熱いのは
どうやら奏多さんが風邪を引いたらしい。
ドリンク等を運んだ先のコートに彼の姿が見えず、きょろきょろと視線を動かしていると、十兄さんがそう教えてくれた。
ここ最近気温の変化が激しいし、誰が体調を崩してもおかしくない季節になってきている。
皆の休憩のお供に風邪予防の何かしらを付け足すのもいいかもしれないなぁ、なんて考えながら、作業休憩の合間に彼のお見舞いに向かった。
ちゃんとマスクもしたし、差し入れも持ったし、準備は万端だ。
102号室のドアをノックすれば、緩い部屋着姿の奏多さんがドアを開け、私を見て驚いたようにマスクの上の目を開いた。
かと思えばその目は困ったように目尻が下げられ、
「…名前ちゃん、鬼か徳川くんに聞いたの?」
「十兄さんに聞きまして…お見舞いに来たんですが、お邪魔でしたか…?」
「いや、嬉しいよ。けれど、もし風邪がキミに移ったら僕は…僕は…ッ…!」
「か、奏多さん…!?」
俯きプルプルと肩を震わせる奏多さんの顔を慌てて覗き込めば、にっこりと細められた目と目が合う。
はぁぁ、と体の力が抜けた。
「…もう…お元気そうで何よりです…」
でも、と顔を上げた奏多さんは心配そうな声で言った。
「本当に名前ちゃんに移ったら大変だから、お見舞いは今日だけにしてほしいな」
「はいっ、そうします!」
いい子、と奏多さんによって頭が撫でられていく。
心地良くて心がほわほわ……じゃなくて…!!
「お見舞いに来た私が癒されてどうするんですか…!」
「ふふ、僕も十分癒されてるんだけどなぁ?」
「そ、そうなんですか?」
チラリと奏多さんの目が私の持つ袋に移り、もしかして、それは僕に?とにこり。
この一瞬で存在を忘れていたそれを、慌てて奏多さんに差し出した。
「そうでした…!カフェで売ってるゼリーと、スポドリなんですが…」
「わぁ、ありがとう。丁度スポドリが切れてたんだ。ゼリーも助かるよ」
お礼を言って私から袋を受け取った奏多さんは、少し視線を逸らし、また私を見て緩やかに首を傾けた。
「名前ちゃん、時間はある?」
「大丈夫ですよ。何かお手伝いしましょうか?」
奏多さんは自室のドアを広げ、私が入れるようにその体を引いた。
「少しだけ話し相手になってくれると嬉しいな。一人って、結構暇なんだ」
「勿論です!」
招かれるまま、部屋の中へと入っていく。
ドアを抜ける瞬間、ふわりと冷たい風が吹き抜けた。
「…あの、寒くないんですか?」
「一応共有部屋だからね。換気しないと」
そっか、基本ここにいる中高生達は一部を除いて一部屋を数人で共有して使っているんだ。
「なんか…一部屋丸々使ってるのがなんだか申し訳なくなってきました…」
パタリとドアを閉めた奏多さんが小さく笑う。
「女の子なんだし当然だと思うけどな?それに、齋藤コーチの大事な姪っ子だからね、名前ちゃんは」
「う、うぅん…」
座って、と促され、クッションの置かれたカーペットにぺたりと座った。
ふと目をやったハムスター小屋では、かえでちゃんが寒さに負けずカラカラと忙しなく滑車を回している。
こっちも元気そうでなによりだ。
ふわ、と肩に何かがかかり、見上げればすぐそこに奏多さんの優しい微笑み。
「寒いでしょ?」
「えっ」
肩にかけられたのは、恐らく奏多さんのストールだろうか。
「ありがとうございます…!」
「ごめんね、これくらいしかなくて」
「いえっ…えへへ、奏多さんの匂いがします」
きゅ、とストールを手繰ってそう言えば、奏多さんは僅かに目を開き、すぐに私から視線を外して床に腰を下ろした。
「え、え、あの、すみませんとても失礼なことを…!」
「っいや、違うんだ、……困ったな…」
手の甲で口元を覆い、依然と向こうを向いたままの奏多さんは、はぁ、と小さくため息のようなものを零してから、けほけほと数回咳をして。
「大丈夫ですか!?」
慌てて奏多さんに近寄って様子を伺おうとすれば、くるりとこちらを向いた奏多さんの手が私の頬に伸びる。
「…名前ちゃん」
「へ、ぇ…?」
頬の半分以上を覆うマスク越しに奏多さんの手の熱が伝わってきて、え、やっぱりちょっと熱くないか…?
「奏多さん、熱が、」
「風邪の治し方って、どうすればいいと思う?」
「え…?」
「誰かに移したら治る、って、良く聞かない?」
「え、えっ…?」
ゆるりと奏多さんの目が細められ、じっと見つめられ、私はぱちぱちと瞬きをすることしか出来ずに彼の目を見つめ返す。
奏多さんが触れる頬が熱い。
「どうしたら移るか、知ってる?」
「いえ、あの、奏多さん、熱」
「例えば、」
と、奏多さんが私の言葉を遮り、空いている手で自身のマスクの片耳の紐をするりと外した。
キス、とかね。
奏多さんの口がそう動いて、それからすぐに奏多さんの顔が近づいてきて、私はパニックなんて通り越してぎゅっと目を瞑った。
ぐるぐると回る頭の中に、こつりと小さな衝撃。
頬が熱い。
額も熱い、…額?
ぱちりと目を開けるのとほぼ同時に、私から全ての熱が遠ざかっていく。
いや、半分嘘、手はもう離されたはずなのに、まだ頬は熱いままだ。
「あははっ、名前ちゃんも風邪かな?顔が真っ赤だけど」
「っ…!!か、かかかか奏多さん…っ!!」
笑いながらマスクを掛け直す奏多さんに、全てを理解し直した私は借り物にも関わらずストールを強く握りしめて顔を覆う、けれど。
マスク越しだけど、ほぼダイレクトに伝わる奏多さんの匂いが余計に恥ずかしさを助長していく。
「ふふ、名前ちゃんて本当に可愛いよね」
「うっ、あ、あのっ、そのっ」
恥ずかしい…!!!
奏多さんてこんな、こんなに修さんみたいな人だったっけ…!?
「全く…招いておいて言うのもなんだけど、もう少し警戒しなきゃダメじゃないか」
「ぇ、え、いや、」
ふわりと優しく顔を覆うストールが避けられ、僅かに細められた奏多さんの目がじっと私を見つめて、
「そんなに無警戒だと、そのうち誰かに奪われちゃうよ?」
それから楽しそうに笑う奏多さんに見送られ、またコートに戻ったのはいいものの、正直どうやってコートに戻ってきたのかの記憶はあまりない。
借りてたストールって返したっけ、持ってないってことは返したんだよね…?
奏多さんが修さん化したのは、きっと風邪と熱のせいだ、うん、きっとそう。
少し離れたコートから、修さんの派手なくしゃみが聞こえてきた気がした。
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