届いた手


今日は部活が無い日。
いつもは誰かしらと帰っているけれど、今日は色々用事が重なったりして珍しく一人での帰宅だ。
昇降口を出て、さーて帰るか、と歩きながら何気なく視線を動かした先で、ふらふらと校舎裏へと消えていく雅治の姿を捉えた。


「…ほーう?」


これは何やら面白そうな予感がする。
正門へ向かっていた私の足は、くるりと方向を変えてヤツの後を追った。
校舎の角の向こうをそっと覗き込み、誰の姿もないことを確認してからそろそろと足を進めていく。
万が一告白とかだったらね、相手の子に可哀想だからね。

…それにしてもアイツ、どこに行ったんだろう。
きょろきょろと視線を動かしても、雅治の姿はどこにも無い。
この先はただ木が多い茂る小さな小道があって、それも壁で行き止まりになっているだけだ。

先程まで膨らんでいた興味も徐々に萎んでいき、もう面倒だから帰ろう、と思ったその時だった。


にゃぁー


「…?」


微かに聞こえたのは、猫の声だろうか。


「…、……」


同時に、何を言っているかは分からなかったが男性の話し声も聞こえてくる。
薄らと耳馴染みのあるその声の方に足を向け、静かに近づいていくと、


「…こら、もっとゆっくり食べんしゃい」


今度ははっきりと聞こえた、雅治の声。
声のトーンは抑えているが、すぐ近くに……


「…あ」


木々の間にある小道にしゃがみ込んだ雅治と、彼の落とされた視線の先で何かをもぐもぐと食べているトラ柄の猫。
私の声に、雅治よりも先に猫がぴくりと反応してこちらを振り向いた。
やば、と思ったけれど、猫は全く逃げる素振りもなくまたゆるりと地面に置かれた何かへ顔を近付ける。


「…まさか、覗きが趣味じゃったとはのぅ」


聞き捨てならない台詞が投げられた。


「たまたまですぅ」
「たまたま、こんな所に来るんか?」
「雅治がこそこそこっちに向かってったからだろ」
「ほう…覗きに加えて、尾行も趣味じゃったとは」
「その言い方やめろ」


ちょいちょい、と雅治が私を手招きした。
私が近づいても大丈夫なんだろうか…猫、逃げないかな…


「逃げたりはせん、心配せんでよか」


その言葉を信じてそろそろと近づいて行く。
猫は私には見向きもしなかった。
なんか逆に悲しい。


「…人に興味ないだけじゃないのコイツ…」
「ふ、そうかもしれんのぅ」


まるで誰かさんみたいだ。
雅治の隣にしゃがんで改めて猫を見下ろせば、彼…彼女?が食べているのは小さな煮干しのようだ。


「この子、名前は?」
「知らん」
「なんて呼んでんの?」
「お前」
「まあそうよな」


見た感じ毛並みが綺麗だし、首輪は付いていないけど野良ではなさそうだ。
飼い猫だとしたらこんな所でつまみ食いなんてしてもいいのか、とは思うけど、慣れてそうだし割と自由にさせてる家で飼われているのかもしれない。


「お前みたいに自由気ままにさせてくれる家の飼い猫になりたいわ…」


そう漏らせば、雅治は何を言ってるんだとでも言いたそうに私を見た。


「十分自由にしとると思うんじゃが」
「いやまぁそうなんだけど。でも人間てしがらみが多いじゃんか」
「何歳なんじゃ、お前さんは…」
「キミ、っていうかキミ達には言われたくないセリフですねそれは」


雅治は少し何かを考えている様子で猫を見下ろし、


「お前さん、名前は?」


猫は雅治の言葉をフル無視してペロペロと毛繕いをしている。
その様子を特に気にせず、雅治は今度は私の方を見た。


「お前さん、名前は?」
「は?…名前」
「いい名前じゃな」
「え?どうした?」


くくく、と雅治が低く笑う。


「お前さんが猫じゃったら、こうして名前を聞くことも出来んじゃろ」
「…そもそも猫だったら雅治達には会えなかっただろうね」
「それは悲しいナリ」


ほんとに思ってるのか思っていないのか、でも、雅治の言う通りだ。


「やっぱ人間に生まれて良かったわ」


何気なく猫に手を伸ばせば、私の手は見事に交わされ、猫は一瞬チラリとこちらを見て低いフェンスの向こうへと走り去ってしまった。


「…触られんのは嫌いなのか」
「ククッ…名前みたいな奴ぜよ」
「はぁ…?」


そっと雅治の手が私の頬に触れ、親指の腹が、すり、と頬をなぞる。
どうしたコイツ頭バグったか?


「…そんな顔しなさんな。初めて会った時、覚えちょるか?」
「えぇ…?」


雅治と初めて会った、というか、私が彼を認識したのは、私がマネージャーになって皆に紹介されて、その後…


「部室で二人になった時があったじゃろ」
「んんー……あー…?」
「ホントに覚えとらんのか…」


雅治の手が離れていき、彼の視線がもうとっくに姿を消した猫を追うようにフェンスの向こうへと向けられた。


「俺の手を避けたじゃろ。さっきの猫みたいに」
「………あ、あー!あったなそんなこと!」
「あれは傷付いたのぅ…」
「いや普通避けるだろ!初対面の距離感じゃなかったもん!」
「あの後も暫く俺のこと避けとったし」
「多方面に警戒してたんだよ!」


男テニの女子人気はもちろん知ってたってのもあるし、そもそも初対面の女子に軽々しく触ろうとする奴に安心なんて出来るか。


「ま、さっきの手が避けられなくなっただけ良しとするかの」
「今は別に避けたりしないよ。雅治の人となりは理解してるつもりだし、大事な仲間だし」
「…大事な仲間、ねぇ」
「え、不満ですかね」


いや、と目を閉じた雅治は、目を開けるのと同時に私をチラリと見て、私の頭に手を伸ばした。
くしゃくしゃと髪が掻き回されていく。


「ちょ、なに、」
「もし名前が猫になったら、俺が飼っちゃるきに」
「高い飯とおやつと綺麗な水な。あと毎日ブラッシングして。それから出たい時に外に出れるようにしといて。外から帰ってきたら綺麗にして」
「贅沢じゃな…」
「お猫様だぞ。人間は下僕なんだよ。あといい加減手ぇ離せ」
「ハイハイ」


掻き回された髪を整えていれば、隣でふらりと雅治が立ち上がる。


「帰るぜよ」
「ういー」


私も立ち上がり、ねぇ、と声を掛けた。


「またここに来てもいい?」
「…秘密の場所じゃき、皆に黙っとってくれるなら好きにしんしゃい」
「秘密にしとくほど…?」
「ピヨ」


こうなった雅治には、もう何を言っても期待する返事が返ってくることは無い。
まぁ、秘密にしておいて欲しいならそうしておこう。

一人静かなものになるはずだった帰り道は、静かではあるものの、暫く温かな空気が流れた。


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