珍しく、瀬名泉が呼び出したわけでもないのにミョウジナマエがKnightsの拠点となるスタジオに顔を出した。今日は特にユニットの活動日ではないが放課後はスタジオにいると彼女に伝えたていたことを思い出す。ただ泉の記憶が確かなら、コンクールが迫っており練習が大詰めに入ったナマエとはしばらく会えない予定だったはずだ。
 荷物になるものは音楽科の校舎に置いてきたのか、一見身軽なようだけれど、よく見ると片手には薄い桃色の洋封筒をひらひらとさせている。首からつるした来客証を揺らし、居合わせた鳴上嵐や朔間凛月と挨拶を交わしながら慣れた様子でスタジオへと足を踏み入れた。すぐ戻るのでお構いなく、と付け足し、彼女は椅子に腰かけた泉の前までやって来るなりにこりと笑む。
「瀬名泉さんに郵便です」
 泉は目の高さまで掲げられた封筒とナマエを交互に見やって、眉をひそめた。封筒の表面には"瀬名泉さんへ"と記され、裏側にはポップな花柄のシールが封じ目に貼り付いている。その見た目だけで手紙の中身がおおよそ推し量れるというものだ。
「あんたから……じゃないよねぇ。ナマエの字ってこんなにまるっこくないし」
「ねえ凛月ちゃん、いまあたし愛を感じちゃったわァ」
「セッちゃんって、ナマエが貸したCDに添えてるメモとか全部取っておくタイプだからねぇ」
「ちょっと外野は黙っててくれない」
 楽しげに好き勝手喋る二人を一睨みしたのち、泉は涼しそうに笑うナマエの手から渋々封筒を受け取る。ファンレターだかラブレターだか知れないが、要は彼女にこの手紙を瀬名泉に渡すように頼んできた者がいたのだろう。
 泉とナマエは所謂恋人という関係にあるものの、当然と言うべきか特に公にはしていない。泉にはアイドルという立場があったし、ナマエにも家という枷がある。互いに何の憚りもなく自由な人間関係を築くのは難しく、公表すると都合が悪くなることが多かった。ただし、ナマエとKnightsの関係が良好であることは公然の事実だ。音楽科代表としてのナマエの依頼をKnightsが受けたことは、音楽科なら誰でも知っている。その中の誰かが、ナマエにこういったことを頼んできたとしても何ら不思議ではない、が。
「はぁ、まあいいけど。色々言いたいことはあるけどさ、こういうのを平気な顔で持ってきちゃうのがあんただもんねぇ」
 手渡された封筒を見下ろした泉は、心の底からの溜息を一切隠さなかった。恋人宛の、この手の手紙を笑顔で渡しに来る彼女の心境は一体どんなものなのか。そう問いたい気持ちは山々だけれども、経験上、大して何も感じていないのだろうと彼は早々に結論を出している。ナマエに嫉妬だとかそういうものを求めること自体が間違えているのだと。アイドルの恋人という点においては、これくらい鈍感な方が面倒がなくて良いとも言えるが、泉としては物足りないのが本音だ。わがままな話である。
「わたしはファンレターの受付窓口ではないので、普段は断ってるんですけど。今回はファンレターではないからどうしてもと押し切られたんです。返事はいらないようですが、伝えたいことがあったみたいで」
「つまり、その内容を察した上で俺のとこまでわざわざ持って来たわけだ」
「ナマエちゃん、ちょっと優し過ぎるんじゃないかしら? こういうものは断ってもいいと思うけど」
  嵐がメイク道具をテーブルに並べながら、苦笑を零す。対するナマエは姿勢正しくその場に立ったまま、たおやかにかぶりを振った。
「わたし、優しくはないですよ。内容はともあれ、一度は引き受けたことですから、責任は果たしますけどね。確かにお渡ししましたので、あとはどうぞ瀬名先輩のお好きなように」
 頼まれたことはきっちり果たしたと主張して、ナマエの口元はまた緩やかな弧を描く。
 そんな二人を眺めていた凛月がふうんと呟き、椅子から立ち上がらないまま、やや泉の方へ身を乗り出した。感情の読み取れない赤い瞳と視線が交差して、一瞬だけ時間が止まる。べつの考え事をしていたせいと、そもそも凛月の腕の動きが存外素早かったせいで、泉は彼の目的を察するのが大幅に遅れた。結果、気付けば手紙は泉の指を離れて、凛月の手に収まる。
「あっこら、くまくん」
 奪った封筒で口元を隠していても、凛月が笑っているのは明らかだ。完全に楽しんでいるのか、なぜか横目でナマエを見ながら彼は言う。
「俺が読まずに食べてあげようと思って」
「それで、今度は凛月くんが手紙を書くんですか。そもそも凛月くんは山羊じゃなくて吸血鬼だった気がしますけど?」
「えー、折角ナマエのためを思ってこれ消してあげようと思ったのに。そういう無粋なつっこみしちゃうんだ」
「お気持ちだけ受け取っておきますね」
 ずいと凛月に詰め寄り、あっという間に手紙を取り返したナマエの手によって、再び封筒は泉の元へと戻ってきた。べつにこんな手紙どうだっていいのだけれど、彼女が持っていろと言うのなら、とりあえず今はそうするしか選択肢がない。
