西から射す茜色を纏って己を睨みつける少女は、当時の朔間零の興味を最大限に惹いた。零よりも色素の薄い黒髪は、陽の光を浴びると茶色を強く主張しながら、輝いて見える。感情が複雑に混ぜ合わさった不安定な緑色をした瞳に零だけを映す彼女は、こちらを指して「死神」と断じたと記憶している。死神はおまえの方じゃないのか、とつい零しそうになったことも。
見る限り、目鼻立ちの造りが日本人のそれよりも、異国人の華やかさに近い。人の目を留め、強い印象を残すだけの整った顔立ちと独特の空気感があった。黒いセーラー服を身につけた、人の興味を瞬時に己一色に塗りつぶしてしまう少女は、死神ではなくともある種の魔物であるように、零には思えたのだ。その一方で。
「あなた、死神なんでしょ?」
口を開いた彼女は、その印象に反して今にも泣きそうに零にすがりついてきたものだから。
「さあ、なんだろうな。当ててみろよ、俺様ちゃんが一体なんなのかをさ」
「死神」
「だからちげーっての。ここ使え、ここ」
黒髪が貼り付く白い首筋がやけに眩しくて、見ていられなかったから。
「──吸血鬼……」
やけに察しがいい少女を抱き上げながら、朔間零は妙なモノに出会ってしまったことを悔やんだ。離すのが、どうも惜しい。
「正解だ」
*
葬儀場や墓地を徘徊するのが趣味、と言ってしまうと語弊があるが、人の死が濃く関係する場所に居心地の良さを感じてしまうことは、否定できなかった。血は争えないと、自然に考えればそういうことなのかもしれない。陽の光に滅法弱いのと同じだ。しかしそれを一族の特性ゆえに己もそれに引っ張られているだけであることを素直に認めるのには、彼は若過ぎた。そんなものにはならないと心のどこかで反抗心があったのだ。中学に入学したばかりの、所謂思春期であったがために。
葬儀場を歩けば、老若男女様々な者に声をかけられた。最初はどこの誰かもわからぬ子供を不審がる者が大半だったが、少し言葉を交わすだけで誰もが零を気に入った。零を可愛がり、その聡明さを讃え、抱える不安を話し、彼に意見を求めた。大人の幼い少年への接し方としては異常とも言えるだろう。大人に囲まれ、大人の中心で子供が笑いながら語り聞かせる様は、傍から見れば異様な光景であったが、その中に入ってしまえば誰もが納得した。この少年は"特別"なのだと。墓石に腰掛けようが、誰も彼を咎める大人はいなかった。
人は彼の圧倒的な美貌にまず惹かれ、膨大な知識と、それに裏打ちされた達観した考え方と視点に、更にのめり込むらしい。やがて彼に会うために墓場を訪れる信者まで現れるほどだ。
零は自分が大人たちにどう見られているのかをよく知っていた。彼らは零を神かなにかのように崇拝し、いつも見上げようとしたが、零は彼らを見下していたつもりはなかった。人と話すのは好きだ。そこから新たな知見が広がることもある。得るものがある。ただそれだけ。その中で求められているものがあるなら、自分に出来る範囲で与えてやるだけ。それを行う理由は義務感なのか、暇つぶしゆえなのか、いつからかあやふやだ。
ただし、零は人間だ。神でも無ければ、おとぎ話に出てくるようなずば抜けた身体能力や精神力を備えた吸血鬼ではなかった。コンディションが良い日があれば悪い日もあるし、疲れてしまう日だってある。その日は、そういう日だった。こういう日はさっさと帰って棺桶で眠ってしまおうと、そう決めた日に出会ったのが──件の少女だ。コンクリートの地面に降ろしてやると、彼女は薄い唇を微かに動かした。目尻に溜まった涙は、今にも零れ落ちそうだった。
「……もう戻って来ないって、なんとなく、知ってたけど。でも、諦めたくなかった」
「だろうな」
「ごめんなさい。たぶん、やつあたり」
「いや、怒っちゃいないし、俺にもあるよ。理解してても認められねえことはさ。認めたら全部終わっちまう気がして、悪足掻きしたくなる。駄々をこねれば、空から眺めてた神様が、見かねて掬い上げてくれるような……そういうご都合主義は、誰でも一度は夢見ちまうもんだろ」
そんなものはあり得ない夢想でしかないと、知っていても、もしかしたらが捨てられない。人は、そういうふうに出来ている。
「夢、見たの?」
「見たさ。ままならないことは、これでもたくさんある方なんだ」
