name change
そもそも破廉恥っていやらしい意味じゃない
 たとえば、口で言うだけの薄いラベルであっても、一度友人から恋人に貼り変えたら、相手が別人のように感じることがある。正確に言えば、勝手に意識して戸惑ってしまう。
 とはいえ私たちの関係はもうとっくの昔にその段階を過ぎている。今更桂さん相手にごたつく方が難しいだろう。
 そう、思っていた。昨日までは。
 もう一度言おう。どんなに慣れ親しんだ相手であっても、そこに貼られたラベルが改められるだけで変に意識してしまうのだ。
 往来を二人で歩くのだって、本当ははじめてじゃない。記念すべき初デートと称したこれも、道でばったり会ったときに話していたのとほとんど何も変わらないのに、デートなんて言葉知りもしなさそうな桂さんから突然「デートに行こう」と覚束ないカタカナで言われて、それなりにそわついてしまうのは仕方のないことだと思う。
 出会いや仲良くなる経緯こそ町中だったが、恋人としての彼との逢瀬はいつも家の中だった。桂さんはいつもふらりと現れて、「一緒に外を歩けなくてすまない」とたまに謝っていた。
 私はそのことに不満も不安もなかったが、時間と場所を指定して、必ずその日に会えるのだと心待ちにしたり、その日に向けて髪型を工夫することに憧れがなかったわけじゃない。何より彼が、私とデートをしたいと言ってくれたことが嬉しかった。

 いざデートだと言われて、いい年で張り切りすぎるのも恥ずかしかった私は、いつもより少しだけお洒落をして待ち合わせ場所に向かった。
 早めに家を出たのに、桂さんは既にそこに立っている。
 いつもは家で彼を待つばかりだったからか、朝の光を浴びながら私を待っている姿に少し感動する。
「桂さん、おはようございます」
「おはようなまえ殿。えっと……今来たばかりだ」
 私の声でこちらを向いた桂さんは、どこで覚えてきたのか、若干古い気もする決まり文句を述べて快活に笑った。
 桂さんもこれがデートだと意識してくれているのだろうか。そう思うと、少しだけ緊張が解けた。変な人だけど、それがこんなふうに私を安心させてくれるから不思議だ。
「私まだ何も言ってませんよ?」
「む、そうか?」
 私が踏み出すと、桂さんと肩が並んだ。そのまま歩みを進めると、桂さんもゆっくりと歩き出し、ごく自然な流れで私の手を取った。驚いて歩みを止めてしまうと、不思議そうに振り返った桂さんと目が合う。
「どうした? 行かないのか?」
「いえ……あの」
 手を繋がれたのが恥ずかしくて、なんて言ったら余計恥ずかしい。とか考えていたら恥ずかしくなってきて目を逸らす。咄嗟に俯いた私の目に、繋がれた手がはっきりと飛び込んでくる。
 優しく包まれているような感覚なのに、見てみると結構しっかり握られてるんだな。桂さんの手が大きいからそう見えるだけだろうか。いやいや何考えてるんだろう。
 いや、別に事実であって悪いことは何も考えていないんだけどね。
「なまえ殿……? まさか手を握ってはいけなかったか? そうか。確かに初デートで手を繋ぐのは早計だったな」
 手元を凝視して赤くなる私を見て、桂さんは少し残念そうに言った。「まずはあれだな。ん? どれからだ?」と、初デートですべきことを考えながら、彼は握っていた手をそっと離す。離れていく手が名残惜しくて、勇気を出してその手を握って引き止める。
「いけなかったわけではなく! びっくりしただけなので……」
「そうか? それは良かった」
 そう言うと、桂さんは私の掴んだ手をそのまま握り返して軽く引いた。
 とりあえずここで突っ立っているわけにもいかないのでその手に従って歩き出すと、今度は指を絡めてくる。そのままの距離では歩きにくくて、自然と距離が近くなった。
「さぁ行くぞなまえ殿! どこへ行きたい? どこでもいいぞぉ! はっはっはっ!」
 今日、このペースでいったら私たちどこまでいっちゃうんだろう。

 桂さんは奥手だと聞いていたし、私もそう思っていた。ちょっとしたことで破廉恥だと怒るし、外でベタベタするのだって好きじゃない。かといって家の中で何か起こるかといえば、世間話をするくらいだ。
 だから今日の桂さんは、明らかにおかしい。そう思って熱でもあるのかと聞けば、「確かめてみるか」と言って額を合わせてくるし、途中で会った銀髪のお兄さんには「アベックだ! 羨ましいか!」と紹介されるし、食べ物を私の手から食べるし、昼食は蕎麦じゃなかった。
 元々よく分からない人だし、意外と影響を受けやすいタイプだから、前半の少女漫画あるあるみたいな行動にはなんとなく説明を付けられるが、昼食が蕎麦じゃなかったのは絶対におかしい。