「ご心配なく」
「ナマエがまた余裕ぶってる〜」
「くまくん、そいつは余裕ぶってるんじゃなくて、マジで余裕なの。全然可愛げないからさぁ、そういうとこ。俺が何百枚手紙を貰ったって、きっと何とも思わないんじゃない。まったく、愛が足りないったらないよねぇ」
「……へえ?」
 凛月は何か言いたげに泉に視線をやりつつも、結局何も口にしない。問い詰めたところで、彼が言わないと一度決めたなら、聞き出せやしないだろう。
 ナマエは泉宛の手紙を穏やかに一瞥して、今度はきちんと泉を見据えた。端麗な顔立ちで、品の良い笑い方を湛えている。そこでなんとなしに過ぎった違和感はその正体が掴めないほど曖昧なもので、けれども、彼女が普段通りでないことは泉の中で確信があった。時折感じるのだ。気のせいだと処理してもなんら問題はないであろう、些細な違い。完璧を目指す少女の中に綻びのようなものを見て取れるのは、泉が彼女をずっと見ているからであり、泉もまた同じジャンルの人間だからかもしれなかった。ナマエが不自然に機嫌良さそうに口を開くのを、泉は黙って耳を傾ける。
「実はわたしも、たまにこういう手紙を貰うことがあるんですけどね」
「ちょっと待ちな、それ聞いてないんだけど?」
「本当に温度差あるわねェ、あんたたち」
 泉としても恋人が手紙を貰おうとも彼女と同じように涼しい顔で受け流せるのが理想だが、それはあくまで理想であって、現実とは異なる。シンプルな不快感を示した泉に、ナマエはまあまあと宥めるように微笑んだ。
「気持ちを伝える手段として、わたしは手紙が好きですよ。相手のことを考えて、時間と手間をかけたものは、心に残りやすいでしょう。良くも悪くも」
「それは、まあそうだろうけど」
「手紙は、差出人の気持ちのかたちがよく見える。伝わりやすいのも道理です」
「……だから大事にしろって?」
「いいえ、そこまで指図する権利はありませんし。わたしはただ、それを見てそんなことを思い出しただけです。それで、思ったんですよ」
 なにを、と問えば、彼女は更に笑みを深くしながら腰を低くし、泉との距離をぐっと詰める。目と鼻の先まで近付いた綺麗な顔に、つい心拍数が上がったせいか、直後に囁かれた科白がまともに頭に入らなかった。
「わたしも先輩の心に残ろうかなって」
「はぁ……?」
「さてここで瀬名泉さんにもう一枚、郵便です」
 ナマエが制服のポケットから、もう一枚封筒を取り出した。薄い青色に、雪の結晶が散ったそれが、顔と顔の間に割り込んできて、果てには鼻先に押し付けられる。泉は煩わしそうに顔から引き剥がして、手にした封筒の表面に書かれた"瀬名泉さま"に目を通し──その見覚えのある綺麗な字のかたちに、再び心臓がひとつ高鳴るのを感じた。これはナマエの言葉を借りるなら、ミョウジナマエが瀬名泉のことを考えて、手間と時間をかけたものであると認識したがゆえに。
「最近会えませんでしたから。もう少し会えそうにないですし。たまにはこういうのもいいと思いませんか」
「……あんた、さぁ」
 ここで目を逸したら負けだと思うので、決して逸らすことはしないけれど、正直少し顔を見るのが恥ずかしくなった。今の感情がそのまま顔に出てしまいそうで、それを真正面から見ているナマエに気取られそうで。
「久しぶりに先輩の可愛い顔が見られてよかった」
「可愛い、は余計なんだけどぉ? ていうか、俺に会いたいなら早くそう言いなよ。練習室まで顔くらい見せに行ってあげなくもないし。こんな回りくどいことして、ほんっと時々面倒臭くなるよねぇ、ナマエって」
「瀬名先輩に言われてはおしまいですね」
「はぁ? ちょ〜生意気!」
 つまるところ、自分に会う口実が欲しかったのだろう。泉はそう解釈して、たったそれだけのことで情けなくも喜んでしまう己の単純な感情を認めた。ミョウジナマエは、瀬名泉のものだ。その揺るがないはずの事実が彼女の言動によって証明される度に、安堵がある。
 お返事待ってますね、と話すナマエに、気が向いたらねと返しつつも、気が向く可能性の方が高いことは明白だ。元々手に持っていた手紙の上にナマエから貰った手紙を重ね、泉は再びナマエの筆跡で書かれた自分の名前を満足そうに見つめた。
「恋する女の子ってたまに怖いわね」
「思うんだけど、ナマエって結構優しくないよねぇ」
「なんのことかはわかりませんが、言ったじゃないですか。そもそもわたしは優しくなんてないですよ」
 ふと耳に入った会話が気になって、一体なんの話してんの、と訊ねてみたものの、なんだか微妙な空気が流れるだけで凛月も嵐もそれに答えない。泉と同じくなんとなく満足そうなナマエが、緑色の瞳を細めながら、ごく当たり前のことを泉に告げた。
「わたしが瀬名先輩を好きという話です」

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