例えば生、あるいは金、もしくは愛、解放──人が何を欲するか、その大小は人それぞれで、いつか零が求めたものは、誰かにとってなんでもないものかもしれない。彼女が望んだ肉親の生もまた同様に。けれども、誰にも否定できないものだと彼は心得ていた。逆も然りで、他人がわざわざ肯定し称賛すべきことでもないだろう。そう弁えていて尚、愛した者と会いたいというその欲そのものの、なんと健気で儚いことか。誰かを想って落とす涙の、なんとうつくしいことか━━そういう感受性が、化け物と呼ばれる自身にも正しく備わっていることに感謝した。素直に感心を持てる己に、安堵を覚えた。厳かに、慎重な動作で、零は人差し指で少女の穢れないしずくをすくい取る。
泣き続ける少女の手をひいて、零は駐車場のすみっこに連れて行き、腰掛けられる場所を用意した。ここは人通りが少なく、建物の影で日に焼かれ続けずに済む場所だ。途中の自販機でココアを買ってやったし、泣き止むまで肩も抱いてやった。しかし、涙が止まった後の彼女は、しおらしさまでも洗い流してしまったかのように態度が変わった。
「おまえ、名前は?」
「言わない」
「言えよ、べつに減るもんじゃね〜だろ。俺から名乗ってやろうか?」
「いらない」
「零だ」
「呼ばない。知らないひとに名前は教えちゃいけないし、知らないひとの名前も呼ばない。そう教えられた」
「慰めてやったろ」
「ありがとう、吸血鬼のひと」
「それ名前じゃねえんだけど?」
名前は教えない、こちらの名前も呼ぼうとしない。どうやら良い教育を受けているらしい。ココアを飲み終えた少女はもう用は無いと言わんばかりにさっさと立ち去ろうとしてたが、自動販売機で二本目のココアを買ってやると大人しくなったので、逆にその無防備さに不安になった。こいつこんなんで大丈夫か。
「どっちにしろ、呼ぶ名前が無いと不便なんだよな。よし、おまえチビだからチビだ。名乗らなかったそっちが悪いんだぞ、チビちゃん」
「チビじゃない」
「いやチビだろ」
手入れの行き届いた黒髪をぐしゃぐしゃに撫で回してやると、それをなんとか阻もうと小さな片手が零の手を追い回す。それを避けながら更に髪を乱していたら、ふと抵抗の手が止んだ。彼女の手は、再びココアを飲むためだけに使われ始める。
「もういい」
「なんだよ、もう諦めんのか? 何事ももうちっと諦め悪く足掻かね〜と、この先の人生つまんなくなるぞ」
「これ、貰ったから。今日はいいよ」
「おまえ、やっすいのな」
「安くないよ。240円は。ありがとう」
「……なるほどなぁ。はは、どういたしまして」
零は飲みかけのトマトジュースを片手に、散々に乱した髪を指で梳きながら、整えてやる。少女はさして不快そうでもなく、彼の思うままに髪を触らせていた。口を開けば強情な子供そのものだが、黙っていると、人形のように隙がない。どの角度から眺めても、きれいなかたちをしている。
他人に美人だと認めさせられるものは大勢いるが、他人を真に惹き付けるものは、案外いない。彼女は後者だろうし、己もその類だという自覚はあった。
「連れて来ておいてなんだけどさ、戻らなくていいのか?」
「うん。大丈夫。たぶん、迎えに来ると思うし。敬人が」
「ケイト? 友達か?」
「ううん、お兄ちゃん。ぽい、ひと」
「ぽい」
「そう、ぽい」
彼女の言葉はたどたどしく、要領を得ない。察するに、兄のような存在であって、血の繋がった兄ではないのだろう。
「そのお兄ちゃんぽい、奴はここの場所わからね〜だろ。見つけられなくて今頃慌ててるんじゃね〜の?」
「かもね。でも、見つけてくれるよ。困ってたら来てくれるって、言ったもん」
「いま困ってんの、チビちゃんは」
「うん。半分だけ、困ってる」
「もう半分は?」
「ココアが美味しい」
「ココア効果絶大だな。買っといて良かったよ、心から」
不意に少女が前方に視線上げ、小さく首を傾けた。つられて駐車場へと視線やれば、中年の男がこちらへ向けてお辞儀している。最近零の元へ定期的に通ってくるようになった男だった。彼が信者と陰で囁かれているのを知っている。零の隣の小さな気配が強張ったのを感じた。そりゃそうだろう、と思う。零は男に向けてひらひらと手を振ったのち、ごめん、と片手を顔の前に持ち上げ、ジェスチャーで伝えた。今日は手が離せなそうにないから話せない、と。難なく伝わったのか、男はもう一礼し、間も無く去って行った。直後、小さな気配が発する空気が弛緩する。
