とりあえず、と場を仕切り直そうとして目に入ったのは空のマグカップ。サイズが大分小さいとはいえせっかく推しが自宅にいるという奇跡体験をしているのだ。存分にもてなしたっていいだろうと両手を合わせる。
気分は親戚の子供が家に来たおばちゃん。服のあらゆるポケットにお菓子を捻じ込む心意気。赤井さんのボディにポケットはなさそうだけれど。
「赤井さん、」
声を掛ければテーブルの上を興味深げに散策していた彼はくるりとこちらを向いた。
自分の声に推しが反応してくれる奇跡。フィギュアが動くという現象になれてきたら今度はそっちの感動がすごい。おお、神よと天を仰ぎそうになるのをぐっとこらえる。
「どうした、名前」
「混み入った話もあるでしょうが、まずはお茶でもいかがですか?今日はせっかくの土曜日ですし」
「…あぁ、ではいただこうか」
「はい!」
と返事を返した後にあっ飲食物アリなんですねと気づいてしまった。私は赤井さんを一方的に知っているが赤井さん的には初対面。それで飲食物の提供にのってくれるということは、実は私はかなり信用されているのでは?
先程の頼りにさせてもらうという言葉は建前かと思っていたが、赤井さん的には結構本気だったのかと思い至ればもう色々と無理だった。はぁ〜推しが尊い。
私は五秒ほど天を仰いで祈りをささげた。神よ、この奇跡に感謝します。無神論者だけど。
Petit heros 02
はい、気を取り直して3分クッキングのお時間です。
温かくて甘いミルクティーは手鍋で入れるに限る。実質二人だが、赤井さんのあのサイズ感では一人前は無理だろう。一人前半くらいで作るかと流し台の下から手鍋を取り出す。
水はカップ1でミルクは2.5。水を入れた鍋を火にかけてぼこぼこと大きな泡が出来るまでは強火で。大きな泡が立ち始めたら火を止めて素早く茶葉を回し入れ、蓋を閉めてゆっくりと抽出する。
使う茶葉は香り高いアールグレイ、タイプはブロークンの細かくなったものを。温めたミルクの香りに負けないくらいのものが私は好きだ。
「手馴れているな」
「結構練習したんですよ」
テーブルの上からキッチンの様子を観察する赤井さんがそう声をかけてきた。一応基本の準備はテーブル側でやって、キッチンでの作業も赤井さんから手元が見えるように行っているから、変なもの入れたりしないことは彼自身の目でご確認いただけていると思う。
感心したような彼に謙遜ではなくそう返す。元々あまり器用な方ではないからよく失敗をしたが、練習のかいあって今ではそれなりのものを淹れられる。
そこでそういえばと赤井さんに視線をやればなんだと言いたげに見返された。こちらを向いていない状態でも視線に気づいてすぐに振り返る彼に、本当に視線に敏感だなと感心しながら問いかける。コップどうするんですか?
「そうだな…。あの俺が入っていた箱の底の方にスーツケースが入っているはずだから、それを出してくれないか」
「わかりました。えーと、」
ねんど〇いどの箱にスーツケース…?そんなものついてたっけと半信半疑で箱を覗く。特にそれらしいものは見当たらないが、なぜだか違和感。
「んー?」
「どうした」
「またちょっと違和感が…。んー、なんだろ…あっ」
これ上げ底だ。覗いた時の底の感じと箱の大きさ的に深さが合わない。
ということはと箱を裏返して反対側の蓋に手をかける。テープで止められているそこを開ければ、中には確かに黒いスーツケースが入っていた。
蓋さえ外せばすぐに出せるようになっていたらしいスーツケースはそのまま箱を傾ければ手のひらに落ちてくる。中々精巧な造りのそれは人形用の黒く艶やかなスーツケースで。赤井さんに誂えて作ったかのようによく似合っていた。…大きさ以外は。
「はい、どうぞ。でも結構大きいですよね」
「あぁ、そうだな」
取り出したスーツケースを赤井さんの傍に置けば、それが彼のボディの背丈と同じか少し大きいくらいの大きさだとわかる。寝かせたそれを赤井さんは迷うことなく開けた。その迷いのなさにおやっと思う。
「ひょっとして、そのスーツケース赤井さんの私物ですか?」
「あぁ、そうだ。よくわかったな」
「扱いに躊躇いがなかったので、そうかなって」
なんだか褒められているようでえへへと笑えば、赤井さんは微かに瞳を細めた。ダークグリーンが感情を彩り風合いを変える。
「…名前」
「はい、なんですか?」
瞳に込められた感情が何かまではわからなかった。けれど見つめる視線の色が優しいから、なんだかくすぐったくなってしまう。眩しいものを見るような目で、
「…いや、なんでもない。俺の分はこれにいれてくれ」
「わ、かわいい。了解です」
見惚れそうになったところですっと視線を下げられた。代わりというかのように差し出されたのは小さな黒いマグカップ。カップの側面に印刷されているこのマークはまさかFBIのものではと、カップの精巧具合にミニチュア好きな心が震えた。この後、小さなカップに零さないようにミルクティーを入れる作業は至難を極めたことは皆様お察しの通りです。