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言葉は上手に使ったら
 桂さんが好きだ。
 攘夷だなんだには興味のきどころかkすらないが、攘夷活動を頑張る桂さんはすごく好きだ。日本の夜明けを見ている目は真っ直ぐで輝いているし、よく分からないバイトを真面目に頑張る姿には元気をもらう。
 私も真面目に頑張ろう。桂さんを見ていると、嫌々ではなく本気でそう思える。
 桂さんを好きになってから、私の世界は変わった。
 恋をしたら世界に色がついて見えるとは聞くが、私の場合は恋というよりもむしろ仕事や日常生活をきちんとするようになった。そうすると不思議なことに、私自身は何も変わっていないのに、自分のことすら前より好きになれた。
 さすが革命家。私の世界には、日本より一足先に夜明けが来ました、桂さんのおかげで。
 めでたい思考と共にふわふわと駆け回る日々が、自分で呆れつつもなんだかんだ好きだった。
 それからしばらくした頃だった。
 桂さんは私に好きだと告げてくれて、私たちは交際することになった。
「お前とならばこの国を変えられる」
 その言葉は、普通の女の子には響かないかもしれないが、彼の生き方が好きな私には最高の口説き文句であり、褒め言葉だった。
 本気で国を変えようとする彼の口から出たその言葉は、紛れもない信頼――桂さんに変えてもらった私が、桂さんに認められるほど強くなれた証拠だった。
 ひとことで表すなら、報われた。
 日が傾きはじめた町を何気なく歩く。
 桂さんを好きになって変われた。桂さんを好きにならなければ知らなかった世界を知ることができた。それだけで十分幸せで、見返りなんて求めていなかった私が、こんなふうに彼と並んで歩いていることに、少しだけ申し訳無さすら感じてしまう。
 どちらからともなく手を繋ぐと、桂さんがふと口を開いた。
「俺のどういうところが好きなんだ?」
 無数の色の中から分光して抜け出して来た橙が、背中から私たちを照らしている。地面に落ちる影をぼんやりと眺めていた私は、ゆっくりと顔を上げた。
「どういうところって?」
 言いたいことが分からないわけではなかったが、桂さんがそういう言葉を求めてくるのが意外で、聞き返す。
「……いや、こういうことを聞くのは無粋かとも思ったのだが」
 彼なりに何か思うところがあったのだろう。桂さんが言葉を濁したので、深く追求はしなかった。
「そうですね……」
 桂さんの好きなところはたくさんあったが、言葉にするとどれも薄っぺらく聞こえてしまうような気がする。
 今も隣にいる愛する人に思いを馳せると、繋いだ手に少しだけ、無意識に力が入る。すると桂さんがそれよりも少しだけ強く、握り返してきてくれる。その温かさを感じると、桂さんに対する感情が穏やかに溢れてくる。
「今、握り返してくれたところとか」
 優しいとか、叱ってくれるとか、一般的で分かりやすい言葉を挙げるよりも、今感じたことをそのまま伝える方が、私の気持ちに近いような気がした。
 桂さんは不思議そうにして、次の言葉に困っていた。手を握り返してくれたのはほとんど無意識だったらしい。
 自然と笑みが溢れて、私は先よりも長く伸びた影を指差す。
「あと、歩くとこの影が小さく揺れるところ」
「そんなもの誰だって揺れるだろう」
 馬鹿にされているとでも思ったのか、桂さんは小さく不満げな声をあげた。
「桂さんには桂さんの揺れ方があるんですよ」
 思うように伝わらないのがもどかしい。
 伝わらないどころか、伝える私の言葉が足りていない。自分の気持ちどころか、自分が好きだといった桂さんの影の揺れ方ですら、どう表現していいか分からない。
 ただ、地面に落ちる桂さんの影やその揺れ方がどうしようもなく桂さんのもので、嬉しくて切なくて幸せで、温かい気持ちが胸を支配するのだ。
 愛する人が同じ気持ちならいいと願うのはきっと、好意を受け取りたいからじゃない。自分の気持ちをそのまま渡すことが出来ないから、せめて同じものが相手の中にあればいいと願うのだと、ふと思った。
「そういうものか?」
 桂さんは不思議なものでも見るように私を見ていた。変なところにツボがある女とでも思われたのかもしれない。
 それでも落ちてきた声は不満そうではなかったから、私の想いは、少しくらい伝わってくれたのかもしれなかった。
 私が頷くと、桂さんは視線を落とす。
 私もつられるようにして、また桂さんの影を見守る。懐かしさすら感じさせて揺れる影が、下を向いた分だけ僅かに形を変えていた。
 互いに何も語らない。けれど何も感じていないわけではない。私の胸に流れる、言葉にはできないけれど温かな時を、桂さんもきっと感じている。
 おそくまで門限に追われる子供が後ろから駆けてきて、それを避けるために、半歩分だけ距離が縮む。転けそうになりながら走っていく子供を見送っても桂さんが離れなかったので、私も同じようにした。
