「で、泉ちゃんはその話受けちゃったの? リーダーのアタシに確認も取らずに、一人で依頼主と密会して? まんまと色仕掛けに引っかかってきたってことでいいのかしら?」
「俺は色仕掛けになんか引っかかってないしまだ正式に引き受けるとは言ってないしあんたはリーダー代理だから」
「なんだかいつになく忙しないわねェ、泉ちゃん」
「主になるくんのせいなんだけどわかってる?」
Knightsの活動拠点となっているスタジオは、スタジオという名がついているわりに、使われ方はほぼ休憩室だった。各々好きなものを持ち込み、自身が快適に過ごせるような工夫が凝らされている空間に、緊張感は見当たらない。活動拠点と言うよりは最早溜まり場のようにも見えるのは、ひとえに現在の活動が本来のアイドルの仕事から少し離れているからだろう。汚名返上のための校内アルバイトも仕事のひとつではあるけれど、例えばお菓子作りに本気で緊張感を持てというのも難しい話だ。つまり空気が弛緩している。良くない傾向だ。
今回泉が受けた依頼は、校内アルバイトとしては内容も悪くないし、条件もいい。やはりアイドルは人前に出てこそだ。自分の行いが招いた結果とはいえ、フラストレーションは十分に溜まってきている。条件付きではあれども許可を得て人前で思いきり歌う機会は、逃したくない。持ち曲とダンスで本領発揮とまではいかないが、あの感覚やいい緊張を思い出すのには丁度いいだろう。しかも依頼主であるミョウジナマエは、校内通貨を言い値で支払うときた。これだから金持ちは、という呆れもあり、利用しない手はないという合理的な考えもあり。どちらにせよ、泉としてはこの依頼を推したかったので、こうしてスタジオでユニット会議を開いているわけだが。わかっていたこととはいえ、やはり勝手に依頼を聞きに行ったことについての小言を耳に入れなければならないのは、非常に鬱陶しい。
「一人で勝手に行ったことは悪かったって言ってるでしょ。ていうか、依頼はまだ受けてないからこうして相談してやってるんじゃん。人の話はちゃんと最後まで聞きなよねぇ」
「それで、美人だったの?」
「はぁ? なんの話してるわけ?」
現リーダー代理である鳴上嵐は、ごく真剣な面持ちで、小言を続けるのかと思えば強引に話の方向性を捻じ曲げた。泉を疑うような眼差しには、桃色の好奇心が見え隠れしている。ずいとテーブルから身を乗り出して、泉へと顔を近寄せた嵐は、完全に泉のパーソナルスペースを侵していた。寄んないでよ、と文句を言いつつ泉は顔を引くが嵐が意に介す様子はなくテンションは高いままだ。
「だからァ、その依頼主は泉ちゃんから見て美人だったのかって聞いてるのよォ。司ちゃんの話だとすごく綺麗っていうじゃない? それなら納得もいくのよ。普段この手の依頼って泉ちゃんは受けたがらないもの。本来のアタシたちの領分からは少しずれてるしね。でもすごく可愛くて、泉ちゃんの好みだったってことなら……」
「その質問いま関係ある? この話が俺たちに有益だと思ったから持って帰ってきたに決まってるでしょ? 顔なんかどーだっていいと思うんだけど? 羽風じゃあるまいし」
嵐のからかい半分の質問に、泉は苛つきを全面に表しながら対応した。有益か否かで依頼を判断したのは嘘じゃない。顔で選んだわけでもない。ただ、他の誰でもないミョウジナマエが代表として持ってきた依頼で、彼女の説得が泉の中で妙に上手く嵌ってしまった結果であることは否定できない。嵐の質問は的外れなようで、まるきり外しているわけではないというところが厄介なのだ。そして厄介と言えば、もう一人。
「ううん、否定しないってことは、そういうことなのかしらねェ」
「まだ言うの? いい加減しつこいよ。だいたい、誰があんな生意気なブス──」
「ナマエはとびきりBeautyでしょう、瀬名先輩?」
朱桜司だ。ややむっとしたように、珍しく挑戦的な目をしてこちらを見ている。少女のような可憐な容姿に威圧感こそ纏っていないが、二学年上の先輩と対してすら一歩も引かないという気概が見えた。その先は言わせまいと、アメジストの瞳が鋭く物語っている。昔からの知り合いが貶されるのを、黙って見てはいられないといったところか。聞けば幼馴染というほど近い間柄でもないが、会えば遊んでもらっていたのだと。聞いていてむず痒くなるレベルで彼女を褒めるものだから、泉は途中で話を遮ってやった。英智の口振りだと大して仲は良くないように聞こえたけれど、司の懐き方から言ってただの顔見知り程度とも考えにくい。もうひとつ気になるのは、司からナマエへの好感度や親密さはその呼び方から察することができるが、ナマエから司へのそれはどうも距離感があるように思えるところだ。ともあれ。
