桂さんとまだ付き合ってない部下
返り血を全身に浴びて、息を荒くした桂さんが撤退命令を出す。共に日本の夜明けを志す仲間たちが、彼の指示を聞いて慌ただしく掛けていく。
戦況は良いとは言えないが、私たちはみんな、桂さんと彼の見る明日を信じて戦っていた。
部下との会話を終えた桂さんがこちらを向いた。
「お前も退け、先導を頼めるか?」
「桂さんは?」
「俺はまだやることがある」
そう言ってみんなとは逆方向へ向かおうとする彼を、腕をひいて引き止める。
私が手放した刀が、耳障りな音をたてて落ちた。
「行かせません。どうしても行くなら、私も一緒に行きます」
桂さんは落ちた刀を見て、それからもう一度私を見て言う。
「戦に私情を挟んでは――」
「大将の身を案じるのは、部下として当然です。私情を挟んでるのは桂さんの方でしょう」
過激派の筆頭である高杉晋助と対峙したときだって、高杉を含む彼の旧友と再会したときだって、彼は私の言うことなんか聞いてくれなかった。自ら敵地に身を投じる行は、普段の彼からは考えられないことだ。
そのことを悪いとは思わないが、部下という立場を利用して彼の身を案じるくらいはそれでお互い様にしてほしい。
「……俺にしか出来ないことだ」
静かにそう言って、彼は自分の腕をひいた。離せということだと分かって、私は大人しくなる引き下がる。
「お前は退け、いいな」
私を見つめるその目から、私が大切だから退かせるのだと嫌でも伝わってくる。嬉しいけれど、同時に自分が守られるだけの存在であるような気がして辛くなった。彼に守られるために、思いを告げたわけじゃないのに。
「……わたし、あなたの弱みになりたくないのに」
こんなことを言っても、余計に彼を困らせるだけだと分かっている。けれど積もり積もった何も出来ない悔しさが胸を詰まらせて、気がついたら口から溢れ出ていた。
「………ならお前に頼みがある」
「なんですか?」
「大役だぞ。お前に俺の一番大事なものを預ける」
彼のいちばん大切なもの。志の類でなければ、刀だろうか。しかしそうすると彼が戦えないから、親の形見とかだろうか。そもそも別れ際に大事なものを受け取ること自体、今生の別れを彷彿とさせる。
「い、嫌ですよそんなの。なんか形見みたいで」
桂さんは私が落とした刀を拾い上げて私に握らせる。刀を握った私の手に重ねられた拳は、優しいのに力強い。彼は今生きて、私の目の前にいて、触れ合っているんだ。それが嬉しくもあり、失うことが怖くもある。
「お前が惚れた男の惚れた女を、護ってくれ」
桂さんは切なげに目を細めて私を見た。
結局私情だし、退けということに変わりはない。それに、一番なんて優しい嘘だ。
彼には惚れた女なんかよりも、もっと重要なことがあるのだから。
彼の手が、優しく私の髪や類を撫でた。
「なにそれ、恋敵なんですけど」
くすぐったくて、恥ずかしくて悪態をつくと、彼がふっと笑った。
「俺も、お前の惚れた男を必ず護る」
そう力強く言われてしまったら、もう私は額くしかなかった。
大義を成し遂げるまで気持ちには応えられないと言ったくせに、こういうときだけ私の恋心を逆手に取って、本当に身勝手だと思う。交際前なのに気安く触ったこと、あとで怒ってやるのだと思いながら、私は彼を信じて仲間たちの元へ向かった。
palladium