 少し歩くと、桂さんがゆっくりと口を開いた。
「確かに」
 顔をあげると、桂さんはまだ真剣そうに地面を眺めている。
「自分では分からないが、お前のはお前らしいな」
 自分で言い出したことではあるが、いざ言われてみれば擽ったい。自分が変な歩き方をしていないかが少し気になった。慌てて自分の影を確認したが、全く分からない。 
 思わず首をひねった私に、桂さんが優しく、笑うように息を漏らす。
「俺も……好きだな、これは」
 頬を緩めた桂さんが、私の影を愛おしそうに眺めている。
 それだけのことなのに、彼が自分と同じ感情を抱いてくれたようだと思うとたまらなくなってしまう。いつもこの国の明日だけを真っ直ぐに見ている瞳が、ただ好きだというだけの理由だけで、今は私だけのものだ。
 両目の端から小さく覗いた涙をひっこめながら桂さんに寄り添う。軽くもたれかかられて歩きにくかったのか、桂さんは幸せそうな顔をそのままに首を動かす。こちらを向いた桂さんと目があった。
「それにこれは、お前が教えてくれなければ知らなかったことだ」
 桂さんがいつもどおり真っ直ぐな目で私を射抜いた。それはけれど、普段の彼のものとは違う色を持っている。
 それが、幸せや愛しさを隠すことなく伝えてくる。
 伝わってくるそれらは、私もよく知っている感情で、それが嬉しくて、もっとこの気持ちを伝えようとまた口を開く。
「私が桂さんを好きになった理由」
 好きなところ、とは少し違う、けれど、桂さんが本当に聞きたかったことかもしれない話だ。
 少しだけ、唐突な話題転換が恥ずかしくてぽつりと呟くと、桂さんは僅かに眉を動かした。そのまま黙って立ち止まる。桂さんにくっついて手を繋いでいる私も、一緒に足を止めた。
 立ち止まったせいか思ったより真剣な空気が流れてしまったが、多少恥ずかしくてもこの気持ちを知ってほしい。
 桂さんがじっと私の目を見ている。
 今から言うことが、私にとってとても大切なことだと分かってくれているからだ。熱くなる胸を抑えて、ぴったりくっついていた体を離した。手も離してしまおうか迷ったが、桂さんがぎゅっと握って引き留める。
 先までは平気だったのに、急にそこから熱が回り始めた。
「桂さんが攘夷活動して――そのためにバイトや、色んなこと頑張ってるのを見て、素敵だなって思って、私も頑張ろうって」
 私の言葉が意外だったのか、繋いでいる桂さんの手が少し揺れた。いや、揺れたのはもしかしたら私の方なのかもしれない。
「そうしたら、自分が今まで知らなかった――桂さんを好きにならなきゃ知らなかった世界が見えた」
 今どき少女漫画でも聞かないぞそんな台詞、という言葉を必死で頭から追いやって、目を逸らしたくなる気持ちを抑えつけて桂さんの目を見つめ続ける。
 恥ずかしくてもありがちでも関係ない。私の気持ちが、桂さんに少しでも正確に伝わってほしいからだ。
 桂さんも、そんな私の気持ちに気付いているのか、黙って私の目を見続けていた。
「だから、つまり――」
 自分の心臓の音に急かされるように、私の言葉は早くなっていく。
 思考が追いつかない。
「桂さんが私を変えたんだよ」「俺がお前を変えたのか」
 感極まって敬語が外れていた。桂さんは声が少し震えていた。
 私の気持ちがそのまま伝わることなんてあり得ないのに、私たちは同じ言葉を吐いた。
 息が詰まって、それ以上声が出なかった。
 はじめて告白して通じたというわけでもないのに、なぜかお互いに十代の男女みたいに固まって、見つめ合っていた。
 力が抜けて自分の元へ帰ってきそうになった手を、桂さんがぎゅっと握って引き留めた。それを合図にしたように、桂さんが息を吐いて、ゆっくりと語りだす。
「俺がお前に惚れた理由だが」
 私が言ったからだろう。桂さんも同じように話してくれるらしい。
「お前が、変わってくれたから」
 いつもより砕けた口調で呟やかれた言葉は、桂さんが告白してくれたときの何倍も私の胸を打った。
 桂さんが私を変えてくれて、変わった私を好きだと言ってくれる。
「お前が変わった理由が俺だというのなら、俺もそう言ってくれるお前に恥じぬ男であろう」
 そして私を見て、強く在ろうとしてくれる。
 桂さんは元々強い人だけど、そんなふうに誰かから貰う力の凄さを、私は既に知っている。だからもし、桂さんに辛いことがあったときや疲れてしまったときに、一度口にしたその言葉や、私の存在が彼を守ってくれるのだと思う。そうであってほしいと思う。
 そのためには、やっぱり私も強く生きなければいけないし、桂さんのために強く在りたいという思いが、きっとまた私を強くするのだ。
 結局貰ってばかりのような気もするし、けれど確かに、桂さんも私と同じ思いを告げてくれた。
 私が受け取った感情は桂さんの中にあるものと全く同じではないけれど、桂さんにとっての私が、私にとっての桂さんと同じように大切なのだと感じるには、十分だった。
palladium