。神尾くんと、深司くん、で合ってます?確か橘くんがそう呼んでましたよね」
「ッハイ…!」
弾かれたように返事をしてくれた神尾くんと、小さく頷くだけの深司くん。
深司くんは寡黙な子なんだろうか。
でも、やっぱり二人とも普通に良い子達そうだ。
「二人はシングルスなんですよね。この後の試合、楽しみにしてますね」
試合を控えた彼らの元に長居するのも、と、軽く会釈をしてフェンス前に戻ろうとすると、
「あの…!」
神尾くんが私を呼び止めた。
「?」
「えっと…な、名前…なんでしたっけ…」
「あぁ、苗字です。苗字名前」
「名前さ、っいや、苗字さん…?」
「名前でいいですよ。そっちの方が慣れてますし」
ホッとしたような表情を浮かべた神尾くんは、改めて自ら神尾アキラと名乗ってくれた。
それから神尾くんに押し出されるようにして深司くんも、伊武深司、と端的に名乗ってくれた。
「名前さん、3年ですよね?普通に話してもらっていいんで…!な、深司!」
「…別に、なんでもいいけど」
「じゃあ、お言葉に甘えて。アップの邪魔したら悪いし、戻るね。敵校に言うのもなんだけど、頑張ってね」
「はいっ!」
笑顔を浮かべた神尾くんと、やはりスンとした深司くんに背を向けてフェンス前に戻れば、今度は分かりやすく拗ねたように頬を膨らませた英二と目が合った。
その隣では困ったような笑みを携えた秀が私と英二を交互に見ている。
ごめんて、ここからはちゃんと見てるから。
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