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アルコールは恋に似ている
 酒も進み、もう大分酔いが回ってきた頃、意を決して口を開く。
「私たち、この度お付き合いすることになりました。あの、お世話になりました……」
 隣で肴を摘んでいる桂さんは知らないことだが、辰馬と坂田さんには彼のことで随分と世話になった。
「なんじゃ、やっと付き合うたんか」
「え!? お前らまだ付き合ってなかったの!?」
 前々からくっつけくっつけと私たちを急かしていた坂田さんは大声でそう叫ぶ。大袈裟に驚いた表情を浮かべて、私を見る。
「だから、付き合ったと今言っただろう」
「え、辰馬お前、付き合ってないの知ってた?」
「知っちょったよ。会う度に相談されるき」
 若干ズレた回答を投げた桂さんは無視され、辰馬と坂田さんの間で話は進む。
「知らなかったの俺だけ!?」
「いやー、良かったのう。この前ヅラに会うたときに、何か煮え切らん態度やったき心配しちょったんじゃ!」
「ヅラじゃない桂だ」
 最終的には騒ぎ出した坂田さんも無視され、辰馬はうんうんと深く頷いて私を見る。
 桂さんが煮えきらなかったのも当然といえば当然だ。私たちの関係は長いこと有耶無耶になっていたからだ。
 奥手な彼を待っていたらいつまでも進展しない、というお墨付きとともに、お前からなら絶対行ける、と二人に背中を押してもらって告白したは随分と前のことだ。それから何度か顔を合わせてはいたのだが、なんだかんだいつも切羽詰っていて、よく分からない関係のまま月日が流れた。やっと私たちが結ばれたのは少し前の話になる。
 もしかすると、返事の機を逃した桂さんがやっと動いたのはその時辰馬に会ったおかげかもしれない。
「ありがとう辰馬、坂田さんも」
 私はそのことと、これまで相談に乗ってくれたことも含め、改めてお礼を言った。
「今度パフェね」
「辰馬は?」
「えいえい、わしは幼馴染の笑顔が見れるだけで十分じゃ」
 辰馬はお金持ちだから、今更私に奢られて嬉しいものなんてないかもしれないが、それにしてもなんていいやつなんだろう。幼馴染とはいえ他人の恋路なんて本来面倒なもののはずなのに、何度も相談に乗ってくれた彼には感謝しかない。
 その時、桂さんが私の左肩を叩いた。
「箸落とした、拾ってくれ」
「おいおい何してんだヅラー、かわいい彼女に構ってもらえないからってお行儀悪ぃぞ」
「ヅラじゃない桂だ。言いがかりはよせ、左手で食う練習をしていたのだ」
「なぜ」
 桂さんは飛んでくる野次に対して、宴会で使うのだとか、エリザベスに見せるのだとかあれこれ説明をしていく。野次も言いがかりなら、彼の説明もよく分からない。
 自分の箸と、左手に持っていた取皿を机に置いて、私の足元に落ちていた箸を拾う。落ちた箸は使えないから、それを隅によけようとするのだが、手が机の上に出る前に桂さんの手に阻止された。彼は左手で箸を奪っていくと、あいた私の手に自分の右手を絡めた。
 突然のことに驚いて彼を見ると、素知らぬ顔で野次馬二人に向かって宴会芸の説明をしている。
「良いか、左利きというのはそれだけで話題になるし、スポーツでも優位に立てる。一躍クラスのヒーローだ。つまり、左手を制する者は世界を制するのだ」
「おぉ! そりゃ良いこと聞いたぜよ!」
「お前らスポーツなんか出来ねぇだろ、意味ねぇよ」
 視界の端で、辰馬が箸を持ちかえたのが分かった。
 どうしていいか分からずに硬直してしまっている私は、傍から見ればただ恋人に見惚れているだけの人で、そんな私に気付いた坂田さんが口に手を当てて小声で言う。
「ちょっとお嬢さん? 俺らのこと目に入ってる? そういうの帰ってからにしてもらっていい?」
「え、あっ」
 まさか、机の下で隠れて手を繋がれて驚いたのですとは言えない。
 その事実を隠すことで頭がいっぱいになった私は、咄嗟に小さく頷いた。否定されると思っていたであろう坂田さんはうざったいというように顔を顰めてみせる。
「こら銀時、人がせっかくいい話をしているのに、その恋人にちょっかいをかけるやつがあるか!」
「おーおー、熱いね〜」
 坂田さんの言い方は、茶化すというよりあしらうといった感じだったが、これまでの流れでほとんどパニックに陥っていた私は途端に恥ずかしくなってきてしまう。
 ちょうど箸を取り落して拾ったらしい辰馬と目が合う。彼は坂田さんの肩に手を置くと、私の方を見たまま、馬鹿が付くほど大きな声で言う。
「なるほど! 金時、左手で食うて得するのはヅラだけじゃった! アハハハハ!」
 突然話を振られた坂田さんは「はぁ?」と顔を顰めたが、私はもちろん、これには桂さんまでお決まりの台詞も忘れて固まっていた。

