name change
猫になった桂さん
 猫になった。
 名前は桂小太郎。
 理由や元に戻れるかなど、確かなことは分からないが、なってしまったものは仕方がない。なんとかして元のかたちに戻るまで、野良猫として生活をしていく他ない。
 餌を集めるために町を練り歩くと、何人か見慣れた人影も見える。
 その中に恋人の姿を見つけた。
 同時にひとつの可能性に思い当たる。
「彼女なら俺に気付いてくれるかもしれん」
「お前も女かよ……無理だって先分かったじゃん」
「いや、俺は近藤とは違うぞ。なぜなら俺と彼女は付き合っている! すまんな銀時、俺は一足先に彼女の口付けでもとに戻る!」

「可愛い〜」
 そんな期待とは裏腹に、彼女は銀時を抱き上げて頬を緩ませた。
「君ふわふわだね、名前は?」
 ああそういえばふわふわな動物が好きだったなと思い出す。
 彼女はにこにこしながら銀時に頬ずりをする。持ち上げられてされるがままの銀時が、微妙な表情でこちらを見ていた。
「くそっ! なぜ俺はさらさらストレートなんだ!」
「お前それ嫌味!?」
 突然激しく鳴いた二匹を見比べて、彼女は銀時をおろした。彼女の手によって、ふたたび銀時が隣にやってくる。
「ごめんね、お友達と引き離すつもりはないの」
 彼女は両手で二匹の猫を撫でて、安心させるように小声で言った。
 頭を撫でた手が温かくて擦り寄る。文字通りマーキングするように頭を擦り付けると、彼女がゆっくりと背中を撫でてくれる。
 たまにはこうして甘えるのも悪くない。
 というか、猫の姿なだけで甘えたい放題だし、案外悪くないのではという気さえしてくる。
「……お前いつも女の前でそんな感じなの?」
「ち、違うぞこれは猫とのシンクロ率がだな……」
 銀時が冷めた目でこちらを見ていた。
 危ない。このままだと本当に猫になるところだったかもしれない。

 今何も持っていないから家に来ないかという彼女の冗談を全力で真に受けて、猫たちとゴリラは彼女のあとをついていった。家に来ないかと言ったあと「分かるわけないよね」と笑った彼女は、奇妙な取り合わせの動物たちがついてきたのを見て驚いていたが、嫌な顔はしなかった。
「外で待っててね」
 そう言われて大人しく扉の前で止まった銀時たちを差し置いて、閉められそうになった扉の隙間に体を滑り込ませる。

 待ってろと言われたのになんの躊躇もなく、しれっと部屋に上がりこんで行った桂を見送って、銀時はため息をついた。
「……あの二人って、付き合ってたのか?」
 興味深げに桂が消えていった扉を眺めて、近藤が小さく話しかけてくる。
 この状況を綺麗に覆す妙案が浮かばなかったのは、近藤の声にやばいんじゃね、と思っただけマシだと思ってほしい。
「さぁ、あいつに恋人なんて出来るたァ思えねェし、脅されてんじゃね?」
「……そういうことにしておくか」
 言ってから、銀時がフォローすることも予想して羽目を外していそうなところが腹立たしいなと思った。

