蓮巳敬人と朔間零の始まりを、わたしは知らなかった。敬人もまた、零とは葬儀場で知り合ったらしい。どこからともなく現れる、あまりにも美しく人を惹き寄せる少年。度々葬儀場や墓場をうろついては、人を惑わす容姿と語りで、誰かの心を奪っていく。零とわたしが出会ったその夜、敬人から聞いた話はそういうものだ。
敬人は明言しなかったが、零のことをとても気に入っているようだ。よく彼が話をしてくれる幼馴染と同じか、興味や尊敬という点においてはそれ以上だったかもしれない。ひとりで読書をして、おじさんの手伝いをして、身体の弱い幼馴染に会いに行き、わたしの兄として相手をしてくれる以外の敬人を、わたしは知らなかった。そんなものはないと思っていた。
彼もまた、決して社交的な方ではなく、人間関係は必要最小限、非常にコンパクトだ。加えて、自分と幼馴染以外を──わたしを含め、下に見ている。それでいて、わたしは敬人にとって、庇護対象であることも、子供ながらにぼんやりと理解していた。わたしは自分の頭が良くないことを知っていたから、それで良かった。敬人という兄が、このまま、傍にいてくれるのなら。だから、わたしが知らない誰かに敬人が深く関わろうとしている状況が、なんだか不思議だった。
母の葬儀が終わってから、二日に一度は、母の墓に通うようになった。学校帰りに墓に立ち寄ると、そこにはだいたい零がいた。偶に、敬人もいた。 わたしが墓参りに来ると、敬人も並んで母の墓に手を合わせてくれる。零が言うには、わたしが居ない日も、ここに来ると母の墓を訪れてくれているのだとか。
「来たのか、ナマエ」
そして敬人はここでわたしに会うと、少しだけ居心地が悪そうな顔をしていた。そこにわたしが気付いているなんて、敬人は思いもよらないところだろうけれど。
「暇だね。敬人も、吸血鬼のひとも」
「別に俺は暇じゃない」
「ちなみに俺様ちゃんは暇だった」
「忙しいひとはお墓の前でおしゃべりしないからね」
「おいおしゃべりとかいう幼稚なまとめ方はやめろ。議論と呼べ議論と」
議論と言われて当時のわたしはぴんとこなかったが、敬人はいつも零と一緒にいる時、難しい話をしているのは把握していた。墓の前でああだこうだと、ここに眠る死者には一切関係のない論理を展開しているのだ。話の内容は飲み込めずとも、大抵は零が敬人の主張の間違いをやんわりと認めさせ、納得させていることは二人の様子でなんとなくわかった。
「そんなことよりそろそろ零って呼べよ、チビちゃん」
「チビって呼ばなくなったら考える」
「チビちゃんが俺の名前を呼んでくれたら考える」
「人の話を聞かないか。朔間さんも、ナマエにばかり構ってるけど、まだ俺の話が途中だったぞ」
「結論は出てたろ? 後は教えてやった本読んどけよ。俺の言いたかったことは、そこにだいたい書いてっからさ。ただし、鵜呑みにはするなよ。それは全世界に通じる正解じゃない。あくまで数ある答えの内の一つだってことを念頭に置くのを忘れるな。わかったか?」
「……わかった」
朔間零はなんでも知っているのだと敬人は言う。あの人はなんでも教えてくれる。自身の話をじっと聞いては、その本質をついて、求めた的確な答えを与えてくれる。どんな論戦をぶつけても、彼に勝てた試しはなく。そもそも勝とうという思考そのものが間違えであったのだ。そう知ったのだと、どこか自慢げに、それでいて悔しげに話す敬人はわたしの知る敬人はなんだか違って見えた。まるで彼が一生手の届くことのない高い位置にいる誰かの話をしているような錯覚が混ざることが腑に落ちない。なぜ、そんな顔をするのだろうか。