 夕刻になり、会話も落ち着いて来たころ、私は意を決して口を開く。
「桂さん、やっぱり今日変ですよね?」
 というか、今が変なのでなければ困る。仮にこれが本当の桂さんで、これからいつもこんな感じで来られるのだとしたら、嫌ではないけどどうにかなってしまう。
 手を繋いで隣を歩く桂さんをそろりと見上げると、彼はふと立ち止まる。
「……どきどきしたか?」
「し、しました」
 まさに考えていた事を言い当てられて、反射でそう返した。それからちょっと恥ずかしい事実を肯定してしまったことに気付くが、訂正しようにも顔に集まる熱がそうはさせてくれない。
「ははは、顔が赤いぞ」
 あついのも赤いのも夕日のせいにしてしまいたいが、そんな分かりやすい言い訳をしたところで、今更遅い。
 桂さんは私の赤面を見て静かに笑う。否定も肯定も言い訳もできずに立ち尽くす私の目には、当然彼の姿が映りっぱなしだ。見惚れていたわけではないけど、指摘されて間抜けな顔をしているであろう私と違って、桂さんは赤い陽射しもよく似合うなとぼんやり思った。
「お前をどきどきさせたくて頑張ったのだぞ」
 せっかく何も気にせず、外を一緒に歩けるのだから、今までの分まで楽しんでほしくて。
 そう言って手を解き、髪を撫でた桂さんは、はじめて見るくらい優しい目をしていた。それに釣られるみたいに、私の心は温かい気持ちで満たされる。相変わらず心臓はうるさく音をたてていたが、不思議と私が慌てたり固まったりすることはなかった。
 変だ変だと思っていたけど、今日の桂さんも今までと何も変わらない、優しい桂さんだった。
 そう思ったらなんだか安心して、自然と笑みがこぼれた。
「今まで、俺のわがままに付き合ってくれてありがとう。お前から見れば、俺はずいぶん酷い男だっただろう」
 国のために我が身を顧みない彼の生き方は、生死も分からないまま家で待つことしか出来ない私にとっては、確かにもどかしいものでもあった。エリザベスが一人で彷徨っていたり、テレビで目撃情報を見つけて何度泣きたくなったか分からない。それでも私は桂さんを信じて泣かなかったし、そうしたらちゃんとこうして帰ってきてくれたのだ。
 この国の夜明けも連れて。
「――そんなあなたに惚れたんです。酷いと思ったことなんて一度もありません」
「……これからも側にいてくれるか?」
「あなたが側にいてくれるなら」
 絶対や当たり前のことなんてひとつもないことは、桂さんと一緒いたから知っているけれど、私が彼から離れたいなんて思う日が来ないことは、紛れもない事実だと思った。
 桂さんは私をぎゅっと抱きしめて、掠れた声でお前を好きになって良かった、と言う。
 その声に私まで鼻の奥がツンとなって、思わず鼻をぐずりと言わせると、そっと離れた桂さんが「何泣いてるんだ」と笑った。私がつられるようにして笑って見せると、やっぱり桂さんも涙ぐんでいて、お互い道端で何やってるんだとまた笑い合う。
「もう、桂さんのせいですよ!」
「いや待て、これはなまえ殿のせいだろう!」
 恥ずかしいやら嬉しいやらで、冗談めかして桂さんの腕を叩くと、彼はそれに乗ってじゃれてくる。
 私は歩くスピードを上げた。彼もそれについて早歩きになる。
「デートに行こうって言ったのも変な感じだったのも泣くようなこと言い出したのも全部桂さんじゃないですか!」
「変な感じじゃない! 朝だって人がせっかく褒める準備をしてきたのにお前がいつもと違う格好をしているから見惚れてしまったではないか!」
 待ち合わせをしたら彼女の格好を褒めましょう。それも彼が今日してくれたたくさんのことと同じ、よく聞くだ。
 でもきっと、見惚れてくれたのはインターネットや本に書いてあったからじゃない、彼の本心なんだと思ったら今日貰ったどんな言葉や行動よりも嬉しかった。次はもっとお洒落してこよう。
 そんな気持ちは次のデートまで悟られないように、私は照れ隠しを言う。
「何言ってるんですかもうどきどきなんてしませんから! だいたい外でベタベタするのは破廉恥だっていつも言ってるじゃないですか!」
 足が、心臓の音に呼応するように早くなっていた。
「恋人なんだから別に良いだろう! お前と破廉恥なことをしたいと思って何が悪いんだ!」
「道端ででかい声でなんてこと言うんですか!」
 びっくりして走り出した私に、桂さんも走ってついてくる。やろうと思えば私を捕まえられるはずなのに、少し後ろから追いかけてくる彼との追いかけっこは、私が足を止めるまで続いていた。
palladium