「入って来ちゃったの?」
 彼女が小さく笑った。
 やはり嫌な顔はされなかったので、そのまま彼女に続いて部屋に上がった。
「あの子たち何が好きかなぁ?」
 彼女は冷蔵庫や戸棚を端から開けては、目についたものを地面に置いていった。
「分かる?」
 並べられたものは野菜や魚の類ばかりで、近藤は知らないが銀時が好みそうなものはない。猫の体に悪影響を与えないものばかりがそこには並べられていた。
 とりあえずここにあるものならなんでいいか。
 適当に選ぼうとすると、彼女が口を開いた。
「じゃあ、君は?」
 彼女が屈んで優しく微笑む。それでも猫の視線からすれば高かったが、いつもより近くで見る彼女にどきりとした。
 瞳を揺らすと、開いた棚の隙間に目がいった。
 にゃあと一声鳴いて、そこにある大量の蕎麦の乾麺の袋をくわえて引きずり出す。今度こそ、気付いてくれやしないかと。
 見上げると、はっとした表情の彼女と目が合った。
「それは多分、体に悪いよ?」
 眉尻を下げて仕方ないなぁと笑う彼女に、袋を取り上げられる。
 もう一度鳴いて、今度は別の袋をくわえる。
 彼女は驚いた顔でこちらをみて「もー、駄目だよ」と笑った。
 その顔は普段偏食するなと叱りながらも蕎麦をつくってくれる彼女と同じだった。何度も取り上げられては、棚の中にある蕎麦を引っ張り出していく。 
「もう、小太郎!」
 少し強めの声が響いて、顔を上げる。
 まさか本当に、というよりも、突然名前を呼ばれて驚いたのだ。彼女はいつも桂さんと呼ぶから。恋人だからといって名前で呼び合うことに拘りはなかったが、彼女の口から不意に溢れ出た自分の名前は妙に聞き心地が良かった。
 返事のつもりで鳴いて見せると、彼女がそっと歩み寄って来る。
「ごめんね、なんか私の知ってる人と君が似てたから」
 本人です、そう思って鳴いて見せるが、何か勘違いした彼女が「優しいね」と笑うだけで、まるで伝わらない。
「その人もね、蕎麦が好きなの。本当は蕎麦以外も食べた方が絶対に体にいいんだけど、家に来るたびに蕎麦がいいって聞かないの」
 彼女は静かに近付いてきて、猫の頭をそっと撫でた。棚の中で大人しく撫でられていると彼女が膝をついたので、その上にそっと乗った。猫の体だからそこまで重くはないはずだ。
 見上げると、ゆっくり背中を撫でてくれる彼女が優しく頬を緩ませている。
「私も、いいって言ってくれるものを食べてもらいたくて、ついつくっちゃうの、駄目だなって思うんだけどね」
 自分のことを想って発せられる静かな声が心地良くて、少しくすぐったい。
「私にできることって少ないから、せめて好きなものくらい、一番口に合うのをつくってあげたくて、頼まれてもないのに色んな蕎麦買ってきちゃって、これじゃあ桂さんのこと言えない」
 彼女のつくる蕎麦の味が、いつも少しずつ違うのは気が付いていた。麺だけでなく、出汁の取り方も味の濃さも、全て少しずつ変わっていっていた。料理を出すたびににこにこしながらこちらを見ていて、指摘したら赤くなりながら「一緒にいられて嬉しい」と幸せそうにしていた。それも事実なのだろうが、それだけでなく、彼女はこちらの反応を伺っていたのだ。次に会ったとき、より美味しい蕎麦をつくるために。
「でもね、彼の好きなのが蕎麦で良かったなって。乾麺だったらいつ来てもつくってあげられるし」
「……」
「これ内緒ね」
 そう言って彼女は幸せそうに笑った。いつも会うときの嬉しそうな笑顔とはまた違う、噛み締めるような表情だった。
 はじめて見る彼女に一瞬ぽかんとしてしまう。
「あ、はやく食べ物持っていってあげないと」
 膝から降りると、結局何を持っていくか決め兼ねた彼女が首を捻りながら野菜や果物を手に取っていく。
 その姿を見ながら、にゃあと小さく鳴いた。
「駄目なことを聞いてしまったな……」
 内緒と言って笑った彼女の姿は紛れもなく自分に向けられたもので、けれどきっと自分だけは見てはいけないものだったに違いない。あれは彼女が恋人にだけは見せまいと隠している、甘くて優しい本音だから。
 それをズルして手に入れてしまったからこそ、いつか道端で拾ってきた野良猫ではなく、恋人の桂小太郎として、もう一度隣であんなふうに笑う彼女を見ようと思った。
palladium