「瀬名先輩」
「──ブス、でもない、けどさぁ」
気圧されたわけでは決して無い。ただ、告げ口されてナマエに機嫌を損ねられても面倒だから濁しただけだ。真実彼女は整った顔立ちをしていたし。まずあの少女がそんなことを気にするような器とも思えないが、とにかくそういうことで、泉は珍しく折れた。下手なことを言えば嵐にいじられることが決定しているので、満足げに頷く司を睨むくらいしかできない。
「あらあら、司ちゃんの身内贔屓って可能性も疑っちゃってたけど、これはもしかするともしかするのかしらァ」
「……とにかく、こんな生産性のない話はこれでお終いね。今は依頼を受けるかどうかって話でしょ。早く決めないと日が暮れるよ。俺は早く帰りたいの。ここは一度多数決でも取ってみる? てか、くまくん起きてる? 聞いてんのぉ?」
「起きてるし聞いてるけど……。多数決取るなら、俺が寝落ちる前にお願い」
「学校で寝落ちないでくれない」
テーブルに両肘をつき、両手に頭を預ける格好で、朔間凛月がぼそぼそと喋るのを、泉の耳はなんとか拾った。今にも眠りそうな、と言うか、ちょっと寝ていたような気怠げな声だ。
「ちょっと、ちゃんと起きといてよね。ほらまず目を開けて。目の前のなるくんが見える?」
「見えない。まっくら」
「目ぇ閉じてるからでしょ」
冷静に事実を告げれば、睫毛に縁取られた瞼がゆるりと持ち上がり、赤い宝石のような瞳とやっと目が合う。まだ眠たげに目を細めながらも、凛月はしっかりと泉を視界に入れて。
「ていうかさ、賛成だよ、俺は。やってもいいんじゃない、その依頼」
「あらやる気。珍しいわねェ」
「ピアノの件はどうすんの? 断っとくの?」
「いや? そこも込みで賛成ってこと。俺は元々ピアノ弾くの嫌いじゃないしねぇ。好きなことやってるだけでいいなら、気が楽でいいじゃん。それに……」
考え込むように数秒の間が空いたが、「やっぱなんでもない」と首を振って、再び目を閉じてしまった。そこは多少気にかかるが、凛月の述べた理由は彼らしくて真っ当だったので、一端考えないことにする。次に司へと顔を傾ければ、彼はどこか誇らしげに、自らの胸を叩いて主張した。
「私はもちろん賛成いたしますよ。Knightsとしてナマエのお役に立てる日が来るとは。こんな貴重なChanceはなかなかありません」
「……はいはい、聞くまでもなかったみたいだねぇ。なるくんは?」
ぱちりと瞬きをした嵐は、まるで自分に話が振られるとは思っていなかったように、一瞬間の抜けた顔をしていた。すぐに大人っぽい微笑を作って見せると、彼はふふ、と小さく零して。
「多数決ならもう結果は出てるようなものじゃない? 一応言っておくと、アタシも賛成よォ。久しぶりに皆の前で歌いたいじゃない。何より泉ちゃんを色仕掛けで落とした、恋のお相手かもしれない子はこの目で見ておかなくちゃねェ、今後の参考に」
「ほんっとにしつこいし何の参考かわかんないしちょ〜うざいし」
「でも泉ちゃんも賛成なのよね? この依頼」
「……じゃないと持って帰ってこないでしょ」
「あらやだ素直でかわいい」
「はぁっ?」
「瀬名先輩、まさか本当にナマエのことが……?」
「ほらぁすぐ信じる奴が出てくるじゃん! なるくんのせいだからねっ?」
神妙な顔つきになった後輩に、一度会っただけなのにそんなわけないでしょと自分でもしっくり来ない理由を並べて、なんとか誤解を解いた。俺が誰を好きになろうがかさくんには関係ないじゃん、と自然と喉まで出かかった言葉は押し留めておく。こんな言い方をこの場ですれば、今度こそ言い訳が難しくなる。だいたい、なんで自分があんな薄情な女のことで頭を悩ませ言い訳まで用意しないといけないのか。次に会ったら文句の一つも言わなければ気が済みそうにない。
「安心いたしました。これからも好きになってはいけませんよ、瀬名先輩」
「ああもう、しつこいなぁ。これ以上言ったら放り出すからねぇ、クソガキ」
「ナマエにはFianceがおりますから」
「だからしつこ……なんて?」
聞き慣れない単語への理解に、少し時間がかかった。脳が処理を拒んでいたのかもしれないと、後になって思う。
「ふぃあ……なに、フィアンセぇ?」
椅子に座ったまま寝こけていた凛月がテーブルで強かに頭を打つ音を右から左に流しながら、泉は頭の中でその現実離れした単語を反芻した。フィアンセ──それはつまり、婚約者ということだ。