諸葛亮視点



いつからそこにいたのかはわかりません。気がつけば窓もない鋼でできた冷たい部屋に佇んでいました。
無機質で息苦しいその空間は所々錆びており、見るからに重そうな大きな扉が一つ。その扉の前には見たこともない装置が鎮座しており、そこから伸びる鎖が扉の取手に巻きついていて扉が開けられないようになっていました。
そして、背後の気配に振り返れば、私と同様に閉じ込められた人物がもう一人ーー。

「諸葛亮殿」
「法正殿…これは一体…」
「どうやら俺たちはこの部屋に閉じ込められたようです」
「一体、何故…いつの間に?」
「さあ?」

法正殿は肩を竦めると、さっさと装置の方へ足を進め出したので私も後に続きます。なんとなく、彼についていかなくてはならない気がしたのです。

見たこともない素材でできた、透明で艶々した筒状の装置に近づいて一周して見てみると、どうやらこれは人一人入ることができる桶のようなものだとわかりました。近づくとそれは音を立てて薄白い光を発光しはじめたのです。
あまりの突飛な出来事に私は正直、驚きを隠せませんでした。しかし法正殿は至って平然とそれを観察していてー思えばここに来た時も驚いている様子はなく、あまりにも自然に振る舞っていましたー気味が悪く感じました。

「一体これは何なのでしょうか…」

私の独り言とも取れる問いに法正殿は答えません。
明らかに私達の時代の物ではないそれを私が観察していると、法正殿は桶についていた戸を開け、中を覗き込みました。

「この装置に人が入ると出口が開くようですよ。ただし、入った人間は生きては出られない」
「……なぜ、そのようなことがわかるのですか」

法正殿はまたしても私の質問には答えず、黙り込むだけです。
にわかには信じられない話ですが、こんな時に彼が嘘をつくとも思えません。そうなると…

「どちらかが犠牲にならなければなりませんね。さて…」
「法正殿…!?」

私はきっと法正殿と、場合によっては力ずくでーそれこそ命をかけてーその役割をどちらが担うのか決めなければならないと思い、戦慄していました。正直、力勝負となっては彼に勝てる気がしなかったので…。
しかし、あろうことか法正殿は自ら進んでその装置に入り、あっさりと…そう、あまりにもあっさりと、まるで部屋の戸を閉めるかのように透明な装置の戸を閉めてしまったのです。

「法正殿、何を考えているのですか!」
「貴方ももうお分かりでしょう。俺がいきます。諸葛亮殿、後は頼みますよ」
「何を仰るのです、探せば脱出経路が他にもあるかもしれません。早まらないでください!」
「いいえ、そんなものはありませんよ。助かる方法はただ一つ、これだけです」
「……ならば!ならば、何故…」
「貴方は劉備殿や蜀に必要な方です。こんな所でくたばられては困りますから」

そう私に告げる法正殿は、いつもの憎たらしい不敵な笑みを浮かべていました。しかしそれはまるで、今から黄泉の世界へ向かおうとしているとは思えない、あまりにもいつも通りな法正殿らしい笑みでした。

「銀黎殿はどうするのです!?銀黎殿には、貴方が必要でしょう?」
「……きっと、銀黎はわかってくれますよ」

ふと、一瞬だけ視線を落とした法正殿の顔に翳りが差しました。憂いを帯びたその表情を私はこの先ずっと忘れられないでしょう。悪党を自称する彼が、唯一愛した彼女を想って浮かべたあの表情を。慈愛の情が篭ったあの眼を。

ごうんと装置が唸りを上げると、ついに法正殿の体の輪郭がぼやけだし、光の粒子となって散り始めました。ついに、永別の時が来てしまった。信じがたい光景であるにもかかわらず、私は自然とそれを理解し、確信していました。

「では諸葛亮殿。劉備殿を、蜀を…そして銀黎を、よろしくお願いしますね」
「……わかりました」

私の答えを聞くと、法正殿は満足気に笑い、光となって溶けて消えてしまいました。あの方に好意的な笑みを差し向けられたのはこれが最初で最後でした。

法正殿の命を吸い上げた装置が静かに停止すると、鋼の扉を封じていた鎖が大きな音を立てて崩れ落ちました。
私は一度だけ振り返り部屋を見渡しました。そこには先ほどまで一緒にいた法正殿の姿は当然なく、あるのは奇妙な装置と冷たい静寂だけでした。

(法正殿、感謝します)

私は重い扉を押し開き、眩い光の中へと身を投じましたーー。



……こ……ぃさ……

こ…め…さま……



「ーー孔明様!」

慣れ親しんだ凛とした声に呼ばれ、はっと眼を覚ますと、そこは葬儀場でした。
ああ、そうでしたーー私は、法正殿の葬儀に参列していたのでしたね。
どうやら白昼夢を、見ていたようですね。

木でできた柩には、法正殿の唯一人…銀黎殿がもたれかかり、普段の気丈さなど微塵も見せず、声を上げて法正殿を呼んで泣いておられました。

……法正殿、貴方は特に人の性格を把握することに長けていたと記憶していましたが…珍しい。
貴方の読みが外れることもあるのですね。
よりにもよって、一番愛しい人について読み間違えるなど…いや、きっと貴方はわかっていたのでしょう。銀黎殿が貴方の死を受け入れられるはずがないことなど。嗚呼、やはり貴方は酷いお方だ。
book / home