わたしは、零がそんなに遠いひとだと感じたことはなかった。頭がとても良いのはわかる。様々なものをその目で見て来たから、同世代の人間よりも頭一つ抜けて大人びて見えるというのも。けれども、わたしにはもっと別のものに映ったのだ、朔間零という人間が。
「今日のお話終わったの?」
「おう」
「今日は、さみしくないの?」
青く澄んだ空色の下が似合わない少年が、目を細くして、わたしをじっと見下ろす。「たまに変なことを言う奴なんだ、すまん」と話す敬人に、零はいいんだよと手を振って。
「おまえ、いつもそれ聞くよなぁ。寂しかったことなんてね〜んだけどな」
「そう。じゃあいいけど」
「ナマエは? 寂しくねえのか」
「敬人がいるから」
「坊主がいない時は?」
「敬人はわたしを一人にしないもん。ね、敬人」
確認するように敬人を見上げると、彼は呆れたと言わんばかりに、わざとらしく眉間に皺を寄せている。嫌じゃないくせに、なんて口にしようものなら拗ねさせてしまうので、黙っておいた。
「ナマエ、貴様は時々甘ったれが過ぎるぞ。そろそろ兄離れを覚える頃合いだろう。蓮巳家の人間たるもの、甘えばかりは許されん」
「はは、そんなこと言っちまっていいのかよ? 今は余裕ぶって素っ気ないことも言えるが、坊主みたいな奴に限って、実際に妹が離れちゃうと泣くもんなんだぜ、オニイチャン」
「誰があんたの兄だ」
「つっこむとこそこで合ってんのか?」
ひどいオニイチャンだなー、と軽薄に笑いながら、零はごく自然に姿勢を低くし、ひんやりとした手でわたしの頬をそっと包んだ。昏く赤い瞳はまるで羨むような、乞うような色をちらつかせていた、ように感じ取れた。彼は何かを欲している。わたしに何かを求めている。そういうものに対する勘だけは、昔から人一倍働いた。しかしわたしはそれを彼に与えることが出来るのかは、知らない。知らないことは、本人に聞くしかない。何が欲しいの、と問いたかった。
「来い、ナマエ」
けど、それは問われることなく、喉の奥に消えた。敬人に腕を引っ張られるまま、バランスを崩しかけた身体を背中から彼の胸に預ける。頭上から降ってくる声に、そのまま耳を傾けた。
「そろそろ帰ろう。先日親戚に貰った菓子が、まだ家に残っている。兄がナマエのために残していたのを思い出した。帰ったら少しだけ食べていいぞ」
「夕食前に食べていいの?」
「今日は構わん。……なんだ、その変なものを見るような目は。俺も鬼じゃない」
「お菓子くれるなら鬼でもいい」
「だから鬼じゃないという話をしているんだが……」
「帰ろう、敬人」
そう告げた後、敬人から背を離したわたしは、微笑む零の赤い瞳をもう一度覗いた。右手を伸ばし、背を屈めて欲しいとジェスチャーで示す。わたしの望むままに下げられた黒い頭の上に、自分の手をちょこんと置いた。柔らかい癖毛をそっと撫でてやると、彼はどこかぽかんとしたように、わたしを見つめた。
「またね、零」
朔間零というひとは、自分からすり寄ってくるくせに、触れられることには少しばかり抵抗のある、人馴れした猫のようなものとして、わたしの目には映っている。誰も拒みはしないけれど、誰も受け入れもしない。愛想良く、人に好かれるのに、誰とも並べない"特別"なひと。本来こんなところをうろちょろしているべきではない、ひと。
わたしはその猫に、受け入れて欲しいわけではなくて。並びたいわけでもなくて、放っておくことが出来そうにないだけ。ただ、ひとりで寂しいまま死んでしまわないように、見ていたいのだ。猫の傍を通り過ぎるだけのひとが気まぐれに餌を与えるように。時に、彼が敬人に答えを与えるように、わたしも自分が持てるものを与えながら。彼が”孤独”から脱すること出来ますようにと時折、祈って。
どことなく驚いたように目を見張る敬人の手を引きながら、その日は零と別れた。