「迎えに来てくれたんじゃないの」
「いや、俺に会いに来ただけだよ。親戚とかじゃない。赤の他人だ」
「吸血鬼のひとに会うためだけにここに?」
「そう、俺様ちゃんは人気者だからな〜。色んな奴がさ、会いに来るんだよ。大人も子供も、男も女も、たくさん」
「だったら、行ってあげないと可哀想じゃない?」
「でも、約束もしてないし、今日はそういう気分じゃね〜から。いいんだよ。また近い内に来るだろ」
「ふうん」
彼女がその詳細を訊ねてくることはなかった。なぜ会いに来るのか、どういう関係なのか、今のやりとりで疑問は増えたはずなのに、少女はそっか、と二度目の相槌を打って、両手でしっかりと持った缶に口をつけるだけ。大して興味は無さそうだ。男が消えた方を見つめていたかと思うと、やがて緑の目がちらりと横目で零を捉えた。
「吸血鬼のひとは、"特別"なんだね。その特別に、あのひとたちは会いに来るんだ」
「────」
「特別は、他のひとと違うってこと。普通じゃない。自分だけが特別って感じは、さみしい」
その"特別"には、思い当たる節があった。ありすぎた。彼女の口から転がり出たそれは、正確に、簡潔に朔間零を表しているような気がした。周囲は朔間零を、そういう風に扱ってきたからだ。良くも悪くも他者と区別されている。それは他者と明確に異なるということ。おまえは自分たちとは違うと、輪の中から弾き出されているということ。本人たちにその自覚はないだろう。零も、仲間はずれにされているなんて思ってはいない。しかし、己が平凡とは一線を画していることは、最早疑いようもない事実であったので。
「ひとりで……こういうの、なんて言うんだっけ。ええと──」
「──孤独?」
「それ、コドク」
ココアの缶を膝の上で両手で包み込むように握って、彼女は繰り返す。
「同じひとがいないから、コドク。かなしいね」
並べる人がいないから、そういう者は孤独なのだと。まるで他人事のように話すその姿が不思議だった。辿々しく紡がれた言葉は、きっと朔間零だけに当てはまるものではないと直感したのだ。
何も答えない零に、「大丈夫?」と今度は少し心配げに、彼女は零に向かって手を伸ばした。何に対しての、"大丈夫"なのか。恐らく彼の頭を撫でるという目的を持って動いた手を、零はそっと掴んで止めた。同情に濡れた折れそうに細い手に、僅かに力を込めながら。
「おまえは、さみしいのか?」
人とは違うと言うのなら、おまえも同じだろうと暗に含む。人とは違う容姿、放つ空気、特別であるという自意識──そのどれも。虚しい、寂しい、なんて考えたことはないつもりだったけれど。もし、誰かが並んでくれると言うのなら。
「人を寂しい奴扱いしてくれちゃってるおまえはさ、どうなんだよ。その悲観は、俺だけに向けられたものなのか? 俺に、誰かを重ねて同情してんじゃね〜のか? 自分は違いますって顔ができる、その優越感は、どこから来る?」
「ゆう……なにを言ってるのか、よく、わからないけど」
少女の知識量では、零の操る単語の半分も理解できないらしかった。似通った部分があるがゆえに、感覚的に零の"質"を嗅ぎ取ったようだが、知能はきっと年齢相応だ。ううんと唸った彼女はもう一度「よくわからないけど」と前置きをして。
「わたしは、一人だけど一人じゃないから。ちょっと、ちがう」
「なん……」
「──ナマエ!」
瞬間、聞き覚えのある声が横から飛んできた。慌てたような少年の声音には、過分な息切れが混じっている。余程必死にこの少女を捜していたのだろう。声の方へと零が頭を傾ければ、そこには近頃顔見知りになった、学生服の少年が肩で息をしながら立っていた。彼の夕日を反射する眼鏡越しに、視線が交差する。
「貴様、一体なにして……って、朔間さん?」
「……よう、坊主。ああ、なんだ……そっか、そういうことな」
「敬人。おそいよ」
呆れたようにその名を呼ぶ彼女はどこか嬉しげで、その時に零は彼らの関係のおおよそを把握した。兄のような男。少女が死神を追い払おうとするほどに愛す母親を喪って尚、孤独ではないと言える理由。
「うるさい。勝手に消えておいて、その言い草はないだろう」
──彼女にはおまえがいるのか、蓮巳敬人。