 その後も飲み会は、宇宙は今どうだとか、神楽ちゃんもそろそろ彼氏が出来るだとか、そんなの許さないとかでなかなかの盛り上がりだった。止めるものがなければそのまま全員潰れるまで飲む勢いだったが、閉店とともに旧友との再会もお終いとなった。
 吐きかけの坂田さんと、吐き散らす辰馬と店の前で別れる。一応坂田さんは家が近いし、辰馬は陸奥さんが物凄い形相で迎えに来ていたから大丈夫だろう。まぁ辰馬はあの状態で船に乗ったら相当大変なことになりそうだが。
 こちらもべろべろになった桂さんに纏わり付かれながら夜道を歩く。
 みんなで飲むことは何度かあったが、飲み会のあとに桂さんと過ごすのははじめてのことだ。私はたいてい幼馴染である辰馬の面倒を見ていたし、桂さんも彼の幼馴染の面倒を見ていた。桂さんが再起不能になるまで飲むようなときは、たいてい坂田さんか高杉さんがまともな状態だったから、私の出る幕なんてなかった。
 懐かしい日々を思い出して、今日のことを振り返って私は温かい気持ちになる。
 桂さんが今日、こうも酔っ払っているのも、みんなで集まって気が抜けたのが大きいだろう。彼の辿ってきた道筋を思うと、今日集まれて本当に良かったと、そう思わずにはいられない。
「会えて良かったね」
 桂さんは小さく「ん」とだけ返す。肯定ともただの唸り声とも取れる声だったが、少しだけ嬉しそうに聞こえたのはきっと気のせいではないだろう。
 私の肩に横から両腕を回して、ほとんど抱き着いているような状態で、彼は体重をかけてくる。少しフラつくが、歩けない程ではない。それなりに意識がある上で、甘えてくれているのだ。
 それが嬉しくて、こうして一緒に歩いていることが幸せで、彼が今、きっと幸せだろうということが嬉しくて、ついくすりと声が漏れた。
「何を笑っているのだ?」
 私に寄りかかっていた彼が、徐に顔を上げた。
「本当に、良かったなって――」
 彼の体重がすっと消えて、代わりに唇が触れた。
 酒が入って上がった体温がそこから行き来し、自然の法則を無視したように上がり続ける。触れ合っているから、不自然に熱が集まるのが、全て包み隠さず伝わってしまう。
 触れていた時間は理解が追いつかないほど一瞬だったのに、とても長いように感じられた。
「……いきなり、だね」
 彼の熱が離れたとき、私は小さな声で恥ずかしさを誤魔化すのが精一杯だった。
 今まで穏やかな気持ちだったのに、彼を見ているだけで心臓が早鐘を打つ。夜の冷たい風が、返って自分の熱を意識させる。
 必死に鼓動を抑えながら彼の返事を待った。
「十分我慢した」
 確かにいきなりだと思ったのに、その言葉を聞いて少しだけ喜んでしまっている自分がいる。
 彼はそんなに関係を急ぐタイプには見えないし、酔った勢いでという人でもない。だからこそ、自分だけしか知り得ないような一面が見えたことが嬉しい。
「仕方ないだろう、妬いているのだから……もう一回」
 何に、という疑問をぶつける暇もなく、柔らかく口付けられる。
 ただ状況を飲み込むことに必死だった先とは違って、これが彼からの接吻だと理解している。ずっと彼を慕っていた気持ちが一気に溢れてきて、今日ここでこうするために彼を好きになったんじゃないかという気さえした。
 触れているところから、熱だけでなく彼の気持ちが伝わってくるような感覚になって、今度はむしろ、私からも伝わってほしいと思った。
 名残り惜しむようにゆっくりと唇が離れる。
「桂さん、ここ、外……」
「小太郎」
 酒に酔って曖昧な音で、彼は自分の名前を口にした。どこか駄々をこねる子供のような響きを伴って、その言葉は私の耳に入る。
 私がその意味を理解するまでの僅かな間に、彼はもう一度声を落とす。
「小太郎は?」
 やはり子供が強請るようなその響きはなんだかおかしく、可愛らしい。
「坂本は、辰馬だろう……お前たちが幼馴染なのは知っているし、仲が良いのは良いことだが……どうしても、羨ましい」
 幼馴染の仲に入れないのはお互い様でしょう、というのは、男女の違いがある以上ズルいだろうか。
 少し恥ずかしい気もしたが、桂さんが喜んでくれるならと、私は彼の名前を口にする。続く言葉は考えつかなかったけれど、それだけで彼は優しく私を抱きしめてくれた。
「意外と焼きもち焼きなんだね」
「嫌いか?」
「好き」
 そう言うと、彼が小さく笑う声が聞こえて来た。幸せそうに頭を擦り寄せてくる彼を抱きしめ返す。
「次は高杉さんにも報告に行こうね」
「追い返されるぞ」
 また笑いながら、呆れたように言うが、その実、彼はきっと満更でもないだろう。その証拠に、声は嬉しそうに揺れていたし、私を抱き締める力が一瞬だけ強くなった。
 しばらくそうしていたあと、私たちは笑いあって、あとは誰に報告に行こうかと互いの大切な人を思い浮かべながら、手を繋いで帰った。
 酔いはすっかりさめてしまっていた。
palladium